君という光
9.
はぐれてしまった悟空を探し出して宿に帰り着くと、八戒は二人に積み込みを任せて三蔵を探した。
「悟浄も手伝えよ!」
むきになる悟空をからかう悟浄の声を背中に聞きながら、建物の中に入る。
朝から三蔵とほとんど話をしていない。それどころか共に朝食をとっていても、まともに顔さえ見ていなかった。
今日のルートの相談をしなければいけないのに。それから買い忘れているものがないか確認して、この先の予定についても確認して、それから…
ロビーにも食堂にも三蔵の姿はなかった。
階段を上り夕べ過ごした部屋を覗いて見る。
古ぼけたベッドを覆うシーツのやけに白い色を目にして、八戒は思わず立ち竦んだ。
悟浄には平気な顔をして見せたものの、昨夜の出来事はひどく八戒を動揺させていた。
落ち着かない気持ちで部屋の中を見回し、窓際に置かれた灰皿に目を止める。
昨夜その場所で、不思議な色の月を睨みつけるように見上げていた三蔵の横顔を思い浮かべた。
何かに憑かれたような激しい表情で八戒を見据えた瞳。そこに浮かんでいた初めて見る欲望の色。触れられた掌の熱さ――
今でも信じられない。
まさか自分が三蔵とあんな関係になってしまうなんて、夕べまでは想像もしていなかった。
三蔵の申し出はあまりに意外で、一時の快楽を得るためだけの関係なのだと割り切ってその申し出を受け入れたものの、八戒はどこかでその言葉を本気にしていなかった。
三蔵に組み敷かれていてもこんな行為は三蔵の気まぐれで、途中で"やっぱりやめだ"と言われるのではないかと考えていた。
三蔵を見くびっていたのかもしれない。
あんなに平然と振る舞えた自分が今でも信じられない。まさか最後まで求められてしまうなんて…。
相手が三蔵だったためなのか、行為自体が久しぶりだったためなのかわからない。
八戒は感じたことのない程の身体の熱さと快感に、困惑しながらも夢中になった。
いつもは研ぎ澄まされた刃物のように冷ややかな瞳が、激しい熱情と欲を宿しているのを見たときに、胸の奥がぞわりとかき乱されてひどく息苦しくなった。
熱い手に腰を掴まれて、快感で我を忘れた。
それから後のことは、よく覚えていない。ひどく恥ずかしい姿を曝したことだけは、確かだった。
今までの短くはないつきあいで、三蔵からは性的な雰囲気が全く感じられず、本気で色事に興味のない人間なのだと思っていた。
性格や行動に問題があるとはいえ、玄奘三蔵などという希有な地位に昇る人なのだ。
その容姿の美しさや心の強さ同様、世俗からかけ離れている人なのだと思っていたのに。
八戒は熱をもつ頬を宥めるように、両手を当てた。
その時、部屋の隅に置かれた時計が目に入った。
出発予定の時間が過ぎていることに気がついて、小さく頭を振る。
「しっかりしなくては…」
呟いて、足早に部屋を後にした。
階段を下りフロントの脇の廊下を進むと、奥に中庭へ続く扉があるのに気がついた。
中途半端に開いた扉の隙間から、嗅ぎ慣れた煙草の匂いが漂ってくる。
八戒はそっと扉を押し開けた。
そこは四方を建物に囲まれた狭い中庭だった。足元には所々に夏の草花が茂り、中央に小さなクスノキが配されている。
建物に沿って何脚か置いてある長椅子の一つに腰掛けて、三蔵は新聞を読んでいた。
「こんな所にいたんですか」
いつも通りに話しかけたつもりだったのに、声が震えてしまう。
「もうすぐ積み込みが終わりますから、出発できますよ」
三蔵は新聞を畳みながら立ち上がった。
まるで昨夜のことなどなかったかのようにいつもと変わらぬ不機嫌な瞳が、一瞬も八戒の上で止まることなく通り過ぎる。
この胸の痛みは、三蔵の様子が普段と変わらないためなのだろうか。
三蔵は手にした煙草を備え付けの灰皿に突っ込むと、八戒の脇を通り過ぎながら面倒そうに呟いた。
「出発は延期だ」
「え…?」
建物の中に消えていく後ろ姿を見送る八戒の肩に、ポツリと水滴が落ちてきた。
「あ」
空を見上げた八戒の頬に、パラパラと雨粒が降りかかり始める。
小さな水滴は、すぐに細かな糸となって降り注ぎ始めた。
濡れるのもかまわずに、八戒は呆然と空を見上げていた。
いつも人一倍雨の気配に敏感なはずなのに、今日は全く気がつかなかった。
どうかしている…
八戒は眉を寄せた。
雨が降ったらジープでは走れない。
ということは…、今夜もここに泊まるということだろうか。
「ラッキーだな、八戒。ゆっくり休めるぜ」
突然背中から聞こえた声に、八戒は弾かれたように振り返った。
雨に濡れて佇む八戒を眺めながら、悟浄がのんびりと髪をかきあげる。
「飯食ったら昼寝でもすっかー」
その声にハッとして、八戒は悟浄にきつい視線を向けた。
荷物をジープに積んだままだということを思い出したのだ。
「大変だ、悟浄も手伝って下さい!」
尚ものんびりと煙草をふかす友人を急かして駆け出しながら、八戒はどうしようもなく胸が痛むのを感じていた。