夜明け前
2.
悟浄と共に暮らし始めた頃、三蔵に “よごれもの”と言われて以来、八戒はその言葉が妙に気になっていた。
ぐずぐずと闇に囚われていた自分の身を見透かす言葉に、小さな反発を覚えながらも妙に腑に落ちたのを覚えている。
確かに自分たち四人は各々が理解者も居場所もない、世間からはみ出した存在だ。
さも自分たちを指しているような言葉だが、恐らくあの言葉を使った時の三蔵の頭の中には、悟空の存在はなかったのだと八戒は思う。
三蔵は悟空のことを、汚れているとは考えていないだろう。自分が悟浄のことを、わが身と同じ汚れ物とは、思えないように。
誰よりもきれいな心を持つあの男を、自分と同じように称することなどできはしない。
さて汚れ物同士、どうやって夜を明かそうか。
八戒は不機嫌に黙り込む三蔵に目をやった。
まずは傷の手当だ。
衝撃を和らげるために落下しながら地面に向かって気功を撃ったために地面に叩きつけられることはなかったものの、結局二人は肩から落ちることになってしまった。
心積もりのあった八戒は衝撃に備えることができたが、三蔵は着地の時に八戒の腕の中から外れてしまい、受身を取りながらも肩を叩きつけてしまったようだった。訳もわからず飛び降りたのだから無理も無い。
見たところ痛みながらも動かすことができるようなので骨折はしていないようだが、顔色が悪かった。
八戒としては一刻も早く治療をしたい所なのだが、この頑固な人はどうにも傷を見せてはくれそうにない。
「肩を見せて下さい」
「いらねぇよ。それよりてめぇの面倒をみろ」
「僕なら大丈夫です。自慢じゃないけど、回復力はあるんですよ」
口汚くも気功を使いすぎる自分の身体の心配してくれる三蔵に、八戒は安心させるように微笑んだ。
「これもこんな身になったからこそですから。感謝しなくてはいけないんでしょうね」
その言葉は少し自虐的に響いてしまって、三蔵の機嫌をますます損ねたようだった。
自分はいつも一言多いと胸の中で舌打ちして、同時にいつもながらの三蔵の強情さに呆れてしまう。
「相変わらず頑固ですね」
「うるせぇ」
目つきを一層険しくして横を向いてしまった三蔵に、八戒はため息をついた。
仕方がない。言い出したら聞かないのは、身にしみてわかっていた。
諦めるふりで伸ばした腕を引っ込めながら、この人が眠ってからならなんとかやれるかもしれない、と考えた。何しろ怪我をさせたまま、あの二人に会わせるわけにはいかないのだ。
とりあえず身を寄せたこの場所は、岩が軒のようにせり出していて雨を凌いで隠れるには打ってつけの場所だった。崖の上から見下ろしても、この雨では見通せないだろう。男二人が夜明かしするには少々窮屈だが、贅沢はいっていられない。
八戒は軒の下から出て、雨に濡れながら崖の上を見上げた。
随分前から追っ手の気配は感じられなかった。どうやら今夜の追跡は諦めたようだ。残り僅かな敵がこの雨の中、わざわざ道を探して深い崖下のこの場所まで下りてくるとは思えない。
だが同様に悟浄と悟空の気配も感じられなかった。
二人のことだから無事だとは思うが、森の中に残してきたジープのことが気にかかった。うまく二人と合流できているといいのだがと少し心配になる。
だが今ここであれこれ考えても仕方ないことだった。自分たちのように夜明けまで、どこかで雨宿りをして過ごしているだろう。
「もう灯りをつけても大丈夫でしょう」
八戒は上着のポケットの中から小さな金属の箱を取り出した。不測の事態に備えて、いつも携帯しているものの一つだ。
中には小さなろうそくが何本か並んでいる。幸運なことにあの戦闘でも割れていなかった。
三蔵が放ってよこしたライターを受け取ると、八戒は岩の奥に腰の高さほどの位地にある平らな場所を見つけてろうそくを灯した。
小さな光が岩壁にもたれるようにして座り込んだ三蔵の姿を映しだした。
顔色があまりよくない上に、痛めた左肩を右の掌で擦っている。なるべく早く治療したほうがよさそうだった。
八戒の視線を感じた三蔵は、眉間に皺を刻んで八戒を見上げた。
「やはり治療しませんか?」
八戒は屈みこみ、三蔵の目の前に右手を伸ばした。
「勝手に触るんじゃねぇ」
予想通りの返答と一緒に弾かれた自分の手には特段驚きもしなかったが、思っていた以上に苛立っている三蔵の様子に思わず苦い笑いが込み上げた。
気が立っているのは自分だけではなかったようだ。目の前の紫がこっちに近づくなと言いたげに揺れている。
一日の終わりに痛みと疲れと空腹と抱え、纏わりつくような雨の気配を感じながらこの顔合わせで夜明かしとなれば、互いに苛立つのも仕方がないことだ。
「あなたはもっと、自分を大切にしてくださいね」
八戒はできるだけ穏やかな微笑みを浮かべると、弾かれた右の手を開いて三蔵の前にライターを差し出した。