セロハン

             





14.




音が聞こえる。
いや、音というよりメロディだ。
聞き覚えのある、僕にとっては大切な・・
と覚めきらない頭でぼんやりその音を追っているうちに、それが悟浄からの着信メロディだと気がついて、慌てて枕元の携帯を取る。
「オマエ、まだ寝てたの?もうすぐ昼だぜ。」
笑いながらも気遣うような声に、これ以上心配をかけてはいけないと思い当たって、なるべく明るい声で返事をする。
「ぐっすり寝たのですっきりしました。悟浄はそろそろ出かける時間ですか?ライブは1時開場でしたっけ?悟空さんによろしく伝えて下さいね。」
「ああ。オマエ、無理しねえでちゃんと三蔵に送ってもらえよ。」
わかりました、と通話を終えて起き上がり、腕を上げてうーんと伸びをする。
すっきりしたのは本当だ。体もかなり軽くなっている。
やはり疲れている時は眠らなくては駄目なんだ。

布団を畳んで、横に置かれた三蔵さんの服を身につけながら、ようやく自分が何故こんなことになったのかを、ゆっくりと思い返してみる。
そうだ、あの男。全てはあの男のせいだ。
あの映像が僕を痛めつけたのだ。
でも、どうして。
見えたのはエスカレーターだった。
長い、長い・・人がいっぱいで・・
あの男が手に持った何かを挟み込むと、エスカレーターは突然動きを止めて、みんな足をとられて、崩れ落ち、滑り落ち、あるいは逆さまに落ちて行く・・落ちて・・手を伸ばして・・その手を僕は・・僕は?

あの男の未来であるはずの映像は、何だか途中から自分の記憶と混じっているように感じられて、とてつもなく不安になった。
しかし、これは犯罪だ。
あの男は事故に見せかけて、人を傷つけようとしている。
その邪悪さが映像にもこびりつき、だからこそ自分は気持ち悪さに耐えきれなかったのだ。
しかし、これは一体いつ起きることなんだろう。
何か日時を、場所を特定出来るものが見えていたら止められるかもしれないのに。
僕はもう一度、気持ち悪さを堪えつつ思い返す。
そうだ、エスカレーターの先の壁にポスターが。
あれは・・あれは!
大変だ。

「三蔵さん!」
叫びながら廊下を走ってリビングに辿り着くと
一瞬だけ吃驚した顔を見せながらも「どうした?」と冷静な声で尋ね返してくれたので僕も落ち着いて説明することが出来た。
これから起きる事件を。そして今すぐ止めにいかねばならないことを。
それは一回限りのコントのライブで、池袋の駅前にある劇場のホールで催される。
“ものすっげー倍率だったんだぜ。無料招待ライブだからさ。”
満面の笑顔で、悟空さんがチケット片手に興奮気味に教えてくれた。
今、悟浄と二人で向かっているライブが、あの時見えたポスターの内容だ。
そして、あの劇場には、あの長い、長い、エスカレーター、が。
もちろん、それが今日のいつ起こる事件なのかも、果たして駆けつけて間に合うのかも皆目わからない。
でも、もし僕が犯人なら、始まる前か終わった後の、人が一番多く移動する時間帯を選ぶだろう。

三蔵さんと乗り込んだタクシーで、少し震えながらも僕は携帯を取り出した。
忙しい人だ。繋がるだろうか?でも打てる手は全て打たなくては。
何か困った時にはいつでも連絡しろ、とあの人は言ってくれた。
コールは3回目が鳴り止む前に繋がった。
「どうした?何があった?」
前置きもなく、ただ穏やかに尋ねる声に僕の震えは止んで、事情を話すと「今すぐ出来るだけのことはする。気をつけて行け。」と力強い声が返って、それだけで何だか立ち向かっていく勇気を持てた。
本当に不思議な人。
隣で三蔵さんは仏頂面を隠そうともせず、そっぽを向いていたけれど。

