beloved






2.



「なあ…」
俺たちは居間の真ん中で向かい合いがっちりと両手を組み合わせたまま、相手をねじ伏せようと睨み合っていた。
力ずくで俺を治療しようとする八戒とそうはさせじと抵抗する俺の意地の張り合いはいつの間にか格闘に変わり、テーブルや椅子はなぎ倒されて床に転がってる。安物だけど、気に入ってんのに。
「俺たち…何で…こんなこと、…してんの?」
はぁはぁと息が上がり言葉が続かない。情けねぇな。
「さぁ、何ででしょうね」
相変わらず熾火のような熱を宿したまま、碧の瞳が俺を睨む。
その激しさに見惚れて、つい口がすべった。
「お前…何でココにいんの?」
それはずっとこいつに尋ねたかった言葉だった。
なぜこの家に居続ける?何で俺と暮らしてる?
他の誰でもなく、俺と。
一瞬八戒の瞳の中に、じわりと浮かび立った光の強さに見とれた。
それはさっきまで浮かべていた怒りの表情に似ていたけど、全く違う。初めて見せた妖しい光だった。
その瞳に気をとられていて油断した。
いきなり足を払われて、俺は無様に床に転がった。
八戒は腰のあたりに馬のりになると、両腕で強く肩を押さえつけた。
「教えてあげましょうか」
凄みのある笑いを浮かべながら見下ろす顔もきれいで、腕の痛みも忘れて俺は阿呆のように見上げていた。
そして。
「!!」
いきなり口付けられて、心底驚いた。
しかもいきなり深いやつ。腹立たしいほど上手いキス。
情けないほどされるがままに、呆然と受け入れる。
「こうしたかったからですよ」
「…そうなの?」
そうだったの?
「そうですよ」
「じゃあ三蔵は?」
「は?」
「お前らデキてるんじゃないのか?」
「何であんな石頭と僕がっ!」
怒り心頭って顔で、八戒は俺を睨みつける。
怒っているくせに視線はひどく熱っぽくて、見ていて胸が苦しくなる。
それから、ふ、と視線を緩めると、八戒はどうしようもなく愛しいみたいな顔で俺を見つめた。
「さっきの話ですけど」
反則だ。
今、ここで、そんな顔するなんて。
「もし何かリクエストできるんでしたら…」
掌が、するりと俺の胸を滑り降りる。
「あなたがいいです」

なぜその掌を払いのけなかったのか分からない。
否のタイミングを逃したのは予想もしていなかった展開に驚いていたためだけじゃなかった。
ずっと欲しかったんだ、理由を。
八戒の一番になりたいなんて思わない。
ましてや死んだねえちゃんに勝とうだなんて、思ってもいない。
ただ見せて欲しい。
こいつが今、ここにいる理由を。傍にいてくれる理由を。
居心地がいいとか、楽だからとかでも構わない。
この俺を、選んでくれる理由を…


「脱いでください」
「いや」
「脱がされたいんですか?」
「それもいや」
「無理やり脱がされるのが好みとか?」
「俺、脱がすの専門なんだけど…」
「じゃあ今度お願いします。今日は好きにさせてもらいますね」
だって誕生日ですもんね、と言いながらにっこり笑うと、八戒は俺の胸元に手をかける。
呆れてものも言えない俺をいいことに、八戒は見事な手際でシャツのボタンを外し始めた。

実は今までに二三度八戒を抱きしめたことがある。
雨の日に何時間でも飽きずに窓から真っ黒い空を見上げたまま、表情のない横顔を見せていたから。
心だけどこかへ行っちゃって、そのまま戻ってきそうになかったから。
まるでそうなる時を、待っているようだったから。
気づいたら強く抱き寄せていた。
八戒は驚いて目を見開いて。それから「ありがとう」と呟いて寂しそうに笑った。
でも、それだけだ。キスもしたことない
あの儚げな男は、一体どこへ消えたんだ?


