ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE





3.梅雨





さむい、と感じて目をあけると、見慣れた天井が見えた。
それから小さな赤い瞳と、その後ろから覗き込む大きな金色の瞳。
「きゅー!」
「あ、八戒、起きた?」
ジープと悟空が声をそろえて語りかけてくる。
僕はゆっくりとまばたきをして半分以上曖昧な意識を覚醒させながら、あぁ、眠ってしまったのかと考えた。
身体中が何となく重くて痛むのは、まだ燻っている眠気のせいか。それとも治りきらない風邪のせいか。
不用意にソファでうたた寝なんかするから、といつもは悟浄に言うようなセリフを胸の中で呟きながら、僕は小さく笑った。
横になっている僕の胸に甘えるように顔をよせるジープを抱き上げながら、悟空が安心したようににこりと笑う。
「よかった!さっきから全然起きないから、どうしようと思ってたんだ。どっか具合悪いのか?」
「うたた寝していただけですよ。いつ来てくれたんですか、悟空?」
「30分くらい前かな。玄関空いてから勝手に入っちゃったけど…ゴメン!」
「構いませんよ。何かあったんですか?」
微笑みを返しながらも、鍵もかけずに眠っていた自分の無防備さに驚いた。最近この辺りも物騒だから、ちゃんと鍵を閉めてくださいね、なんて口うるさく悟浄に言っているのは、僕なのに。
「三蔵が、八戒の所に行ってこいって。それで、何か食わせてもらってこいって…。でも、また今度にするよ」
「大丈夫ですよ。もう起きようと思っていたところですから」
そう言いながら身を起こしたら突然部屋が斜めに傾いたように感じられて、咄嗟に悟空の腕に掴まってしまった。
「だ、大丈夫か?やっぱ具合、悪いんじゃん!」
金の瞳が不安そうに僕の顔を覗き込む。
「ただの立ち眩みです…すみません」
ゆっくりと立ち上がって安心させるように大きく伸びをしてみせると、悟空はホッとしたように笑ってくれた。
三蔵が悟空をこの家に寄こすのは、彼の仕事が忙しい時か僕の様子を知りたい時。
今回は多分…後者なんだろうな。
まずいところを見られてしまったと思いながらも、口止めしても悟空はきっとあった事を何もかも喋ってしまうだろうと考えて、気にしないことにした。


「さて、何を作りましょう?」
「本当にいいのか?」
「大丈夫ですよ。僕もお腹がすきました」
「八戒が作ってくれるなら何でもいいよ。俺も手伝う!」
悟空は嬉しそうに手を洗い、勝手知ったる様子で悟浄のギャルソンエプロンを巻きつけた。
この家にやってきては一緒に簡単な料理を作ることを、悟空は楽しみにしているようだ。飲み込みが早くて意外に手先が器用な悟空は、来る度に一品覚えて帰って三蔵に披露しているらしい。先日は焦げたパンケーキを食わされたと嘆いていたが、三蔵も悟空の進歩を興味深く見守っているようだ。
冷蔵庫の中をのぞいてみると、普段半分以上食材で埋まっているその場所はほとんど空っぽだった。かろうじて残っている野菜と冷凍してある肉では、スープくらいしか作れそうにない。僕は苦笑いしながら食材を取り出すと、冷蔵庫の蓋を閉めた。

二ヶ月程前から、悟浄は三蔵からの仕事を引き受けるようになっていた。大抵は4,5日で帰ってくるが、いつ戻るのかはわからない。
食べてくれる人がいないと、つい自分の食事がおろそかになってしまう。それでもいつ悟浄が帰ってきてもいいように食材だけは用意しておこうと思っていたのに、数日前から少し体調がよくなかったせいで買い物に出ていなかった。なんとか仕事にだけは出ていたが、買い物をする余裕もなく帰宅していた。
少し風邪をひいてしまったせいだろうか。続いている雨の季節のせいだろうか。
辛うじてジープの食事だけは用意していたが、ここ数日、自分はほとんど食事をとっていなかった。不思議なことに、空腹も感じない。

悟空に手順を説明しながら、僕らは台所に並んだ。悟空が人参や玉ねぎを洗うのを眺めながら、僕は包丁とまな板を取り出した。
こうしていると、時折悟浄と一緒に台所に立ったことが思い出された。
食べ終わった食器を洗ったり、食後のコーヒーをいれたり、簡単なブランチを作ったり。
もともと手先が器用な彼は、実は何でもそつなくこなした。面倒がってやらないだけで、多分家事も一通りのことはこなせるのだろう。そうしないのは、きっと僕がここにいる理由を与えてくれるためなのだ。

