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2.






そういえば夏の夕暮れはちょっと苦手だった。
夕時の買い物のおばちゃんたちで賑わう市場をぶらぶらと抜けているとき、急にそんなことを思い出した。
いつまでも名残惜しそうに空が明るくて落ち着かねぇし。
ガキの頃はこの時分に町をうろついてると、開け放した窓から聞こえる団欒の声とか、家の前で小さな花火を楽しむ親子の姿とか、俺とは縁遠かったものばかりがやけに目についたもんだ。
刻み込まれた記憶はなかなか消えねえもんだなんて感心するほどには、俺も年を食ったわけだ。

昼間の暑さは嘘のように引いていて、湿度の低い風が緩く髪を揺らして吹き抜けていく。
なんだか喉が渇いて、右手に下げたビニールの袋に目を落とした。中では数本の缶ビールが揺れている。
家で八戒と飲もうと思ってさっき馴染みの酒屋で買ったけど、一本くらい、まあいいか。
早く飲まねえとぬるくなっちまうしな。
いい訳をしながら、俺は小さな通りを右に入った。
そこにはブランコと滑り台、隅にベンチが置かれただけの小さな公園がある。
昼間はチビ達で賑やかなんだろうが、普段俺がうろつく時間には夜遊びの悪ガキどもがたむろってたり、恋人たちが闇に紛れて愛を囁き合っていたりする。
まあ、俺には縁遠い場所だ。

中途半端な時間のせいか公園には人気がなかった。
これ幸いと足を踏み入れた時、思いがけず見慣れた背中が目に入って足を止めた。
ブランコに腰かけて、所在なさげに揺れている薄い背中。

それは一時間程前に長安の裏通りで見掛けた背中だった。
人波に紛れて見失っちまったけど、まだこんなトコにいたんだな。
いわゆる風俗店やつれこみ宿が並ぶ怪しげな場所に、コイツはいったいどんな用があったんだろう。
今日は三蔵に頼まれて書庫整理の手伝いをするのだと言って、八戒は昼前に家を出て行った。
ちょうど起き抜けだった俺は、まるで旅館のように充実した朝メシを食いながら、久しぶりに長安に住む昔馴染みを尋ねようと思い付いた。帰りがけに坊主とサルの顔を冷やかしがてら、八戒を迎えに寺に寄ろうなんて気になっていた。
昼間っからダチと飲んでいい気分で覗いた三蔵の執務室では、てっきり三蔵と八戒が向かい合って茶でも啜っていると思っていたのに、ソファの上で悟空が間抜け面でいびきをかいているだけだった。
顔なじみの坊主に尋ねたら、三蔵は出かけていて、八戒は顔を見せていないという。
そして寺からの帰り道に、この背中を見かけたのだ。

相手はやっぱ、三蔵なのかな。

いつもきれいに伸ばされている背中が、やけに小さく見える。
後ろから近付く俺の気配にも無防備で、ピクリともしない。
こんな場所に座って碧の瞳でぼんやり空を眺めている姿なんか見ちまうと、まるで魂がどっかへいっちまっているようで、今すぐ連れ戻さなきゃって思ってしまう。
それでつい声をかけてしまうわけだが、大抵後でしまったと思う羽目になる。
それでも放っておけない自分の性質を呪いながら、俺は袋に手をつっこんでビールを取り出した。

「っ!…悟浄」
八戒は弾かれたように振り向いた。
「ほい、ビール」
「うわっ!」
目を瞠る八戒に向かって、軽くビールを放り投げる。
八戒は驚きながらもしっかりキャッチすると、困ったような顔をして、隣りのブランコに座り込む俺を見てた。
「どした?やけにしょぼくれてんじゃねえの」
すでに汗をかいているビールのタブを引き上げると、白い泡が少しあふれ出て指先を濡らした。
八戒も同じようにプルタブを引き上げて、泡まみれになった自分の指先にじっと目をやりながら呟いた。
「…どうやら、ふられてしまったみたいで…」
ああ、やっぱり。
聞かなきゃよかったと後悔しながら、それでもぼんやりした表情の横顔に聞いてみる。
「お前、彼女いたの?」
「まあ、彼女というか、なんというか…」
三蔵なんです、とは流石に言わなかった。
「ふーん…マジだったんだ?」
「…どうなんでしょう。よくわからなくて」
多分、と八戒は言葉をさがすようにゆっくりと続けた。
「僕は、あの人を傷つけてしまったのだと思うんです」
「傷つけた」
「はい」

