セロハン
13.
ボロボロになった八戒の衣類を洗濯機に突っ込むと、俺は代わりのものを見繕うために自室に戻った。
あいつの方が背が高いが、大して変わりはないだろう。
適当なシャツとジーンズを引っ張り出してから、あいつの前で吸うのはまずいかと思い、一服することにした。
風呂もちょうどわいた頃だ。目を覚ましてみないと使えるかどうかはわからないが、あのまま帰るのは気分が悪かろう。
路地裏でひどい姿で蹲っていた八戒の姿を思い出して、思わずため息が漏れた。
とにかくあの無防備なヤツをなんとかしなきゃ、ゆっくり煙草の一本も吸えやしない。
俺は早々に煙草を灰皿に押しつけると立ち上がった。
そっと座敷の襖を引くと、八戒は畳にぺたんと座り込んで、ぼんやりと床の間のあたりを見ていた。
ゆっくりと振り返ったその頬は涙に濡れていて、俺は思わず手にしていた着替えを落とした。
「ど、どうした?どこか痛むのか?」
見たところ、ケガはしていなかったようだが。
「三蔵さん…」
縋るような瞳で見上げられて、胸が苦しくなる。
浴衣の合わせからのぞく白い肌に目がいって、着替えさせた時触れた肌の感触を思い出して舌打ちしたい気分になった。
こんなヤツをふらふら野放しにしている悟浄の気が知れねえ。
さっきだってあのまま放っておいたら、どうなっていたことか。
「悟浄が来てるから、とりあえず今夜は帰れ。親父も話は日を改めると言っていた」
「このまま泊めてもらえませんか?今夜だけでいいんです」
悟浄と聞けば目を輝かせて尻尾を振るようなやつが、どうしたんだ?
アイツを避けているのか?
「かまわねぇが…どうしたんだ?」
なんとなく疲れてしまって、と、八戒はぼんやりと視線を彷徨わせた。
「風呂が沸いたから、入って寝ろ。明日送って行ってやるから」
「すみません」
いつもヘラヘラと笑っているやつが、こんな顔を見せると調子が狂う。
いや。
記憶を失くす前、こいつはこんな顔を見せていたはずだ。
あの女を亡くして、魂の半分を持って行かれたように精気をなくしたこいつは、こんな感じじゃなかったか?
通夜の席で思いつめた瞳で会葬者に頭を下げていた八戒を見て、こいつはこの先、一生笑うことなんかできないんじゃないかと思ったんじゃなかったか?
こんな顔を見せられるくらいなら、ヘラヘラ笑っていられる方がどれだけマシか知れねえ。
俺は八戒の鞄の中から取ってきたラムネの袋を手渡した。
まるで中毒のように口にしているこいつを喰えば、少しは安心するかと思ったのだ。
だが八戒は色とりどりのラムネを手にしたまま、じっとそれを見つめるだけで手をつけようとしない。
その時、廊下から話声が聞こえて襖が開いた。
「八戒、目ぇさました?」
心配そうな表情の悟浄と親父が顔を出した。
悟浄が駆け付けた時にはまだ八戒は眠っていたから、その間にいつものように納骨堂に行っていたのだろう。
「気分はどうですか?八戒」
「怖かっただろ?大丈夫か?」
八戒は白い顔で精一杯の笑顔を見せた。
「大丈夫です。三蔵さんが助けてくださったので…ご心配をおかけしました」
まるで縋るようにラムネの袋を抱きしめている。
「まだ調子が悪いみたいだから、今夜はここに泊める。いいか?」
確認するように二人を見やると、
「もちろんですよ、ゆっくり休みなさい。なんなら今夜は隣にお布団を敷いて寝ましょうか?」
親父はにこにこしながら八戒の頭を撫で、
「そうしてもらえ。ラムネもあるから大丈夫だな。明日また、迎えにくるから」
悟浄は見ているこっちが恥ずかしくなるような笑顔で、八戒の肩を抱いた。
八戒はこくりと頷いた後で、首を捻った。
「悟浄、明日は悟空さんと出かける日じゃないですか?」
「ああ、そうだった」
悟浄は小さく舌打ちした。
「いつの間にあいつと出かけるような仲になったんだ?」
「前に携番教えたら、時々電話くるようになってさ。大抵お前の悪口言ってるだけだけど」
悟浄はからかうようにニヤニヤと笑った。
「あのサル、ふざけんな!」
「この間アイツに誘われちゃってさ。ダチと行くつもりで取ったチケットが余ってんだと。お前に声かけたらしいけど、素っ気なかったらしいじゃん」
そういえば少し前に、いつぞやは空いているか?と聞かれたような気がする。
それが明日だったのか。
「三蔵さんに送っていただくので、大丈夫ですよ。僕のことは気にしないで出かけてください。家でおとなしく待っていますから」
「わかった。明日の朝、電話するから」
悟浄は他の誰にも見せない優しい瞳で、八戒に微笑んだ。
悟浄を見送って鍵を締め、八戒の隣で寝るのだと言い張る親父を宥めてから、俺は座敷へ戻りながら考えた。
体調が悪いとはいえ、今夜の八戒の様子は変だ。
突然気を失ったり、いつものヘラヘラ笑いを見せなかったり。
何より悟浄を避けているように見えた。
俺は突然気が付いた。
そうだ。
あの妙な男に会ってから、八戒の様子がおかしくなった。
あれだけベタベタ触られれば、当然何か見えたはずだ。
一体何を見た?
問いかけようと座敷の襖を引くと、八戒は布団の中で静かに寝息をたてていた。