ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE




11.晩秋





玄関のドアを開けて気がついた。
まるで自分の家じゃないようなよそよそしい空気に、嫌な予感がわきあがる。
急いで八戒の部屋のドアを開けると、ベッドと小さな棚以外何もない。数は多くないけど、あいつが気に入っていた服や本が消えている。
昨日出かける時は、何も変わった様子はなかった。
今夜は帰らないと告げると、いつものように笑っていた。
“くれぐれも飲みすぎないで下さいよ。酔いつぶれたあなたを引き取りに行くのは、僕なんですから。”

「嘘だろ」
空っぽの部屋に向かって 呟きながらも、どこかでやっぱりと感じていた。
いつかこの家を出ていくとわかっていた。三蔵のところに行く日が遠くはないってことも予感していた。
だけどこんなに突然、何も言わずに出ていくなんて。
きれいに整頓された居間のテーブルの上にポツンと置かれた鍵を見つけて、俺は呆然と立ち尽くした。

あいつの勤め先に出向いたら、しばらく休みを取っていると言われた。理由はわからないらしい。
どういうことだ?何があった?
殴り込む勢いで、そのまま長安に向かった。

夜更けだというのに相変わらずの不景気顔で、三蔵は執務机におさまっていた。
「あいつはどうした?」
「誰のことだ?」
「八戒に決まってんだろ!」
落ち着き払った態度に腹が立って、書類で溢れかえった机の上に両手を叩きつけた。
三蔵はペンを放り投げると、煙草に手を伸ばしながら舌打ちした。
「仕事がしてえというから、悟空と遠方にやったが」
「なんで急に…わざわざ俺の家を引き払ってか?」
「そろそろ独り立ちしてえんだろ」
つまらなそうに笑いながら、煙を吐き出す。
「てめえのせいか?」
「俺じゃなくて、お前のせいだろうが」
低い位置から見上げてるくせに、眇めたその目には妙な迫力があった。
「どういう意味だ?」
「何を怖がってるか知らねえが、いつまであんなママゴト続けるつもりだったんだ」
ママゴトという言葉が胸に刺さった。
そうか、あれはそう見えてたのか。
本当は俺だって薄々気づいていた。俺には似合わねえ生活だと。
不釣り合いな同居人。穏やかで温かい生活。終わりが来る日に怯えながら、そろそろと過ごす日々。
もしかしたら、八戒も同じことを感じていたのかもしれない。

黙ったままの俺に、三蔵は呆れたようにため息をついた。
「お前もあいつも、何も見えてねえ」
まるで自嘲するように続ける。
「あいつが誰かの言いなりになるか。これがあいつの意志だ」
それはとても好きなやつを手に入れた男とは思えない、苦い声だった。



それから三日もたつと、家の中はすっかり八戒に出会う前に戻った。
汚れた皿やゴミが山積みの台所を小言を言いながら片づけたり、飯もろくに食わず昼夜関係ない生活を口煩く注意するやつはいねえ。
自由を満喫できるはずなのに、そんな毎日がひどく味気なくてやりきれなかった。
余計なことを考えたくなくて、俺は夜毎盛り場をうろついた。
不思議なことにこんな時に限ってよくツイて、賭場の稼ぎは悪くなかった。
今まで何かあいつの好きなもんでも買おうかと少しは貯めたりしていた金は、景気よく使ってしまった。
毎晩浴びるように飲んで、正気がなくなった頃にヨレヨレになって家に帰りつくか、女の家に転がりこむか。
一か月もそんな生活を続けアル中に片足突っ込みかけた頃に、俺達はあっけなく再会した。

その夜も数軒の酒場をはしごして、馴染みのバーにたどり着いた頃には世界は斜めに傾き揺れていた。
もう少しで何もかもわからなくなる。胸に空いた穴もそこに巣くう悲しみも忘れられる。
こんな風に過ごしていたら、いつかあいつのことも忘れられるかもしれねえ、なんて濁った頭で考えながらカウンターに突っ伏している俺の横に、いつのまにか座ってるというベタな再会。
“こんばんは”なんて落ち着いた声でにっこり笑いながら、八戒は水割りを飲んでいた。

「長安の外れに家を借りたんです。三蔵が保証人になってくれまして。 前から考えてはいたんですよ、いつまでもあなたの世話になってばかりいられませんしね。悟浄、本当は何でもできるんでしょう?ゴミの日だって覚えていますよね。あ、お酒ばかりじゃなくて、ちゃんと食べてくださいね」
「シゴト…」
言いたいことは山ほどあるのに、酔いで働かない頭はどうでもいいことを口走っていた。
「ええ、しばらくは今の仕事も続けますよ」
「しばらく…?」
「取りあえず今は三蔵の目の届く範囲にいなければいけませんし、将来に備えて貯蓄にはげみます。それからは…どうしましょうね」
こんな話をしたいんじゃねえ。なんで突然俺の前から消えたんだと問い詰めようと身を起こした時だった。
「だからあなたは、心置きなくあの人と―」
八戒は一際きれいに微笑んだ。
は?何を言ってる?
意味がわからねえ。酔ってるせいか?
こんな顔をしたこいつを前にも見たことがあった。あれは確か、梅雨明けの日の朝。互いの恋バナを聞くという話をした時だ。

「あ、もうこんな時間。もう帰りますね。また飲みましょう」
八戒は多めの金をカウンターに置くと立ち上がった。
「じゃあ、おやすみなさい」
グラグラ揺れる視界の中、振り返ることなく店を出ていく後ろ姿をぼんやり見ていた。
何も聞けなかった。いや本当は、返される答えが怖かっただけだ。
ふと見ると、八戒の座っていたスツールの上に赤い葉が落ちていた。
上着についていたんだろうか。
そういえば、秋になったら紅葉狩りに行きましょうなんて、話していたっけ。まるで何年も前のことのような気がする。
いつの間にか季節は進んで、秋が終わろうとしている。

ガキの掌みたいな赤い葉を掌に載せて握りしめると、その冷たい感触に少し酔いがさめた。
舌打ちしてカウンターの灰皿を引き寄せ、葉に火をつける。
小さな炎を眺めながら、さっきの笑顔と柔らかな声を思い返した。

忘れることなんか、できるわけがねえ。
まだこんなにも好きじゃねえか。












(2014.12.17)

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