君という光

             



6.






「明日は朝食を済ませたら、買い出しに付き合ってくださいね」

昨日のうちから何度も八戒に言われていたのに、悟浄はすっかり寝過ごした。
朝にはめっぽう強い小猿が元気すぎる大声で何やら喋っていたのはぼんやりと記憶にあるのだが、そのまま二度寝をしてしまったのだ。
「あ〜ぁ」
寝乱れた髪をかき上げながら、悟浄は欠伸交じりに大きく息を吐き出した。
"ため息をつくと、一つシアワセが逃げていくのよ"という、昨夜のおねーちゃんの言葉を思い出す。
"幸せ"というものがどういうものかはよくわからないが、"逃げていく"と聞けば惜しい気がする。
さしずめ昨夜の"幸せ"とは、あのねーちゃん自身だったに違いない。

野宿続きで疲れていても、街に入れば悟浄の足は自然と酒場に向かう。
野郎4人の旅において、一人になれる貴重な時間なのだ。他の三人になんと言われようが、この習慣は守られるべきだ。自分の正常な範囲の欲求を満たすためにも。
だが夕べは胸がざわついて、普段なら好ましいはずの酒場の喧騒が妙に気に障った。
不機嫌にため息をつく悟浄をからかうように、隣に座った女は件のセリフを口にしたのだった。
黒髪を耳元で揃えた、チャイナドレスの裾から覗く脚がキレイな美人だった。
その気がないわけでは無さそうだったのだが、結局ナニゴトにも到らず悟浄は宿に戻った。

今思えば、ここ最近になくオイシイ状況だった。
だが滅多にないチャンスを棒に振るほど、昨夜のあいつらの様子が気にかかっていたのだ。
八戒と三蔵。
たしか、この組み合わせで同室になったのは初めてだったはずだ。
悟浄の見るところ、三蔵は八戒と二人きりになる状況を避けていた。
本人はさり気ないつもりでも、傍から見ればまるわかりだ。その頑なさの理由も。
まぁ、一晩くらい問題ないだろう。
そもそも自分は八戒を気にしすぎだ。ガキじゃあるまいし。ハタチを過ぎたいい大人に何が起ころうが、自己責任。
あのトーヘンボクと鈍感モノとの間に何かが起こるとも思えないが。
これじゃまるで嫁入り前の娘を持つ父親みたいだと考えて、悟浄は小さく笑いながら食堂と言われた部屋に入って行った。





「あ、悟浄だ。おっはよう!」
威勢のいい声に目を向ければ、窓際のテーブルについた三人の姿が目に入る。
悟空が大きく腕を振っていた。
「遅せぇぞ」
三蔵が新聞に目を落としたまま、不機嫌そうに唸る。
「おはようございます」
手にしたコーヒーカップを下ろしながら、八戒が振り向いた。
「…おぅ」
片手を上げて応えながら、微かに感じる違和感に悟浄は僅かに眉を寄せた。


"何?この感じ…"


「なんだかよく眠れなくてさ〜」
悟浄は三蔵の向かいの席に腰を下ろしながら、シャツのポケットを探って半分潰れたハイライトの包みとライターを取り出した。一本抜き取り銜えながら、目の前の男の様子をうかがう。三蔵は一瞬顔を上げたが、悟浄と目が合うとすぐに新聞に視線を戻した。
「夜遊びが過ぎたんじゃないですか?」
部屋の隅においてあるサーバーからコーヒーを注いでいた八戒は、悟浄へとカップを手渡した。
触れた指先がいつになく熱い気がして、悟浄は八戒の顔を見上げる。だが八戒は、素知らぬ顔で微笑みを返した。


悟浄は煙草を深く吸い込みながら、テーブルの上の食器を片づけ始めた八戒の様子を眺めた。
両手に食器を持ってこちらを見下ろす姿はいつもの八戒だ。
だがどこか、いつもと違うのだ。
「買い出しの約束、忘れていませんよね?」
無理にテンション上げているような、気の張った声。それはちょっと掠れているし。
いつも涼やかな目元が今日は少しはれていて、しかも疲れたような表情で。そのくせ朝から妙に艶っぽかった。
「なあ八戒、具合悪いンじゃないの?」
ほら、サルにだってわかるくらい。
「大丈夫ですよ、ちょっと風邪気味なだけですから」
八戒は安心させるようににっこりと笑った。相変わらず笑顔で誤魔化すのは得意技だ。
だか悟浄の目は誤魔化せない。それを八戒も分かっているのか、さっきからまともにこちらの目を見ようとしなかった。



「コーヒー」


その時、感心するほど偉そうな態度で、三蔵がカップをテーブルに滑らせた。
自分の方に押しやられたカップを八戒は少し肩を強ばらせて見つめた。それからゆっくりとカップを持ち上げると、先ほどと同じようにコーヒーを注ぎ戻ってくる。三蔵の前にカップを差し出した指先と受け取ろうとした三蔵の手が一瞬触れそうになって、八戒が慌てて手を引いた、ように見えた。
いつもなら流れるように自然にされる仕草が、今日に限ってぎこちない。
さっきから八戒は不自然なほど三蔵の顔を見ようとしないし、三蔵は新聞から目を逸らさない。


"あぁ、やっぱり…ね"


悟浄は複雑な思いで二人を眺めた。
「なぁなぁ、俺も買い出し行っていい?」
「もちろん。荷物持ちが多いと助かります」
悟空が八戒にねだるように尋ねると、八戒はホッとしたように微笑んだ。
八戒は悟空に甘い。荷物持ちと称して何かと食べ物を買ってもらうのが悟空の楽しみなのだ。
だが今日は本気で八戒の体調を心配しているようだった。

「じゃあその前に洗濯をすませますね」
「俺も手伝うよ」
その場から逃れる言い訳のような八戒の言葉に、悟空も立ち上がった。
「後で悟浄もお願いしますね」
「りょーかい」
念を押すようにかけられた言葉に、悟浄は右手の敬礼で応えた。
そんな悟浄の様子にうなずくと、八戒は悟空と食堂を出ていった。






テーブルには、悟浄と三蔵だけが残された。
「相変わらず働き者だねぇ」
悟浄は八戒の背を見送りながら肩を竦めた。
三蔵は無言で新聞を畳むと、まだあまり吸っていない煙草を灰皿に押しつけた。
「少し働き過ぎなんじゃねーの?」
「あいつは馬鹿だから、どうせ何言っても聞かねぇだろ」
三蔵の言葉に、悟浄は皮肉気に目を細める。
「へぇ…、よくわかってるんだ、あいつのコト」
「だが馬鹿なのは、あいつだけじゃない」
吐き捨てるような呟きに、悟浄は片眉を上げ、立ち上がった三蔵を見上げた。
それはオレのことか?と言い返そうとして、悟浄は言葉につまった。
三蔵の口元に、見慣れないものを見つけたからだ。

それは…"自嘲の笑み"、なのだろうか?



「おい…」

呼びかける悟浄の声を無視して、三蔵は部屋を出ていく。
残された悟浄は眉を顰めて煙草を揉み消した。


"お前ら一体、何やってんだ?"








(2009.6.19)

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