悟浄や悟空さんにも知らせるべきだろうか?
三蔵さんに問いかけると、一つ頷いて携帯を取り出した。
二人同時に携帯に耳を当てたけれど、呼び出し音が留守電サービスに繋がるのもほぼ同時だったようで、僕が息を吐くのと三蔵さんの舌打ちもこれまた同時だった。
繋がらないのはすでに劇場入りしているってことだから大丈夫、と無理矢理自分を落ち着かせる。
タクシーは駅周辺の喧噪に徐々に飲み込まれつつあり、動きがノロノロし始めた。
「あの信号で降りて走るぞ。」
僕もそのつもりだったので体勢を整える。
釣りはいらん、と領収書も受け取らない三蔵さんなんて珍しいけれど、たぶんそれぐらい僕の伝えた“起こるかもしれない事件”を重く受け止めているのがわかる。
ああ、どうしてみんなそんなにバラバラな方向に悠長に歩いているんだ、とスレスレで人に当たらないように追い越しつつ小走りする。
2度ほど肩から下げた女性のバッグを揺らしてしまい「スミマセン」と声を上げたけれど彼女達に聞こえただろうか。
三蔵さんは当たった人に文句を言われたのだろう、3回ぐらいお得意の「うるせえ」が前方から響いてきた。

特徴ある斜めに傾いたガラス屋根が光るのを見上げながら、劇場前の広場を突っ切り、広いエントランスに入れば、目の前に3階までぶち抜きの、あの悪夢の長い長いエスカレーターが現れた。
そしてゆっくりと上っていく、その途中に、僕は僕の最も大事な紅い色の髪を認めた。
「八戒!上だ!」
三蔵さんの指差したのは、悟浄と悟空さんがいるより頂上に近い辺り。
あの不吉な黒い男がポケットに手を入れて立っているのがわかった瞬間、僕と三蔵さんは弾かれたようにエスカレーターを目指した。
エスカレーターを登り始めた直後、男は降りる寸前で、ポケットに入れた手から何か細長いものを取り出した。
やっぱり見えたとおりになるんだ、と臍を噛みつつ、僕はあらん限りの声を振り絞って
「手摺につかまれ〜!!」
と叫ぶ。
エスカレーターがガクンと止まる。悲鳴が上がる。人々がくずおれる気配が伝わる。
手摺を頼りに踏みとどまると、隣の下りエスカレーターを「どけ〜っ」と怒鳴りながらガンガン上っていく三蔵の金髪。

その時、少し上から影が映った。
バランスを崩した少女の体が宙を浮き、僕の視界を下に横切っていく。
咄嗟に両手を伸ばす。
「か、な、ん」
と僕の口が動く。
目を見開いて不思議そうな表情で落ちて行く花喃の顔。
僕の手と花喃の手はほんの指先だけが触れ合って、そして、花喃は・・・
「八戒!!」
耳元で僕の一番好きな声が僕の名を呼んだ。
腹に猛烈な圧迫感を覚えるのと、僕の手をしっかり掴んだおかっぱ頭の少女が目に入ったその瞬間には、僕は何もかもを思い出していた。
僕を抱えている、命綱となったこの手は、あの時も同様に僕だけを支えていたのだ。

「八戒!来い!」
今度は3階部分から三蔵の声が降って来た。
上りエスカレーターを見渡してみる。
怪我はしているだろうが、押しつぶされたり、下敷きになったりしている人はいない。
一瞬の状況判断の後、僕はあの男を追いかけることにした。
「悟浄、悟空さんとここを頼みます。」
ほんの一瞬だけ、あの紅い目を見つめる。
気付いただろうか?
でも、このドサクサだ。誤摩化せるかもしれない。
「三蔵、追って下さい!僕も行きます!」
叫びながら駆け上がる。
しかし、3階部分に着いてその先の通路を見たとたん、全身から力が抜けた。
男は組み伏せられていた。
後ろに回された手には今しも手錠がかけられるところだったのだ。
すぐ手前に三蔵が立っている。足下には壊れた三蔵の携帯。
よく見ると床に血の跡が点々としていて男の後頭部も傷ついていた。
“この人、昔からコントロールはいいんだったな・・”
こんな時なのに可笑しくなってちょっと笑ったことに、三蔵も気付いたようだった。


