sower





2.



「ジープなら大丈夫だよ。」
声をかけると、八戒はふだんあまり見せない不安そうな顔で振り向いた。
さっきから指先はカーテンの端を握りしめたまま、落ち着かない様子で外を覗いている。
この部屋はちょうど死角になっていて街灯の明りが届かないから、窓の外は真っ暗だ。
「ペット同伴不可の宿しかないなんて。今日はあまり寒くないからまだマシですけれど…」
「さっき見にいったら静かに寝てたよ。一人でゆっくりできて、いつもよりよく寝てるかも。」
「そうですね…ジープもたまには誰にも邪魔されずに過ごしたいですよね。」
そういって窓から離れた八戒は、言葉とは裏腹に随分不満げな顔をしていて笑ってしまう。
「なんですか?」
「なんでもないよ」
八戒は寂しいんだよな。最近夜になるとよくジープを腕の中に抱えていたし。
俺もジープを抱くとわけもなく安心する時があるからよくわかる。

手持ち無沙汰を紛らわすように八戒はポットから急須にお湯を入れた。
今夜何杯目になるかわからないお茶を湯呑みに注ぐ横顔は、この間の夜みたいにどこかぼんやりして見える。
「あの南瓜、芽が出たかな?」
気を引くように尋ねると、八戒は驚いたように俺を見た。
「そうですねえ。荒れた土地でしたけどだいぶ掘り返しましたし、あれからいい具合に雨も降りましたから、もしかしたら芽が出ているかもしれませんね。」
「俺たちが帰りに通る頃には、もう誰かに食われちゃってるかもな。」
丁寧にお茶を注ぎながら、八戒はあいまいな微笑みを浮かべた。
「悟空、僕があんなことをしているのは、別にきれいな花や収穫を期待しているわけじゃないんです。もちろん誰かのためでもない。」
ゆっくりと顔をあげて、遠くを見るような瞳で続ける。
「全て自己満足…いえ、自己欺瞞なんです。」
「ギマン?」
聞きなれない言葉を問い返した俺に構わず、何かに憑かれたみたいに八戒の言葉は続いた。
「本当はあんなことをしても、何にもならないってわかっているんです。でも僕は…殺しすぎましたから」
そんなの仕方ないだろ、と言おうとして、闘いがつきまとうこの旅のことを言っているんじゃないことに気がついた。
それはまだ八戒という名前になる前の、暗い記憶。
深く刻み付けられた罪悪感は、きっと何年たっても消えることなんてないんだろう。
ふと“贖罪”という言葉が思い浮かんだ。難しい言葉だけど知っている。たしか罪滅ぼしっていう意味だ。

八戒はぼんやりと空を見つめている。その先には、隣の部屋の壁があった。
三蔵と悟浄が一緒にいる部屋。
八戒が種を埋めるのも、あいつらから距離を置こうとするのも、全てが同じ理由からなんだろうか。
もしかしたら八戒にとってはこの旅も、生きていることさえも罪滅ぼしなのかもしれない。
自分の無力さに怒りが込み上げた。
この人の穏やかな微笑みの奥に潜み続けている昏い淀みに、俺は手を触れることすらできない。
「ごめんなさい。つまらないことを言っちゃいましたね。」
突然我に返ったようにきれいに笑うと、八戒は湯呑みを小さなテーブルの上に並べた。
誰かのために尽くすことが、八戒の考える贖罪なんだろうか。でもそれすらきっと、偽善といって自分を嗤っているんだ。
どうやったらこの人を苦しみから解き放つことができるんだろう。
俺にできることは…何だろう。
「ねえ八戒、耳掃除してよ。」
こんな言葉しか思い付かない俺って、やっぱサル頭って言われてもしょうがねえのかも。
突然の我儘に、八戒は嬉しそうに頷いてくれた。


