セロハン
3.
俺たちの通っていたのは中・高一貫の私立校だ。
金持ちのボンボンもいりゃあ、奨学生もいる。理事長は親父の知り合いで、抜け目のねえ狸ジジイだったが。
まあまあ自由な校風で、小規模ながら寮もあった。
悟浄のヤツがその寮に入ったのは、家の事情ってやつだ。
ヤツは与党政治家の私生児だった。その政治家とヤツのおふくろが心中した後、義母に引き取られていたヤツは酷い虐待を受け続け、見かねた長男が親父に相談に来たらしい。
結局親父の口利きで、ヤツは家を出た。
あの頬の傷はたぶん義母につけられたんだろう。
“いいアクセントじゃありませんか” あいつはそんなふうに言っていたが。
ケンカや喫煙でしょっちゅう謹慎処分になってはいたが、身元引き受け人の親父は笑うだけだったし、ヤツも親父には気を許していて、ハナから気にくわねえヤツだった。
そして、実はあいつも、悟空と同じく親父の養護施設の出身だ。
もっとも、まだ赤ん坊の頃に里親に引き取られたそうだが。
その里親との折り合いがあまりに悪く、奨学生として寮に入るよう勧めたのはやはり親父だ。
とにかくあいつは頭がキレすぎた。その分可愛げの欠片もない子供だったんだろうよ。
“オマエに言われたくないと思うぜ〜” 悟浄はニヤけながらそうぬかしやがったが。
綺麗なツラで、おまけにスキップ制度で大学の授業を受ける許可を得たほどの秀才だ。やっかみ半分でからまれていたあいつを、気まぐれで助けたのが悟浄だ。
正反対にも思えるあいつらは何故か気が合ったらしく、一緒にいることが多くなった。
あいつは親父との間に“金儲け”という共通の趣味があり、あいつの指南のもと、株式売買で相当な収益をあげていた。
親父は施設のために金が必要だったし、あいつは一日も早く自立するための資金を貯めるつもりだったんだろう。
時々、親父との“仕事”が終わったあと、あいつと話し込むこともあった。
俺もあいつも本が好きで、ときにシニカルな評価を下したり、内容について議論したり、それは俺の気に入りの時間だった。
あいつは無駄な恨みを買わねえよう、徐々に人当たりの良い笑顔と穏やかな態度で周りを欺くことを覚えていったが、親父や俺や悟浄の前では喰えねえ性格を隠さなかった。
それでも、ときたま見せる子供のような笑顔に、胸のどこかを掴まれたような気がした。
そして、それはたぶん俺だけだったわけじゃねえ。
親父を通して、なんとなくつるんでいた俺たちに変化をもたらしたのは一人の女だった。
高等部から編入して来た、もう一人の秀才。それが、花喃だった。
「彼女は貴方の双子のお姉さんなんですよ、八戒。」
静かに告げる親父の前で、すでに二人は聞かずともわかっていたと言いたげに微笑みあっていた。
俺の眇めた目と、悟浄の視線が剣呑さを帯びたのに気付き、互いにそっぽを向いたが、盛大に舌打ちしてえ気分だった。
あの女の里親は交通事故に巻き込まれてあっけ無く亡くなり、結局あの女も親父が引き受けて寮に入れたのだ。
つまり俺たちは全員、親父の庇護のもとで学生生活を送っていた。
一見、何事も無くつるんでいるようでいて、実際は危ういバランスだったが。
何故なら、あの女の弟に向ける気持ちは、どう控えめに見ても家族愛ではなく、悟浄のあいつに向ける気持ちも、親友への友愛と受け取るのは無理があった。
俺は恋愛なんぞに振り回されるつもりは毛頭ねえから、黙って端から見ていた。
同学年で始終一緒にいる3人は、あの女を取り合う三角関係と思われていたしあの女と悟浄はデキているという噂を否定するでもなかった。
そう思わせている方が都合が良かったのも確かだ。
あいつはあの女にどんどん引きずられていった。
まあ、無理もねえ。
あの女は強い上にメチャクチャなやつだった。
悟浄でさえ、あの女と遊ぶのは面白くて仕方ねえというふうに良く笑っていた。
そう、とにかく賑やかだったのだ。あの女が来てからというもの。
“悟能”と、少し高い声で呼ぶのを思い出す。
学校にいる時以外、あの女はあいつをそう呼んだ。愛しそうに。
「あなたは忘れているでしょうけど、私は覚えているの」
一緒に置き去りにされた双子の、女の方には名前の書いた紙が挟まれていたが男の方には何もなかった。だから“八戒”の名付け親は親父だ。
あの女は自分には胎児記憶があるのだと言いはった。
母親は体内の自分達に“花喃”“悟能”と呼びかけていた、と。
それほど愛情深い母親が、生まれたばかりの子供を手放したりするか!とは、口に出さなかったが、それまでの“八戒”を偽物と言われているようでムッとした。
おまえはどう思うんだ、とあいつに尋ねたことがある。
“彼女は僕の存在を知らされていたんです。だから、いつかきっと会えると念じながら、自分だけの呼び名を付けていたのでしょう。嬉しいですよ、その気持ちが、とてもね。”
透き通るような笑顔で、あいつはそう答えたが、その時には俺は薄々気付いていた。
あいつの気持ちが誰に向かっているのか、ということに。
あいつら三人の曖昧な関係も、卒業を前についに変化せざるを得なくなった。
先年、大学に進んだ俺は、付かず離れずのかまえで傍観を続けていた。
それは立春とは名ばかりの、まだ凍えるほど寒い日だった。
親父の不在を知らずに訪ねて来たあいつは、珍しく所在無げな様子で、俺の目も見ずに独り言のように呟いた。
「僕は日本に残ることにします。」
つまり花喃と共に留学はしない、という意味だ。
すでに国内のいくつもの大学から授業料免除で誘われていたが、海外の有名校には、行きたいからといって行けるもんじゃねえ。
将来を考えればあの女の誘いももっともだった。
が、窓の外を眺めながらも、あいつの横顔には決心が浮かんでいた。
誰かに宣言することが必要だったんだろうよ。
卒業したら大学の寮住まいか、と聞いた俺に、ようやく正面から向き直ったあいつは
「いえ、悟浄と二人で部屋を借りようと思って」
と、少し照れたような顔をした。
「二人で折半なら家賃も浮くし、悟浄って何だか放っておけないんですよね…」
それは近親相姦か同性愛かという不毛な三角関係に、ともかくも決着が着いたということだ。
俺が安心とも不安ともつかない妙な心持ちになった時、親父が帰宅した。
答えを出したあいつに親父は黙って頷くと、あちらに行くまで花喃はうちで預かりましょう、とニコやかに言うのを聞き、突然の災厄に呆然とした。
冗談じゃねえ。あの跳ね返りと半年も暮らすのはまっぴらごめんだ!
だが、もちろんこの寺にあの女が暮らすことはなかった。
生きている花喃、は。
(WIRED/2011.12.22)
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