パトカーや救急車のサイレンが喧しくなっている。
館内放送がライブの中止と客の安全対策を繰り返し放送し始めた。
駆けつけた警官達に抱えられるように、あの男が去っていく。
二人でそれを見送っていたら、三蔵がふと僕の顔を正面から覗き込んだ。
「八戒、おまえ・・」
言いかけた三蔵の言葉は、あの男を組み伏せていたまだ若い刑事が運良く遮ってくれた。
どう見ても池袋にいくらでもいる当たり障りのないサラリーマン、にしか見えない彼は私服で近辺を捜査中だったらしい。
「八戒君、ですね。大将から伺っています。そちらの方と共に事情聴取のため、一応ご同行願いますが、面倒なことにはなりませんから大丈夫です。安心して下さい。」
ちょっと考えれば、それは全くおかしな話だ。三蔵だってそう思っているだろう。
何故あの男がこの場所で事件を起こすとわかったのか。その説明だけでも十分物議をかもすはず。
でも、真っ先に頭に浮かんだ光明先生という存在が疑問を打ち消した。
そして、この刑事さんが“大将”と呼ぶあの人の存在も、また。
たぶん事の顛末は都合よく書き換えられて済むのだろうし、もちろん僕もその方がありがたい。
だってそれ以外の難題がこれから色々と僕を待っているんだから。

警察署に向かう車両の中で、隣に座った若い刑事さんがこっそりと僕にお礼を言ってきた。
「先日はうちの元帥を助けて下さってありがとうございました。」
何でも狙撃はされたけれど、防弾ベストで助かったのだとか。
「でも、頭を狙われていたらどうしようもなかったですけど」
苦笑しながらそう言って、「なにしろ疫病神も尻尾を巻いて逃げ出したくなるような人ですからね」と続けて今度は微笑んだ。
とても綺麗な澄んだ目をした人だ。
こんなにも部下に慕われている人が、あの人の想い人なのか。やっぱり少し羨ましい。

隣に座っている三蔵は黙ったまま目をつぶっているが、決して寝ているわけではない。
警察署に行く前に、心配させないよう一応悟浄と悟空に声をかけた。
僕は一生懸命、最近の僕を思い出しつつ、弱々しいがヘラッとした笑顔を作ってみた。
「二人とも怪我はありませんでしたか?ちょっと三蔵さんと一緒に警察署に行って来ますので先に家に帰っていて下さいね。」と悟浄の様子を伺った。
ついでに「ラムネを忘れて来ました」と悲しそうな表情も付け加える。
悟浄の真意は読めなかった。
「オマエが無事で本当に良かった」とだけ言って抱き寄せて背中や頭をポンポン叩き「じゃあメシはオレが作っておくからな」と笑って送り出してくれた。
誤摩化せた、とも思えないが、不自然さもなかった。
そんな僕達のやりとりを側で見ていた三蔵は、あの言葉の続きを持ち出す気はなくなったみたいだ。
この人は、いつもこの人なりのスタンスで、世話を焼くでもなく突き離すでもなく見ていてくれるのだ。
実は昔からもうずっと、僕はこの人に感謝し続けている。
一瞬、光明先生の未来が頭をよぎって、目をつぶったままの端正な横顔を見つめてしまった。
僕や悟浄に何か出来る事があるだろうか?
この人のために・・
そんな僕の脳裏に、何故か明るい悟空の笑顔が浮かんだ。
きっと鍵を握るのは彼なのかもしれない。
そして全てを思い出した僕に、まだこの風変わりな能力は残っているのだろうか?
そんな考えに囚われているうちに車両は止まった。
家に帰ってからが本番だから、ここは適当に済ませてしまおう、などと思ったのが顔に出たものか、三蔵がフンという表情で僕を眺めていた。










(WIRED/2013.3.7)

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