アンダンテ




5.




八戒は長安へ向かっていた。
腑に落ちない思いが、荒れた山道を急がせた。
腕には布で丁寧に包まれた仏像を抱いている。
僧たちは門前では不遜な態度で立ち入ることを拒んだのに、寺院に入ると不思議なほど何の咎めもなく仏像を渡してよこした。
それは三蔵法師の代理として訪れた使者への応対として相応しい振る舞いだった。
ならばなぜ、門前払いを食わせようとしたのだろうか。
あの時の僧たちの、悟浄ばかりをターゲットにした物言いが引っかかった。
悟浄がハーフであることに気が付いたのだろうか。
妖怪に対する差別を八戒も知らないわけではない。
仏の教えに近い場所にいる者でも馬鹿げた偏見から逃れられないことを、寺で過ごした数ヶ月で八戒は身をもって知っている。
だが不思議なのは、悟浄の行動だった。
かなり強引についてきた割に、あっさりと帰ってしまった。
あれではまるで、彼らの悪意を受けるためについてきたようなものじゃないかー―。
そう思い至って八戒は思わず足を止めた。
まさか、あの人…
流れる汗を拭いながら、八戒は預かった包みを握りしめた。
認めがたいことだがあんな不当な扱いを受けることに、悟浄は慣れている様子だった。
漏れ聞いた彼の生い立ちから、辛い環境で育ったことは想像がつく。
長じた今でも、︎その素行も相まって不当な差別と無縁とは思えない。
だがたとえ慣れているからといって、傷ついていないはずがない。

息を切らして部屋に駆け込んだ八戒を、三蔵はいつもと変わらない不機嫌顔で迎えた。
八戒は手にした包みを三蔵の目の前の机に置くと、身を乗り出した。
「今回の仕事について、悟浄に何か話しましたか?」
「昨日アイツがここへ来た」
「え?」
「どんな寺かとしつこく聞かれたから、僧正は偏見まみれのクソジジイだと教えてやった。俺が三蔵やってるのも気に食わねえような奴だ。仏像もすんなり渡すとは思えねえから、一言二言嫌味くらいは言われるだろう。だが、最後には渡さねえはずはねえとな」
「そんな所に、なんでわざわざあの人は行ったんですか。嫌な思いをするとわかっていて、なぜ‥」
「決まってるだろ」
そう言って、三蔵は皮肉な笑いを浮かべた。
「それが自分の役割だと思ったんだろう」
「何ですか、それ」
「くだらねえ偏見がお前に向けられるのを防いだってことだろ」
「僕は自分が負った業は自分で背負う覚悟はできています」
「そんなこと、あいつだってわかってるだろうよ」
そうだ。
わかっていても放っておけない人なんだ。
道端で絶命しかかっている罪人を連れ帰って看病してしまうくらいなのだから。
「俺には関係ねえ」
三蔵は面倒そうに横を向いて、もう話は終わりだとばかりに手を振った。
「ええ、そうですよ。僕らの問題です」
この人には関係ないとわかっているのに涙が出た。

失礼しますと言い置いて、八戒は早足で部屋を出た。
歩みは徐々に速くなり、気づくと駆け出していた。

あの人は、僕のために嫌な思いをしについてきたということか。
なんてお人よし。
いや、なんていう、自虐趣味だ。
僕のことを、つまらない自虐趣味などと笑っていたくせに。
人のことを言えた義理か。

八戒は胸の内で毒づきながらも、そんな悟浄の思いに気づけなかった自分に無性に腹が立った。
彼が育った境遇を推し量れば、自虐に傾くのも無理はない。
悟浄が自身を責める思いは、想像以上に深く彼の心に刻まれてしまっているのだろう。
それは幼い柔らかな心に植え付けられた呪いのようなものだ。
八戒は、自身が他人から非難されるのは自ら犯した罪のせいなのだから当然のことだと思っていた。
だが、悟浄はー―
“半妖”であることは彼が選んだわけではないし、何の罪でもないのに。


こんなふうに悟浄は、誰かために幾度も傷ついてきたのだろうか。
どれだけの人が、あの人に守られてきたのだろう。
それを思うと、胸の痛みと同時に怒りが湧き上がった。
勝手なことに、八戒は妬いていた。
悟浄に愛され大切にされてきた者、全てが厭わしい。

気づけば家に帰り着いていた。
勢いよくドアを開け、赤い髪を探す。
「お、早かったな」
悟浄はソファにもたれてテレビを眺めていた。
煙草の煙を吐き出しながら、なんでもない顔で笑っている。

なんでもないはずがないのに。
なんでもないことにしているのだ。
この笑顔の下に隠された傷は、いつか癒える時がくるのだろうか。
この人を心から愛する人が現れたら。
いつか、誰か。
誰か?
そんなの、嫌だ!
それがどこかの誰かなんて…許せない。













←back / next→


←novel