コイツが、三蔵を傷つけた…三蔵がコイツをじゃなくて?
なんだか全然ピンとこなかった。

八戒は俺がいることを忘れてしまったみたいに、手の中のビールに目を落としたまま動かなくなった。
コイツは必要とあらばいくらでも話題に事欠かないところがあって、会話をしていても大抵俺の倍くらい喋っている。
時々なぜかその言葉が小言へ変わっていることがあって、そんなときは敵わねえって思うわけだが。
そんな男がいったん黙ると、まるで深海みたいに静かになる。
本来は無口な性質なんだろうから気にすることはねえんだろうけど。

俺は煙草とビールを交互に摂取しながら、空に目立ち始めた星を数えたり、短パンの足元にやってくる蚊と格闘してみたり、妙に頭に残っているCMソングを口笛で辿ったりしていた。
いつの間にか足元には、空のビール缶が3本転がってる。
気が付くと俺は、街灯に照らされてぼんやり浮かび上がる八戒の姿を眺めていた。
飽きもせず手の中のビール缶を眺め続けるきれいな横顔を。

思わずため息がもれた。
本当に面倒な男なんだ。
拾ってきた時から手間かけられっぱなしで、雨がふればあっちの世界に行っちまってるみたいに何時間でもぼんやりしてるし。夜中に眠れないからって、いきなり俺のベッドにやってきたり。
でも飯は美味いし美人だし。
何よりコイツだけが、俺を必要としてくれた。

「ビール飲まないなら、ちょーだい」
声をかけると、その視線はやっと俺に向いた。
夢から覚めたみたいに俺を見て、薄闇の中でにこりと笑う。
やっぱ俺を見てくれる方がいいな。
アイツなんかのコトよりも、俺のこと考えてよ、なんて少し酔った頭で考える。

「三蔵なんです」
「うん」
本当はずっと前から知ってたよ。お前がどうしてアイツに惹かれるのかも。
そして本当はお前が――
「僕はあなたがすきです、悟浄」
「うん…知ってる」

俺もお前がすきだよ。
その、怖いほどまっすぐな瞳も、自分に厳しすぎるところも、いつもどこか闇を探すように不安定なところも、優しい笑顔も。
でもダメなんだ、俺。
まるで全てを奪い尽くすようなコイツの想いを感じると、どうしていいかわからなくて身動き取れなくなる。
だってこの俺が、誰かに愛されるなんて、あるはずねえだろ?
そのくせ八戒を手放すなんて、考えちゃいねえんだ。
こいつだけが、俺が生き続けることを許してくれた。生きていることを喜んでくれたんだ。
酷い奴だよな、俺。

「なら、いいです」
八戒はふ、と笑うと、噛みしめるようにもう一度、“いいんです”と呟いた。


八戒は何かを振り切るように立ち上がると、悪戯っぽい表情で俺を見下ろした。
「おなかがすきましたね」
「おー、じゃあ今夜は俺が作っちゃう。何が食いたい?」
「なんでもいいですよ」
「じゃあ、カレーな」
「またですか?」
「なんでもいいって言ったくせに」
文句を垂れる俺に微笑むと、八戒は残りのビールを飲み干した。
白い首筋に目が入って、あわてて目を逸らす。
俺は藍色の空を見上げながら、ゆっくりと最後のビールを呷った。


そうだ。
この先にある雑貨屋へ寄って、花火を買おう。
それで夕飯食ったら花火をして、またビール飲んでこいつのグチ聞いて、三蔵の悪口でも言って笑いあおう。
部屋にやってきたら添い寝して、深く眠るまで見守って。

俺はただ、憧れてたけど手に入らなかった時間を、コイツと取り戻そうとしているだけなのかな。
もし“家族”みたいなもんになれるとしたら、コイツしかいねえって思ってるってことは、俺はコイツを愛してるってことなのかな。
愛ってなんだろう?
いつまでたっても、俺にはわからねえのかもしんねえけど。

なんでもいいか。
コイツがいれば。






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