天さんのこと
6.
目が覚めると、僕は悟浄の腕の中にいた。
驚いて息をのむ僕の目の前で、悟浄は枕に半分顔を埋めるようにして眠っている。
幼い子供みたいに安らかな寝顔に見惚れながら、僕は胸を満たす温かな想いにそっと息を吐いた。
込み上げる愛しさを堪えられなくて、起こさないように気を付けながらそっと赤い髪を撫でる。
信じられない。
悟浄が僕を想っていたなんて。この想いを悟浄に伝えられたなんて。
天さんというきっかけがなければ、僕らは一生互いの想いを知らないままだったかもしれない。
僕はぼんやりと昨夜の出来事を思い返した。
抱き締められ思いを告げられて、僕もずっと胸に秘めていた想いを言葉にして。
愛しさと喜びに満ちた気持ちで僕らは抱き合ってキスをした。それから…
そこまで思い至ってあまりの恥ずかしさに思考が止まり、僕は両手で顔を覆った。
触れて熱を感じてしまったら、互いにもっと欲しくて止まらなくなった。
そういう展開になれば悟浄はさすがにうわてで、天さんもその気だったのだろう。
しまいには互いのものに触れて高め合って、僕は流されるように快楽を追っていた。
やりすぎですよ、天さん。悟浄に触れて抱きしめるだけでいいって言っていたくせに。
何の応えもない天さんに向かって、僕は抗議をした。
そういえば天さんはまだ僕の中にいるのだろうか。
彼が取りついてくれなければこんな展開になることはなかったのだからもちろん感謝しなくてはいけないのだけれど、昨夜のことを思い出すと顔から火が出そうだった。
悟浄が目を覚ましたら、僕は一体どうしたらいいんだろう。
このままこの人の腕の中で顔をあわせるなんて、恥ずかしくて耐えられない。
とりあえず、この部屋を出なければ。
僕は悟浄を起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、ふらつきながら悟浄の部屋を出た。
まるで夢の中のように現実感がなくて、裸足で歩く冷たい床さえ雲の上のようにふわふわと感じられる。
「良かったですね〜よく頑張りましたよ。さすが僕の八戒♪」
リビングに入るとソファに座っていた天さんが、にこにこ笑いながらすーっと寄ってきた。
「え?」
茫然と見返す僕の頭を、教師が教え子を褒めるように撫でて目を細める。
「ええっ?あなた、僕の中に入っていたんじゃないんですか?」
「何言ってるんですか、そんなことしませんよ。僕はこうやって漂うことしかできないんですから」
うふふと笑いながら上昇すると、軽やかにクルリと回る。
「だって、取りつかせてくださいって…」
「そんなこと、言いましたっけ?」
天さんは空中でしれっと首をかしげた。
「ちょっと待ってください。じゃあ、ご、悟浄に告白して、…あ、あんなことしたのは…」
「もちろん、あなた自身の意志ですよ。僕にはそんな力ありませんから。思いが通じてよかったですね」
なんてことだ。この人の口車に乗って、とんでもないことをしてしまった。
あんなこと、いつもの僕なら決してできなかったのに。
ぶるぶる震える僕の前にゆっくりと降りてくると、天さんは耳をすますように動きを止めてから、優しい瞳で僕を見た。
「残念ですが、そろそろ時間のようです。さすがに長い間この世に留まりすぎました」
「そんな、急に…」
「いつまでもココにいるわけにもいきませんし。新婚さんの邪魔をしたくないですしね」
悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。
「そんなこと…。だってまだ、“あの人”を見つけていないじゃないですか」
「あっちでまた探してみます。いろいろと迷惑をかけてごめんなさい」
「でも…」
こんなに突然別れがくるなんて思いもしなかった僕は、寂しくて子供のように駄々をこねた。
涙ぐむ僕の肩を、天さんはぎゅっと抱きしめた。
感触はないけれど、天さんの温かい気持ちが確かに伝わってくる。
「大事な人を決して離してはいけませんよ」
「はい。ありがとうございます」
「またいつか会いましょう」
次の瞬間、天さんは消えていた。
床一面に、桜の花びらをまき散らして―
僕は薄紅色に染まった床の上に座り込んで、薄く頼りない花びらをそっと拾い上げた。
涙をこらえながら微笑むと、掌の上の花びらに向かって話しかけた。
どうかあなたも、大切な人にあえますように。