missing you






3.
八戒



歩き慣れた林の中の道に、晩秋にしては穏やかな日差しが降り注いでいる。歩を進める度に、足元では鮮やかな色彩の落ち葉が小さく踊っている。
八戒は昨日までとは違う晴れやかな気持ちで、家路を急いでいた。
昼過ぎのこの時間は、悟浄が目を覚ましているかどうか微妙な時間だ。それでも数日振りに会えると思うと、八戒の心は浮き立った。
最近悟浄のことであれこれ思い悩む日が続いていたのだが、今朝起きると随分気持ちが軽くなっていた。夕べ三蔵に話を聞いてもらったおかげで、心のつかえが洗い流されたようだった。
「さすが最高僧ですね…」
普段は生臭だ、破戒僧だといわれても、いざとなったら頼りになる人だ。自分の悩みを口に出すだけでも、人は心が晴れるものだという。黙って悩みを聞いてくれた三蔵に、八戒は感謝していた。
もっとも珍しく酔ってしまったようで、その話の内容はほとんど覚えていないのだが。
温泉の効果か、肌つやもよくなった気がする。おいしいお料理もいただけたし、最初はあまり気が進まなかった旅行だったが、やはり行ってよかったと八戒は考えた。これでまた新たな気持ちで、悟浄と接することができるだろう。



「ただいま〜」
鍵を悟空に預けていたのを思い出して庭の植木鉢の下から合鍵を取り出すと、八戒は玄関の鍵を開けた。
居間はカーテンが引かれたままで薄暗い。悟浄はまだ眠っているのだろう。
土産の温泉饅頭と地酒をテーブルに置いた八戒は、何気なくソファに目をやって驚いた。
「ど、どうしたんですか、悟浄っ!」
大きな身体を丸くして、悟浄がぐったりとソファに横たわっている。八戒の声に微かに向けられた瞳は、いつにも増して真っ赤に見えた。
「どこか具合でも悪いんですか?熱でも…!」
うなだれたままの悟浄の傍に屈みこんで額に触れようと右手を伸ばすと、突然掌を握られて八戒は目を瞠った。
潤んだ瞳が、縋るように八戒を見上げている。
「どうして」
「え?」
「どうしてアイツと温泉なの?」
悟浄が掠れた声で問いかけた。
「…だって悟浄、忙しそうでしたから」
「だからって、…何で?」
ひどく哀しそうなその表情に、八戒は戸惑った。
「招待券の期限が近かったんで問い合わせたら、昨日しか空いてなくて。三蔵と悟空に行ってもらおうと思ったんですけど…」
「?」
訝しげに眉をひそめる悟浄に、八戒は説明した。
随分前に商店街の福引で温泉旅館の招待券を引き当てたこと。悟浄と行こうと考えて内緒にして驚かせようと思っていたのだがうっかり忘れていて、気づいたら期限が迫っていたこと。悟浄は忙しそうなので一緒に行くのは諦めて三蔵と悟空に譲ろうとしたら、悟空が二人で行ってこいと言ってくれて、断りきれずに急に出かけることになったこと。
「悟空には事情を説明するようにお願いしていたんですけど…黙って行ってしまってすみませんでした」
「なぁんだ」
心底ホッとしたように笑う悟浄の様子に、八戒の胸に愛しさが込み上げた。強く握り締められたままの掌から、悟浄の想いの深さが伝わってきて胸が熱くなる。
「あのサル、そんなこと一言も言ってなかったぞ」
「きっと忘れてしまったんですね」
僕が悪かったんです、と目を伏せる八戒を、悟浄の温かい腕が胸の上に引き寄せた。
腕の中の存在を確かめるように、ぎゅっと抱きしめられる。
「あー…俺も最近忙しかったし、…悪かったな」
「僕こそ…心配させてごめんなさい」
悟浄の忙しさを理由に拗ねていた自分の心の狭さと言葉の足りなさを反省して、八戒は悟浄の瞳を覗き込んだ。
この2日間で、悟浄は少しやつれてしまったように見える。自分の不用意な行動でいらぬ心配をかけてしまったことが悔やまれてならなかった。こんなにも想われているということを感じて、申し訳ない思いと同時に、たまらなく嬉しいと感じてしまう。八戒は悟浄の肩に腕をまわして、その頬にそっとくちづけた。