いわゆる膝枕で八戒に耳掃除をしてもらう。
こんなの初めてで照れくさかったけど、じんわりと伝わってくる温もりと優しく耳に触れる指の感触が気持ちよくて眠くなってきた。
そういえば隣りの部屋は随分と静かだった。
せっかく八戒がお膳立てしているのに、あいつらは朝まで一緒に過ごしたことなんてほとんどないだろう。
大抵悟浄が飲みに出かけて、明け方帰ってきているみたいだ。
きっと今夜だって―
いきなり、ドンッと何かが倒れる音がして、聞きなれた銃声が一つ響いた。
ドカドカと靴音荒く部屋を出ていく悟浄の気配に八戒の顔を伺いみれば、固い表情で動きを止めている。
俺の視線に気がつくと、眉をひそめて困った顔をして見せた。
それから俺たちは小さなため息をついて笑い合った。
「困った人達ですねえ。」
「懲りねえな、あいつら。」
「本当に…馬鹿な人たち。」
小さく続いた呟きは愛しさが溢れているようで。
その言葉を自分の唇でふさぎたい衝動をこらえて、俺は目を閉じた。
身体の力を抜いてざわざわする胸の内を静めるように深い息を繰り返す。
まるで何かに縋るように繰り返し俺の髪をすく優しい感触に、鼻の奥がつんと痛んだ。
俺はジープの代わりくらいにはなれたのかな。

「悟空?…寝ちゃったんですか?」
できるだけ規則正しい呼吸を繰り返していると、そっと膝枕を外されて静かに布団を掛けられた。
それから八戒が隣りのベッドに入る気配がして灯が消えた。
俺は静かな寝息が聞こえてくるまでじっとしていた。
それから更にゆっくりと百数えてからそっと起き上がり、軋むドアに気をつけながら廊下に出た。
そこには随分前に出て行ったはずの悟浄が、暗がりの中で赤い灯を揺らしながら立っていた。
「なんだよ、でかけたんじゃねえの?」
「あいつは?」
暗がりでは古い血液みたいな色に見える髪と瞳で、静かに笑う。
昼間の喧嘩相手から一変して大人の顔をする悟浄のことを、ずるいと思う。
これじゃどう転んでも勝てるはずがねえ。
「ちくしょう。」
「は?」
「ズルいぞ、イロオトコ。」
「なにそれ?」
「悟浄は誰が好きなんだよ。」
悟浄は驚いたように目を瞠ると、ゆっくりと煙を吐き出した。
それから、見たことないような素直な瞳で笑った。
「どっちも。」
「え?」
「どっちも好きだ。悪いか?」
「そんなの‥ダメだろ。」
少なくともあいつらにとって、それは幸せじゃないはずだ。
「じゃあ、お前が奪ってみれば?」
挑発の言葉を口にしながら、悟浄は嬉しそうに笑っている。
それができたら苦労しねえよ。
俺は通りすがりに思い切り腹をど突いてやった。
呻きながら蹲る紅い髪を振り返らずに、宿の外へ向かっていく。

あいつらは何でわざわざ苦しい関係を選ぶんだろう。
胸の中を波立たせながら、なんで平気な顔で笑えるんだろう。
だから大人は嫌なんだ。
俺の入る隙間なんて、毛の先ほども見つからねえ。


宿の外に出ると、敷地の隅で静かに寝ているジープに近付いた。
宿に着いた時、八戒の目を盗んで持ち出しておいたスコップを座席の足下から取り上げる。ジープは何も言わずに知らないふりをしてくれた。
そっとジープを撫でてから、暗がりになっている庭の隅へ移動する。
ポケットから小さな新聞紙の包みを引っ張り出して開くと、夕方市場で買った球根がコロコロと顔を出した。
赤い花のチューリップが咲くよ、と花屋のおばさんが教えてくれた。
花言葉は、“愛の告白”だよ、とも。

八戒が押さえきれない思いを埋めてきたように、俺もここに埋めていく。
いつか。
俺らが目的を果たして笑いながら帰る時、この場所にこの花が咲いていたら伝えよう。
困らせても迷惑がられても聞き流されても構わない。
この思いを、あの人に。






(2014.2.1)

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