
sweetness
2・過去
■三日前・夕刻
夕時の市場は朝一番ほどの品揃えはないが、それに代わる活気に満ちていた。
店じまいの間際に破格で売りさばかれる品を狙う客と、1円でも高く売りたい店主との威勢のいいやり取りが其処此処から聞こえてくる。
市場の賑やかな喧騒と、対照的に静かに滑るように暮れていく空の色。
その両方に包まれながら買い物をするのは、単調な毎日を過ごす八戒のささやかな楽しみだった。
八戒が悟浄と同居を始めてから、数ヶ月がたっていた。
現在のところ八戒の保護監督責任者である三蔵は、タイプの違いすぎる男二人の共同生活を危惧していたようだったが、悟浄と八戒は互いの生活を尊重し、適度な無関心を装うことで同居生活は順調に進んでいた。
週に何度か買い物籠を手にしてこの市場に通う生活にも随分慣れた。
我ながら、数ヶ月前には生死の境をさまよっていたとは思えないほどの回復ぶりだ。
長安にいる、あの不思議な神々の言葉を借りるところの「生まれ変わった新しい生」とは、なんと不思議で皮肉なものなのだろう。
八戒は思わず苦い笑みを浮かべながら、空を見上げた。
闇をつれてくる群青色が、血のような紅を飲み込もうとしている。
一瞬その、ぞっとするような美しさに眼を奪われ、足が止まった。
急に立ち止まった八戒は、後ろからきた人と軽く肩をぶつけ、手にした籠を落としてしまった。
慌てて謝り顔を上げると、忙しない通行人は既に背中を見せて行き過ぎていた。
どうかしている。こんなところでぼんやりするなんて…
落とした籠を拾い上げた時、通りの向こうによく知った顔を見つけて、八戒は動きを止めた。
この時間に町にでると、時折見かける風景だった。
若い女を連れた同居人が、右手前方の建物の角から姿を現した。
女の細く艶かしい腕が悟浄の腰に蛇のように絡み付き、悟浄の腕は女の華奢な肩に回されている。
二人はゆっくりと右から左へ八戒の目の前を横切っていく。
一体いつでかけたのだろうか?
自分が家を出る時には、この世に何が楽しいことがあろうかという風情で居間のソファに座り込み、ぼんやりとテレビを眺めていたのに。
八戒は悟浄の視界から外れるように、そっと物陰に移動した。
自分と会っても、多分悟浄は気にしない。あの女性も気にしないだろう。
居心地が悪いのは自分だけだ、とわかっていた。
それにしても、今日の女性は一際派手だ。
ベリーショートに揃えた耳元からのぞく大きな金のイヤリング。真っ赤な口紅に濃いシャドウ。
人目をひく華やかな笑顔に、露出の多い装いが嫌味なく似合っている。
確かこの間は長い髪の女が好みと言っていたはず。その前は確か、清楚な感じの女とか。
数刻前までとはうって変わって活き活きとした悟浄の表情を眺めながら、八戒は思わず眉を寄せていた。
悟浄と自分とは、女性の好みも随分と違う。
いや、そんなことより。
ついさっき買った魚を思い出して、拾い上げた籠に目を落とした。
夕飯は必要なさそうだし、早く家に帰って、昨日から読みかけている本の続きでも読むことにしよう。
胸のあたりにわき上がるじりじりとした痛みには気づかない振りをして、八戒は踵を返した。