アンダンテ
3.
「何であんなこと、いうんですか?」
八戒は自分より僅かに高い背丈と僅かに広い背中を睨み付けた。
帰宅するなりキッチンに向かい始めた悟浄は、
「あ〜腹減った」
などと呟きながら米をとぎ、冷蔵庫から野菜を取り出して刻んでいる。
「え?なんのこと?」
少し遅れて悟浄が顔を上げた。
「僕たちがラブラブだとかいう、アレですよ」
「お前が言って欲しそうだったから」
ぬけぬけと言うと、悟浄はまな板の上に視線を戻した。
いつの間にか包丁さばきが板についている。
「誰がですか!」
「あぁ、悪い悪い、冗談よ。外堀から埋めていこうと思ってさ」
玉ねぎが沁みたのか、ポロポロと涙を流しながら振り向いて笑う。
玉ねぎごときで泣くなんて、まだまだだな。
八戒は、初めてこの家の台所を目にした時の荒れ様を思い出した。
シンクには汚れた皿やグラスが積み重なり、ゴミも溜まって悲惨な状態だった。
お約束のように、冷蔵庫の中は酒類ばかり。
一切炊事はしないのだと言っていた悟浄は、同居を始めて八戒が食事を作り始めると時折台所に立つようになった。
八戒の様子を見ているうちに興味を持ったらしい。
料理を作ることに馴染みがなかったが、もともと器用な質なのだろう。
少し教えただけですぐにコツを覚えてしまい、最近は必要ならば簡単な料理は作ってしまう。
今も悟浄は、電子レンジを使いこなして手早くカレーを作っている。
やがてキッチンがいい匂いに包まれて、美味そうなカレーが食卓に置かれた。
「さあ、食おうぜ」
悟浄はスプーンを手にしながら、満足げに笑った。
八戒はその顔をみて、自分もひどく空腹なことに気がついた。
結局美味いものには敵わない。
二人で向かいあいながら、いただきますと唱えあった。
「なんで僕なんですか?」
「お前が餌付けしたんじゃん」
「そんなつもりじゃありませんよ。それにもう、十分自分で作れるじゃないですか」
「まだ鉄人の域に達してねえし」
「一体なんになるつもりですか?」
笑いあいながら過ごす、穏やかな日常。
こんな時間は、あの人と持つことはないのだろう。
住む世界が違う人。
だからこそ、どうしようもなく惹かれてしまう。
「お前、三蔵に告ったこと、あんの?」
「ありませんよ」
悟浄は呆れたような顔で「らしくねぇな」と呟くと、ビールを飲み干した。
「当たって砕けたらいいじゃん。そしたら俺が慰めてやるし?」
「真っ平ごめんです。僕はこうしてあの人の近くにいて、時折役に立てれば十分なんです」
「へー、殊勝な心がけだこと。一体、あの無愛想な坊主のどこがいいわけ?」
「きれいだから」
「あ?」
償いきれない罪を犯した自分でも、あの人の傍にいれば、少しはきれいなものになれるような気がして。
「僕なんかが側に寄るのも不似合いなのは、十分わかっています」
「は?つまんねえ、自虐趣味」
「放っておいてください」
「そうはいかねぇ。アイシテルし。好きな奴が自虐に浸ってるのを、放っておけるわけねえだろ?」
悟浄はニヤリと笑ってみせた。
考えれば住む世界が違うという点では悟浄だって同じだ。
ガラが悪くてヤンキーで、生活同様女性関係もずいぶん乱れているようだし。
でも出会った時から、どこか通じ合えるものを感じるのだ。
都合のいい勘違いかも知れないけれど。
だから寺を出ることを許された時、悟浄の顔が見たくなってこの街に立ち寄った。
三蔵は行き宛がないならば寺に残ってもいいと言ってくれたが、八戒はただ、自分なんかがきれいなあの人の側にはいられないという頑なな思い込みから寺を出たのだった。
「デート楽しみだな」
「はい?」
「行き先が寺っつうのがシケてるけど、たまには二人で出かけるのも悪くねえよな」
「以前は三蔵の仕事をあんなに嫌がっていたじゃないですか」
「好きな奴とは片時も離れたくねぇじゃん」
「そんなとっておきの声で口説いても、僕はおねえさん方のようにはいきませんよ」
「やっぱり?」
悟浄は笑いながらウインクして見せた。
全く、冗談か本気かわからない。
八戒は上機嫌にビールを飲み干す悟浄を眺めながら途方に暮れた。