over the rain




5.





ぼんやりと霞む雨の中、その人は白く光って見えた。
ぬかるんだ地に足を組み座したまま身動きしない。
そこは数ヶ月前、僕が悟浄に拾われた場所だった。
「三蔵…」
そっと近づいて呼びかけると、三蔵はゆっくりと顔を上げた。
何度か瞬きして、紫の瞳が僕を見上げる。
「こんな雨の中、何をしているんですか?」
「俺が見つければよかった」
「え?」
「あいつより先に俺がお前をここで見つけていたら、と考えていた」
「…見つけたら、どうだというんです?」
三蔵は何か言おうとしたが、舌打ちをして目を伏せ、緩く首を左右に振っただけだった。

まるで寄る辺ない子供のような、あやふやな瞳。
初めて見る表情に、言葉が出ない。
「雨は嫌いなんだが、顔が見たかった」
その言葉に耳を疑った。
「返事はいらないと言ったくせに」
「ああ、いらねえ。だが、傍にいろ」
なんて真っ直ぐで身勝手な言葉なんだ。
それでも胸に広がるのは、暖かな思いだった。
「お前は、傍にいろ」
その言葉の裏にいるのは、雨の日に失ったという大切な人なんだろうか。
僕は以前耳にした、この人が“三蔵”となったいきさつを思い出した。
そして突然、理解した。
この人も。
この、完成されたように見える人も、痛み続ける傷に苦しんでいるのだと。
いつでも前を向き、破壊する勢いで進んでいく人だと思っていた。
後悔も憎悪も強い意思でねじ伏せて、顔を上げているのだと。
その強さが僕は羨ましくて妬ましくて、憧れて。
でもそんな人も、時に足を止めることがあるのかもしれない。
それが、“今”なのだとしたら――

ああ。
こんな姿を僕に見せてくれるのか。
僕がこの人のために何かできるなんて思い上がりだった。
きっともらったものの欠片も返せないだろう。
けれど今、僕がこの人の悲しみを、隙間を、少しでも埋めることができるのなら。
それはなんて幸せで、罪深いことだろう。

「俺のものになれ」
「無理です」
「即答か」
「僕はあなたに相応しくありません」
「俺がほしいと言ってるんだ」
わがままな人だ。
でも。
「あなたの弱さを、僕にくれるなら」
「あ?」
この人の抱えたままの痛みを、喪失を、僅かでも分かち合えるのなら。
強さの下に隠したやわらかいものを、僕に見せてくれるのなら。
「あなたのそばにいます」

三蔵は目を目をみはり僕の顔をまじまじと見つめた。それから突然立ち上がると屈託なく笑いだした。
「名を変えても、欲深いところは変わらねえんだな」
その表情は、いつもの自信に満ちたものだった。
「え?」
「いいだろう、くれてやる。だが条件がある」
「はい」
「俺への義理とか義務とか、つまらねえ言い訳じゃなく、俺の弱さがほしいなら、まずてめえが選べ。死んだ姉でもなく、あいつでもなく、俺だけを選べるならお前のほしいものをやろう。弱さも、強さも、全部やる。だから、俺を選べ」
言い放った三蔵は答えを待つ間もなく、僕を引き寄せ抱き締めた。
「もう、選んでいますよ」
耳元で囁くと、回された腕に力がこもる。
僕らはどちらからともなく、やさしい口づけをかわした。

いつの間にか、雨は止んでいた。目を落とすと、白い法衣の裾がひどく汚れている。
まるで泥の中に根を伸ばしながら水面にきれいな華を咲かせる蓮のようだ、と思った。
まるでこの人の生き方のような。
「見事に泥だらけですね。でも、きれいです」
「支離滅裂じゃねえか。サルみたいなセリフだな」
僕の思いが伝わったのだろうか。三蔵は照れたように目を逸らした。
「早くきれいにしましょう」
少し強引に手をとり、そのまま歩きだした。
冷えきった掌が、強く握り返してくれる。
きっとこの人は、どんな時もきれいだろう。
並んで歩く三蔵の瞳は、見たことないほど穏やかだった。



家に帰りつくと悟浄の姿はなかった。
とにかく三蔵にシャワーをと考えて風呂場に行くと、なんと風呂がわいていた。
僕の行動は悟浄に見透かされているようだ。
心遣いに感謝しながらも苦笑が浮かぶ。
着替えだけでいいと言い張る三蔵を無理矢理風呂場に連れていくと、それならお前もとせがまれて、そのまま引っ張りこまれた。
温かなシャワーの下、濡れてまとわりついて脱ぎづらい服を互いに剥いでいく。
ふと、三蔵の指が止まった。
「これは何だ?」
首筋に指をあてられて、思い出した。悟浄がつけた痕だ。
「あ…」
一瞬言葉につまった僕を見て、三蔵は目を細めた。
「あの野郎、随分挑戦的だな」
「何言っているんですか?ちょっとした悪ふざけですよ」
「わかっている。だが、負けてられんな」
「ちょっ…、三蔵っ」
「黙ってろ」

これじゃあ、まるであの人の書いた筋書きをたどっているみたいじゃないか。
同じ行為のはずなのに、以前と違う感情は、深い快感を呼び起こした。
いつの間にか風呂場には、耳を塞ぎたくなるような甘い声が響いていた。












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