その時、抱きしめ合う二人の間から、“グー”と低くこもった音が聞こえた。悟浄の身体が空腹を訴えているようだ。
「アレ?」
照れくさそうに笑う悟浄の様子に、八戒は思わず吹き出した。
「昼ごはん食べてないんでしょう?すぐに準備しますね」
「そういえば夕べも今朝も、何も食ってねぇな」
「えぇっ、大丈夫なんですか?やっぱり具合が…」
「なんか食欲なくてサ。でも八戒の顔見たら、急に腹減ってきた」
子供のような言葉に、思わず微笑みが浮かんでしまう。さっきまでのしおらしい様子とは一変、無邪気に笑う悟浄が愛しくてたまらない。
「急いで何か作りますから」
少し名残惜しい気持ちで台所に向かおうと立ち上がった。

その時。



「ちょっと待て、八戒」
「?」
「そこ、…どしたの?」
「え?どこです?」
がばっと起き上がった悟浄が、真剣な顔で八戒の腕を掴み立ち上がった。有無を言わせない雰囲気で、どんどん浴室へと引っ張っていく。
大きな鏡の前で、八戒は茫然と立ち尽くした。自分の首筋に、覚えのない跡がくっきりとついている。
これは…キスマーク!!
「やられた――」
これではまるで、三蔵と何かあったみたいじゃないか。
「…八戒」
鏡の中にひきつった顔の悟浄を見つけて、八戒は焦って振り向いた。
「こ、これは、三蔵がっ」
「やっぱ三蔵なんだ」
「ちがいますっ!これはきっと悪戯で、あの人が…」
強い力で手首を握られ、浴室の壁に押し付けられる。
せっかく悟浄と気持ちが通じ合ったばかりなのに、一体何と言えば誤解が解けるのだろう。八戒は懸命に言葉を探すが、焦るばかりで上手い言葉が浮かばない。
「悟浄っ!」
怒りと悲しみが混ざり合った呼びかけと一緒に目の前の紅い瞳を見つめたら、そこには怒りではなく面白がるような表情が浮かんでいて、八戒はホッとして力を抜いた。
自分たちのもめごとに付き合わされた三蔵の、ささやかな報復なのだと見当がついたのだろう。
だがもし自分が同じ立場ならと考えれば、八戒を笑って許すほど悟浄の心が広くないとしても仕方がないことだ。
そんなふうに想われることに、八戒は悪い気はしない。
しないのだ…が。

「へー、そうなんだ。他にはヘンなこと、されてない?」
確かめさせて、と耳元で囁くと、悟浄は鮮やかな手際のよさで次々に八戒の衣服を落としてゆく。
「や…ごじょ…っ…まだ昼、なの、に…っ…ぁあん」
悟浄から与えられる慣れた刺激に、身体が勝手に悦びを感じ始める。
それでも理性を振り絞って胸の辺りを這う不埒な掌を押さえると、八戒は精一杯の抗議を試みた。
「何も食べてないんじゃないですか!」
「ここはやっぱ、お前が先でしょ」
当然とばかりにニヤリと口元を引き上げる悟浄の表情に見とれた隙に、惑わすように深く口づけられて力が抜けてしまう。
「僕なんか…色気も、ないのに…」
八戒の吐息交じりの呟きに面白そうに眉を上げた悟浄は、八戒を後ろから抱きしめるとそのまま鏡に向かわせた。
「誰が色気がないって?鏡ン中の自分の姿、よ〜く見てろよ、八戒」
耳朶を優しく舐めて囁くと、悟浄はシャワーの栓を捻った。二人の頭上に温かい雨が降り注ぐ。
すぐに浴室は、艶かしい息遣いと互いを呼びあう甘い声で満たされた。







(2010.1.24)

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