天さんのこと




5





最近八戒の様子がおかしい。
この間俺が風呂に入ってたら、「シャンプー切れかけていましたよね」なんて言いながら新しいのを持ってきてくれたんだけど(って、新婚家庭みてえで恥ずかしいな)、風呂のドアを開けた瞬間、湯船につかってる俺を見て怖い顔して固まってた。と思ったら、突然手に持ったシャンプーボトルを投げつけてくるし。
何すんだ!って怒ったら、すげえ悲しそうな顔で思いっきりドアを閉めて走り去っちまった。
後でごめんなさい、なんてしおらしく謝ってたけど、いったい何だったんだ?

今夜は出かける気になれなくて、サルと坊主が帰った後は部屋にこもってダラダラしていた。
ベッドの上で天井に向かって煙を吐き出すと、“寝たばこはやめてくださいね”とうあいつの声が聞こえた気がして笑ってしまう。
空耳でも声が聞きたいなんてどうかしてると思いながら、俺は灰皿を引き寄せて短くなった煙草を押し付けた。

思えばあいつの様子がおかしくなったのは、二週間くらい前からだ。
いきなり家を飛び出していったと思ったら、裏の林の中に座り込んでいたあの日。
あの日から八戒は、何もない空間に向かってブツブツ呟いたり笑ったりしていることがある。
そうかと思うとじっと俺を見つめて、寂しそうに目をそらしたり。
どこか具合が悪いのか。何か俺に言いたいことがあるのか。
どうした?って聞いても、「何もありませんよ」っていつものきれいな笑顔を返すだけだ。

そう、あの笑顔が問題だ。
整いすぎてるくらいきれいな顔が、ふわって笑うと一瞬ですごく優しい感じになって見惚れちまう。
俺だけに向けられるその笑顔を見ていると、なんだか“許されてる”って気がするんだ。
何を許されてるのかわからねえんだけど…多分、俺自身の存在みたいなもんかな。
飲み過ぎてぶっ倒れたとかつまんねえケンカで怪我をしたとかいう時にくらう口うるさい小言さえも、気遣われているようで嬉しくなる。
これじゃまるで小さなガキだ。

もともとすごくきれいな奴だから、じっと見つめられると妙にドキドキしたりするわけだけど、男なんだよな、俺が拾ったあいつは。
もし女だったら、触れたり抱きしめたりできるのに。
なんて考えてる時点で、いい加減認めなきゃなんねえな。

俺は、あいつが好きなんだ。
あいつのことが大切で、できることならいつまでも一緒にいたいと思う。
でもこんな気持ち初めてで、これが恋なのかよくわからねえんだ。
今までだって好きになった女はいたけど、こんなふうに温かで柔らかい気持ちになったことはなかった。
もっと衝動的で刹那的で。恋なんて一時は燃え上がるけど、上手くいこうがいくまいが、時がたてばそんな気持ちなんて萎んでいくもんだと思っていた。
だからこの感情が何なのか、わかんねえ。
ただ一つわかっているのは、あいつがいなくなるのが無性にコワイということだけだ。

ああ、ダメだ。
触らないようにしている胸の中のヤワい部分が疼きだして俺は飛び起きて頭を抱えた。
あいつは男だし。何より、忘れられない女がいるんだ。
見込みなんてねえだろう。

そう思った瞬間、部屋のドアがトントンと控えめな音をたてた。


ドアをあけると、八戒が立っていた。
俯いていて表情はよくわからないけど、なんだかぼんやりしているように見える。
「あの、悟浄…」
「どうした?」
ゆっくりと上げた顔は頬が赤かった。
「お前、熱があるんじゃ…」
驚いて覗き込んだ瞳に、言葉が途切れた。
涙をためたように潤んだ瞳が、縋るように俺を見つめている。
まるで捨てられた子犬みたいに頼りなげなその表情に、胸が大きく音を立てた。
普段隙がない奴だから、こんな無防備な顔されるとたまらない。
思わず伸ばした指先に触れた頬の感触と淡い熱と、驚きに瞠った碧の瞳が愛しくて、気づくと薄い肩を引き寄せていた。

閉じ込めるようにきつく抱きしめて、驚いて固まってる八戒の耳元に囁いた。
「ごめん、やっぱ好きだわ」
お前が男でも、誰を見ていても構わない。
「俺はお前が好きだ、八戒」

八戒の腕がゆっくりと俺の背中を抱きしめた。
ぎゅっと力を込めた後、耳元で優しい声が響く。
「そういうことは、ちゃんと顔を見て言ってください」
驚いて顔を上げると、八戒は笑っていた。
すべてを包み込むような、やさしい笑顔で。
「僕もあなたが好きですよ」
「…うそ」
「あなたが“僕”を癒してくれたんです、悟浄」
八戒はまっすぐに俺を見て、言い聞かせるように言葉にした。
「ずっと、あなたが好きでした」

信じられない思いと喜びで、どうかなりそうだった。
想いが通じ合うって、こんなに満たされるもんなのか。
俺は大切なものをほんの少しも離したくなくて、もう一度強く抱きしめた。
くすくす笑いながら、八戒も抱き返してくれる。
それから。
「ごじょう」
耳元でため息のように名前を呼ばれて一気に体温が上がった。

ゆっくりと顔を上げると、八戒は静かな表情で俺を見ていた。
清らかで、それでいてどこか艶をまとった碧に、体の奥が急に熱くなる。
ああ、こいつはこんな顔もするんだな。
まだ知らない八戒の表情を、残らず自分のものにしたい。
きれいに笑う唇に、俺はたまらず口づけた。








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