ソファの上では、前戯と呼ぶにはあまりにも色気がない、格闘のようなやりとりが続いていた。
大人しく抱かれるには大いに抵抗があるので、精一杯の抵抗を試みる。だがコイツのハンパじゃない強さを知ってしまっているせいか、調子がでない。
「遠慮しないで、悟浄」
や、遠慮なんかするわけねえんだけど。
「イヤなら本気で抵抗しないと」
抵抗したいんだけど、…あれ?どうやっても力が入らねえのよ。
耳元を擽る声を聞きながら、俺は薄汚れた天井を見上げた。
もしもこいつを組み敷いたらどんな顔を見せるのか、考えたことが無い訳じゃない。
快感に我を忘れたら、一体どんな声を上げるのか、とか。その唇からでるのは一体誰の名前なのか、とか。
もう触れることさえ出来ないねえちゃんの名前?もしかしてクソ坊主の名前だったりして。
だがそれはこんなムードもへったくれもない朝帰りの、しかも二日酔いの朝じゃねえ。
もちろんこんなシチュエーションありえねえ!
断じてありえねえはずだったのに。

口では悪態をつきながら、俺の感覚は八戒の意図する方へと流されていく。
小さな川が低いほうに流れるように、八戒の掌の巧みな動きに翻弄される。
これもこいつの力なのかと、疑ってしまうほどに。
くすぐったいような快感とは呼べないほどの小さな心地よい流れは、次第に集まり大きな流れになって、俺を巻き込み押し流していく。
もう、引き返せないトコロまで。

もっと力を抜いてとか、ゆっくり息を吐いて…とか、耳元で怖ろしく優しい声で八戒が囁く。
「あー…死ぬかもしんない…オレ」
「大げさな」
八戒は人の気も知らないで呆れたように俺を見ると、ゆっくりと目を細めた。
優しく頬に触れる指が気持ちいい。
ふわりと頬を撫でた指でそのまま髪をかきあげられて、一瞬痛みなんかどうでもよくなる。
「生まれ変わる、いいチャンスかもしれませんよ。世界が違って見えるかも」
確かにな。
ある意味これは、大したチャンスかも。
だけどそろそろ限界って感じ。
慣れない痛みと嘔吐感に息をつめながら、もうこれ以上は無理だから、やめてくれ。そう伝えようと八戒を見上げた。
だがその顔を見た瞬間、そんな思いは吹き飛んだ。

なんというか、それは男の顔だった。
まぎれもなく欲情した男の顔。
今この瞬間、際限もなく俺を求めているとわかる熱い視線。荒い息。震える唇。
俺は組み敷かれヤツの顔を見上げながら、初めて見るその表情に見とれていた。
こんなにも求められたことがあっただろうか?
こんな顔で見てくれるなら、こいつが求めているものが、今感じているこの快感だけなのだとしても構わないと強く思った。
その瞬間、痛みの陰に潜んでいた感覚が一気に背筋を駆け上がった。
快感と呼ぶには強すぎる感覚に、思わず声が上がる。
体中駆け巡る熱を持て余して身を捩ると、八戒がひどく艶っぽい吐息と一緒に俺の名前を呼んだ。
その声の余裕のなさに、おかしくなるほど煽られる。
汗と涙で滲む目を凝らして見上げると、八戒は信じられないくらいきれいな顔で微笑みを返した。
そしてその状況で、
「愛しています」
俺の一番嫌いなはずだった言葉を囁いた。


そっか。
そうだったのか。
こうなる時を、俺は待っていたのかもしれない。
そうじゃなきゃ、誰が男に抱かれるか。
こいつだから…八戒だから許せたんだ。








epi.


肩に感じていた温もりがそっと離れていく感触に瞼を開けると、目の前に碧の瞳が揺れていた。
傍に屈み込んだ八戒の瞳が、いつになく不安な色を見せている。
そんなことを少し嬉しいと感じている自分の単純さに呆れてしまう。
バカですか、俺は。

「煙草…ちょーだい」
呼びかけた声が不本意にも擦れていて、俺は顔をしかめた。
揺れていた碧の瞳が、ふっと緩んで細められる。
「しょうがないなぁ…一本だけですよ」
言葉程嫌そうな素振りではなく、八戒は俺の口許に煙草を挟んでくれる。
ふ、と優しい指先が唇に触れて目があった。
凪いでいた碧の瞳がゆっくりと波立ち始めるのを隠すように、八戒は二三度瞬きをする。
ライターを差し出す指が、さっきまで俺の中に入っていたその指が、微かに震えたように見えた。

「八戒」

またあの顔を見せてくれるだろうか?

「はい?」

どうしようもなく俺が欲しいという顔で、もう一度きれいに笑ってくれるだろうか。

ゆっくりと腕を伸ばして、細い腕を掴んだ。
驚いたように瞠られた碧眼を見つめながら、今度は俺から引き寄せる。


きっと俺はこの腕を離さない。
もう、離せない。






end



(2011.9.21)

次は逆もいいと思うな。


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