sweetness





4・過去



■12時間前  


「あ」

ドアを開けた瞬間、八戒は小さく息をのんだ。
つい先ほど出かけた時にはいなかった男が、戻っている。
しかも大きな身体をソファからはみ出しながら、ぐっすりと眠っている。

時計の針は真昼に近かった。
夕べは勝負が盛り上がったのか、朝になっても悟浄は帰っていなかった。
きっとどこかの女性のところに泊まったのだろう。
数日前見かけた、あの女性かどうかはわからないが。
この数ヶ月、悟浄が朝になっても帰宅していないことは度々あった。
相手の女性が毎回違っていることは、帰宅後に悟浄から漂う香水の匂いでわかる。
感心するほど女癖が悪い男だった。


困ったな。

八戒は小さく眉を寄せると音を立てないようにドアを閉め、手にしている買い物袋をそっとテーブルの上に置いた。
「!」
その時少し詰め込みすぎた袋から、りんごが一つこぼれてテーブルの上を転がった。
手を伸ばす間もなく鈍いを音をたてて床に落ちると、ソファの足元まで転がって止まる。
八戒は息をつめて、ソファの上をみつめた。
すぐ間近での物音にも、悟浄は身動き一つしなかった。

八戒は安堵の息をはくと、ちょうど悟浄の顔の下にあるりんごを拾うために身を屈めた。
伸ばした指先が、宙で止まる。
目の前で無防備に眠る男の顔から、目が離せなくなった。
起きている時には、こんなに近くで見つめることなど考えられない。
胸の奥が小さく疼き出す。
八戒は思わず苦笑を浮かべていた。

本当に困ってしまう。
これじゃまるで、ヘビの生殺しだ。

そっと身を乗り出して、覆いかぶさるように悟浄の顔を覗き込んだ。
切れ長の鋭い視線が隠れているせいか、彫りの深い顔立ちも薄く開いた男らしい唇も、何故かひどく幼く見える。
安心しきったように眠る悟浄の、左頬に残る傷痕だけが、彼の中の消すことの出来ない愁いを表しているようだった。
よほど疲れているのだろう、悟浄は八戒の気配にも気づかない。
八戒は、ソファから緩やかな曲線を描いて流れ落ちる髪にそっと手を伸ばした。
触れる直前でためらって、だがその紅に引き寄せられるように触れていた。
乾いていて少し冷たい指先の感触に、胸が締め付けられる。
そっと掬い上げると、サラサラと指先からこぼれ落ちる。
誘惑に抗えなくて、もう一度手を伸ばした時だった。

「!」
突然手首を握られて八戒は息をのんだ。
次の瞬間強い力で引き寄せられ、身体ごとソファの上に引きずり上げられる。
目の前の景色がぐるりと回って背中に衝撃を受けると、次の瞬間、八戒は自分に馬乗りになった悟浄を見上げていた。
驚いて声も出ない八戒の頬に、サラサラと悟浄の髪が落ちてくる。
まるで口付けするような距離で、紅い瞳が自分を見つめていた。
煙草と僅かに感じる香水の匂いに包まれる。
思いがけない距離で感じた悟浄の匂いに頭の芯が痺れたように熱くなり、破れるかと思うほど激しく胸が音をたてた。

「あン?」
自分の腕の中に抱き込んだ八戒を見て、悟浄は二三度目を瞬かせた。
「あれ?…八戒さ・ん?」
悟浄は自分の行動に驚いたように身を起こし、呆然と目を見開いたままの八戒を見つめた。
「…はい」
「あ〜悪ィ」
ユメ見てたわ、と呟くと、悟浄は八戒の腕を取って引き起こした。


身体中の熱がすっと下がっていく感覚に眩暈がした。
生粋の女好きが男の自分を抱き寄せる理由なんて、まぁ、そんな所だろう。
一瞬でも期待した自分に呆れてしまう。
八戒は一瞬強く目を閉じると、奥歯を噛み締めた。

「転寝なんかすると風邪をひきますよ」
妙に明るい声が出て、自分でも驚く。
大丈夫。声も震えていない。
八戒は俯きながらりんごを拾うと、ゆっくり立ち上がった。
悟浄に背を向けてわざとガサガサと音をたてながら、紙袋の中のものを取り出していく。

大丈夫。
まだ、大丈夫だ。
胸の中で繰り返しながら、唇を噛み締めた。





(2008.08.22)

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