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1.
「クリームソーダをお願いします」
いつものように注文したら、三蔵がまたか、という顔でジロリと僕を見た。
この人とこんな風に会うのは、長安の目抜き通りから二筋ほど奥に入った場所にあるこの小さな喫茶店と決まっていて、僕はいつもクリームソーダを注文することにしてる。
作り物めいた緑色の炭酸水にアイスクリームとシロップ漬けのさくらんぼが載っている。
幼いころはこんなもの口にしたことがなかったけれど、いつか彼女と映画を観た帰りに入った喫茶店で飲んだのが初めてだったと思う。
今でも鮮やかな緑色を見るたびに、彼女のことを思い出す。
炭酸の泡のように、潔くはじけて消えてしまった彼女のことを。
冷房の効きすぎで少し肌寒い店内に、客はまばらだった。
僕らのほかに二人。
芸能雑誌を読みふけっているいかにも近所の個人商店主といった初老の男性と、咥え煙草で店の片隅に置かれた麻雀のゲーム台と格闘しているよれよれの上着を羽織った中年の男性。
平日の昼下がりにこんな店にやってくるのは、暇を持て余した人なんだろう。
人のことを言えない。僕らだってこの店を出ても、たいして有意義なことなどしやしないのだから。
「飲みますか?」
ちらっと緑色のソーダ水に目をやった三蔵に尋ねてみる。
「いらん」
「アイスクリームだけでも」
「いらねえ」
じゃあさくらんぼを、と言おうと思ってやめておいた。
三蔵は本当は甘いものが大好きなのに、普段めったに口にしない。
禁欲的、という言葉がぴったりくる人だ。
僕の同居人の欲求に任せるような行動とはまるで正反対な雰囲気が可笑しくて、少し笑ってしまう。
三蔵は新聞に目を落としたまま、コーヒーに手を伸ばした。
カップの柄にかかる節だった長い指を眺めながら、僕はその指が扱う武器のことを考えた。
いつもは法衣の懐に潜ませているそれは、今日は薄いジャケットの内ポケットに入れているのだろうか。
ここで会う時は目立たない装いを心がけているようで、今日は穿きこんだジーンズにシャツとジャケットを身に着けている。
いつもと違う雰囲気が、この人が纏う鋭い印象を和らげてはいるけれど。
自らの命を絶てるものを常に身に着けているというのは、どんな気分なんだろう。
そう考えると、僕はいつも自分の胸の中にある冷たい塊に気がついてしまい、後ろめたさに襲われる。
気を逸らすために急いでテーブルの上に置かれた薄汚れたメニューと灰皿に目を移した。
何年も変わっていないらしい角の曲がった黄色い紙には、コーヒーや紅茶、トーストくらいしか記されていない。
灰皿は昔懐かしい、100円を入れると星占いが出てくるという機能を備えたものだ。
暇つぶしと話題づくりには役に立つものだが、僕らは暇でも全然持て余さないし、とりたてて会話もしないので必要ない。
それでもなんとなく財布を取り出して、100円を入れてみた。
選ぶのはさそり座。
巻物のような小さな紙を開いて、あの人の運勢を確かめる。
「なんでさそり座なんだ?」
「いて座も引いてみましょうか」
「いや…」
なにか言いたそうな三蔵に微笑を向けると、小さく舌打ちして目を逸らされた。
二人でいる時にあの人のことを持ち出さないようにしましょうと言い出したのは僕なのに、ついやってしまった。
四六時中僕の頭の中はあの人のことでいっぱいなので、意識していないとよくこぼれ出てしまうのだ。
すみませんと口にしかけて、ますます嫌そうな顔をされたのでやめておいた。
三蔵は眉間の皺を少しだけ深くしながら、煙草を口元にもっていく。
その冷たそうな唇が思いのほか熱く凶暴なことを思い出して、肌が粟立った。
この店を出た後に行う行為とそれに伴う様々な手順を考えて、僕は少し憂鬱になる。
壁にかかった時計が、短く一つ鳴った。
その音が合図のように三蔵がレシートを掴む。
「いくか」
「ええ」
迷いを覚えないうちに応えを返し、素早く立ち上がって三蔵の背中を追う。
溶け残った氷水の中で、赤い果実が僕らを見送っていた。
背徳的で妖しい部屋は、いつ足を踏み入れても胸の奥がひきつる感じがする。
ただセックスをするためだけならば、わざわざ手順をふんでこんな場所にやってくる必要などないのだけれど、僕が言い出したことだから仕方がない。
初めて“てめえを抱かせろ”と言われた時は、本当に驚いた。
そんなことできるんですか、とずいぶん失礼な質問をしてしまった僕に、ここをどこだと思ってんだ?と、三蔵は肩を竦めた。
はあ、と間の抜けた言葉を返した僕に含みのある笑みを見せて煙を吐き出した三蔵には、照れや気おくれのようなものは一切感じられなくて、僕は感心してしまった。
そして女人禁制のこの人の属する世界の中では、男色はめずらしくもない文化なのだと思い至った。
それでもこの人から色事に関する言葉を聞くなんて想像もしていなかった僕は、ずいぶん言葉に詰まってしまったけれど。
結局僕は三つの条件を出して受け入れた。
必ず外で会うこと。あの二人には知られないようにすること。それから、口づけはしないこと。
行為自体が初めてというわけではなかったけれど、男性相手は久しぶりだったから最初は少し不安だった。
以前はどうしても相手を悦ばせなければいけないという義務感があったので、たいていは痛みを快楽にすり替えるような薬を使っていたから。
学生のころ数か月経験した口に出すのを憚るバイトの経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
服を脱ぎ去りベッドで三蔵に触れられるとき(時にはベッド以外の場合もあるけれど)、僕はそっと息をつめて目を閉じる。
時によって長い時間がかかることもあるけれど、いつも与えられる熱と押し寄せる波に身を任せて意識を漂わせているうちに全ては終わる。
この行為の意味は、深く考えないようにしている。
この人の思惑とか、この人を慕う少年の存在とか。
今朝テレビの占いで素敵な恋の出会いがあるでしょうと言われ、無邪気に喜んでいたさそり座のあの人のこととか。
自分があの人のことをどれだけ好きなのか、とか。
考えたら上手くいかないから考えない。考えてはいけない。
行為が終わるとベッドに沈んでしばらく身動きできない僕を残したまま、三蔵はシャワーを浴びて部屋を出ていく。
でも今日はなぜか、シーツに包まったまま打ち上げられた魚のようにぐったりしている僕のそばで、三蔵はゆっくりと煙草を吸っていた。
のろのろと起き上がり視線を向けた僕の頬に、指が触れる。
そのまま、まるで恋人にするようなやさしい手つきで頬を撫でられた。
どうしていいかわからなくて目を逸らした僕に、三蔵は穏やかな声で告げた。
「此処で会うのは終いだ」
「え?」
ぐいと腕を引かれて唇が重なった。
身体中に熱を植え付けても決して唇に触れようとしなかった三蔵の唇が、乱暴に僕の息を奪う。
熱い舌が深く入り込んで、戸惑う僕を追い詰める。
と、唐突に口づけは終わった。
「もう、終わりだ、八戒」
一言ずつ言い聞かせるように耳元で告げられる言葉を聞きながら、僕は妖しい陰影を浮かび上がらせる白い壁紙を、茫然と見つめていた。