僕は解凍するために電子レンジに肉の塊を入れながら考えた。
悟浄が三蔵からの仕事で家を空けるのは、これで何度目だろう。今回は一週間たっても音沙汰がない。三蔵に聞いても、ケリが着いたら戻ってくるだろうというだけで、いつ戻るのかはっきりしなかった。
僕は悟浄が居ようが居まいが、何も変わらない生活を送っていた。朝起きて簡単な家事をこなし、昼間は三蔵の仕事を手伝いに寺へ出向くか家で本を読んで過す。夕方になれば仕事に出かけて、夜遅く帰宅する。
だが本当は何をするにも調子がでなくて、気がつくとぼんやりしていたりさっきのように眠ってしまったり。
一緒に暮らしていても普段はすれ違うことが多い人だったが、彼がまったく家にいない日々に未だに慣れることができなくて、僕は戸惑っていた。
悟浄のおかげで、どんなに毎日張り合いをもって過ごせていたのか気がついた。いや、知らないふりをしていただけで、本当はわかっていたことなのだけれど。
悟浄がいないと頭の中が空っぽで、自分が自分でなくなってしまったようだった。
気がつけばその空っぽの頭で、悟浄のことばかり考えている。あんなに繰り返し思い出していた彼女のことでも、彼女との思い出でもその空白は埋められないことに気がついてびっくりした。無理に何か他のことで埋めようとしてみたけれど、気がつくとひたひたとあの鮮やかな紅が入り込んできて、そのうち頭の中が紅一色になっている。
あの人のことばかり考えてしまう。ここにいない、あの人のことを。


「はっかい?」
「あ…すみません」
いつの間にか僕は電子レンジの前でぼんやりと立ちすくんでいた。
心配そうな表情の悟空に微笑みを向けると、二人で悟空が洗ってくれた野菜を剥いていった。
「煮えやすいように、小さめにしましょう」
ゆっくりと人参を切り始めた悟空に声をかけ、習慣のように手が勝手にまな板の上のジャガイモを刻むのに任せながら、僕の頭はまたあの人のことを考えていた。
少し前までは、僕らは二人で三蔵の仕事をこなしていた。あの頃の悟浄は、僕に付き合って不承不承という様子だったのに、一体どういう心境の変化があったんだろう。
ふと二ヶ月程前に4人でピクニックに行った日のことを思い出して、胸の中に苦いものが広がった。
湖を眺めながら親しそうに肩を並べていた悟浄と三蔵の間には、喫煙者同士だからというだけではない親密な雰囲気が存在していた。思わず羨ましいような妬ましいような、複雑な気持ちを感じてしまう程に。
あの日から、悟浄は少し変わってしまったように思う。時折ぼんやりと何かを考えこむようになった。こうやって家を空けることで、意識的に僕と一緒にいる時間を避けている。そして何より、ふとした瞬間に僕を見る瞳が翳っていて、まるでどこか痛みを堪えるようで――。
同居を始めた頃互いの考えていることがわからなくてギクシャクしていた僕らの距離は、小さな衝突や諍いを経て、少しずつ縮まったと思っていたけれど。最近また、悟浄は遠くなってしまった。現実にこうやって顔を会わせる機会が減っているというだけではなくて、心の距離が。
そう思うとひどく堪えた。
知らないうちに僕は、悟浄の気に障ることをしているのかもしれない。あの人の優しさに甘えすぎていることは、嫌というほどわかっていたはずなのに。


「アイツ、まだ帰ってこないのか?」
煮込み用の鍋を用意しながら、悟空が首を傾げる。
「本当に、どうしたんでしょうね。どこかできれいなおねえさんでも見つけたのかもしれませんね」
「ぜってぇアイツ、自分で言うほどモテないって」
悟空は顔をしかめながら首を横に振って、手にしたお玉を振り回した。
「もしかしたら…嫌われちゃったのかもしれませんね」
冗談めかして口に出したら、バカみたいに胸が痛んだ。
「あはは、まっさかぁ。悟浄は八戒のこと、好きに決まってんじゃん!」
屈託なく笑う悟空に微笑みを返して、包丁を握る手元に目を落とした。
そんなことはないだろう。ならばこの距離を、どう捉えたらいいのか。
僕はどこで、間違ってしまったんだろう。

余計なことを考えまいと手元に集中すると、刻んでいる玉ねぎが目にしみて左目から涙が零れた。










(2010.7.1)

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