sweetness




1.現在




「悟浄、何?この匂い」
街を出て少したった頃だった。
ジープの後部座席で悟空が訝しげな顔をしながら、悟浄の上着の匂いをかぎだした。
「確かに、かなりキツイ匂いですね」
ハンドルを握りながら八戒も口を開く。
悟浄の体からは、女物の香水が匂い立っていた。
甘く濃厚な香りだ。
だが微かに香る程度なら好ましいものも、過ぎれば毒になる。
朝帰り、しかも出発時間ギリギリに悟浄は宿に戻ってきた。 多分シャワーを使う時間もなかったのだろう。
最近では珍しいことだった。
この旅にでてからは、女の匂いを翌朝まで持ち越すようなことはなかったのだが。
「いわゆる、残り香というやつ。モテル男はツライぜ」
朝になっても放してもらえなくて…と尋ねてもいないことまで語りだす悟浄の頭上で、三蔵のハリセンがいい音をたてた。

「おい、停めろ」
敵の襲撃か、と八戒は慌ててジープを停めた。
「どうしたんですか?」
不機嫌極まりないという表情で、三蔵が左前方を指差した。
その先には、小さな湖が陽射しを受けてきらきらと輝いている。
「その臭いをなんとかしろ。気分が悪い」
「へーへー」
悟浄は面倒そうにジープを降りると、ぶらぶらと湖に向かって歩いて行った。
「俺も入るっ♪」
早くも上着を脱ぎながら、悟空がその後に続く。
「早速休憩ですね」
微笑みながらジープを降りる八戒の背中で、三蔵の盛大な舌打ちが聞こえた。


小さな湖畔での小休止は、思った以上に快適だった。
森の中の空気は澄んでいて、初夏の陽射しは新緑を一層鮮やかに見せている。
ふわりと肩先をすり抜けてゆく風が、濃い緑の匂いを運んでくる。
八戒はちょうどいい具合に影を落とす木の根元に座ると、持ってきた本を開いた。
三蔵も隣の木の根元に腰を下ろし、煙草をふかしている。

「すっげー水がキレイだぜ!」
弾んだ声を上げながら、悟空が飛び込んで振り返る。
「八戒も入ろう」
「僕は遠慮しておきます」
「じゃあ、三蔵!」
「冗談」
素気無く断られて、悟空は仕方ないといった風で岸に立つ悟浄を見上げた。

「どうしたんだよ、その背中!喧嘩でもしたのか?」
上着を脱いで上半身裸になった悟浄を見て、悟空が驚きの声を上げた。
「ん〜?」
顔をしかめて自分の背中を見ようと身を捩った悟浄は、二ヤリと笑った。
陽射しの下にさらされたその背中には、くっきりと数本の爪痕が残されている。
まだ血の滲むその疵は、昨夜の女性がつけたものだろう。
「男の勲章」
三蔵が非難めかしい視線を八戒によこした。
八戒が苦笑いを返すと、眉間の皺を深くして煙を吐き出した。

そんな風に怖い顔をされても…僕にどうしろというのだろうか?
八戒は小さくため息をついた。
悟浄がどんな女性と寝ようが、朝帰りをしようが、自分に口を出す権利はない。
三蔵は誤解している。
自分たちはそんな関係じゃないのだ。
自分と悟浄は抱き合うことはおろか、キスさえしたことはない。
したことない…はずだ。
八戒は断言できない自分がおかしくて、微かに唇を歪めた。


眩しい光を受けながら、飛沫をまきちらして悟空と水をかけ合う悟浄の背中をぼんやりと見つめながら、八戒は考えた。
この旅に出る前に起きたあの不可思議な出来事。
自分でも呆れるほどに何度も思い返したのに、今でもあの夜を思い出すと湧き起こる熱と胸の痛みで息が苦しくなる。
このまま走り続けるためには、考えないことだ。
八戒はゆっくりと目を閉じた。

辺りには変わらずに暖かい陽射しが降り注いでいる。
瞼越しに感じるほの明るい闇が、ふとおかしなほどひやりと感じられて、八戒はそっと自分の腕を抱いた。







(2008.06.25)


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