いちご
「いい加減にしてください」
悟浄が短くなった煙草をビールの缶に突っ込もうとした瞬間、狭い部屋に八戒の声が響いた。
煙で白くなった部屋をツカツカと横切って大きく窓を開け放つと、八戒は振り向いてにっこりと笑った。
「この部屋は、今から禁煙とします」
そう断言してきれいすぎる笑みを浮かべてる姿は、何度取り替えてもあふれる灰皿と立ち込める煙にコワい顔をしていた時よりも、数倍コワい。
「そんなに吸ったら早死にしますよ。それに煙草の煙は周囲の人にも害を及ぼすんです。少しは自重してください」
“あー、ハイハイ、わかりやした。”“ウルセェよ、お前は母親か。”
“好きな煙草吸って早死すんなら、俺たち本望だよな、さんぞー。”“勝手に死んでろ。”“ヒドッ”
憎まれ口をたたきながら背中二つが消えたドアを大きなため息で見やると、八戒は食べ散らかした菓子やツマミの載ったテーブルの上を少し乱暴に片付け始めた。
「手伝うよ!」
あわててビールの缶を集めたら、にこって笑ってくれてホッとする。
“悟空はやさしいですね”なんて言ってくれるけど、厳密が信条なはずのゴミの分別がいつもより甘くて、少し上の空なのがわかった。
今夜は久しぶりに野宿から解放されて美味いメシも食えて、おまけにチェックインした時、宿のおばさんにチョコまでもらって超ラッキー。
夕飯の後部屋でカードをしながら浮かれ気味の俺たちに比べて、一人荷物の片づけに精をだしていた八戒の機嫌は少し前から急降下していた。
きっと疲れているんだよな。
ここのところ野宿が続いたし、襲ってくる敵も多いし。宿についてからも買い出し洗濯繕い物と、八戒は大忙しだったから。
「あいつら、遅いね」
あらかた空気が入れ替わったのをみて、俺は全開だった窓を細くした。夜の風は冷たいけど、きれいな空気は気持ちがいい。
「もう戻ってこないかもしれませんね」
コーヒーをいれていた八戒は、ちらっと隣の部屋との壁に目をやった。
今夜はツインが二部屋取れたから、あいつらは隣の部屋に行ったんだろう。きっともう、部屋の中は煙草の煙でいっぱいだ。それともまだ早い時間だから、どっかに飲みに行ったのかもしれない。
その時、ふ、と八戒が顔を上げて、窓の外の暗闇に目をやった。
砂利を踏む足音が聞こえて、三蔵の白い法衣が闇の中にぼんやりと見えて、それから寄り添うような小さな蛍火が二つ。
喫煙者たちは、庭に出て煙草を吸うことにしたようだ。じきに細めに開けた窓の隙間から、二種類の煙草が混ざり合った煙が漂ってきた。
八戒は安堵に似たため息をつくと、熱いコーヒーを二つのカップに注ぎながら微笑んだ。
「そうだ、悟空。いいものがあるんでした」
備え付けの小さな冷蔵庫から正方形の小さな箱を取り出して、テーブルに置く。
「小さいんですけど、ケーキを買っておいたんですよ。あの人たちなんか放っておいて、二人で食べちゃいましょう」
戻ってこないかもしれないしね、と小さく呟く。
「やったー!」
「二人には内緒ですよ」
内緒と言われるとちょっとドキドキするけど、めちゃくちゃ嬉しい。俺と八戒の秘密なんて、ほとんどないんだから。
八戒が箱を開くと、白い生クリームに包まれて真っ赤なイチゴを載せた丸いケーキが現れた。
「こんなものを売っているお店があるなんて、大きな街でよかったですね」
優しく細めた瞳でケーキを二つに切り分けて大きな方を皿に載せると、八戒ははい、と差し出した。
「買い出しを手伝ってくれたお礼です。今日はとても重かったので、悟空が一緒にきてくれて助かりました」
確かに水に米にビールに缶詰と、重くてかさ張るものばかりだった。でもいつの間に、ケーキ屋なんて寄ったんだろう。
「うわ、オレ、イチゴ大好き」
「じゃあ、僕の分もあげますね」
八戒はそっと残りのケーキを皿に載せた。
いただきますと唱えながら俺はふわふわのケーキにフォークを突き刺した。
それから思い出して、テーブルの端に置いてあるハートの形の4つのチョコレートに目をやった。
あれをケーキに載せて食べたら美味そうだ。
「何でチョコなんてくれたんだろ?」
俺は銀色の包みを剥がしながら、八戒に聞いてみた。
「今日はバレンタインですから。宿泊客へのサービスなんでしょうね」
「ばれんたいん?」
「恋人たちが想いを深める、特別な日ですよ」
その時八戒が摘み上げたチョコレートが、指先から零れてテーブルの上を転がった。
逃げてしまった銀のハートに寂しそうに目をやる八戒の横顔に、自分でも思いがけない言葉が口をついた。
「八戒は、三蔵と悟浄のどっちが好きなの?」
こんなコト聞いちゃダメだとわかっていた。
でも前から一度聞いてみたかったんだ。だって八戒からは、時々二人の匂いがするから。
八戒は一瞬目を瞠って動きを止めた後、すぐにテーブルの上のフォークを手に取ると、やけにきっぱりとイチゴの真ん中にフォークを突き刺した。
「難しい質問ですね。どっちが好きというか…どちらも好きだけど、どちらも嫌いです」
はい、と俺に向かって真っ赤なイチゴを差し出す。
「どうぞ」
にこりと微笑む顔は、少し怒っているように見えた。
でももう一つだけ。ずっと前からどうしてもききたいことがあったんだ。
「じゃあ、オレのことは?」
「悟空のことは、大好きですよ」
八戒は少しも迷うことなく答えをくれた。
ああ、でも。何だかとっても悔しい。
あいつらのことは、“好き”だけじゃないのに、俺のことは“好き”だけなんだな。
きっとあいつらへの“嫌い”には、おかしくなるほどの恋慕と葛藤と執着が交ざりあっているんだ。
それからふと気がついた。
そういえば悟浄の誕生日の夜は、悟浄と八戒が同じ部屋だった。
別に誕生日に限らず大抵二人は同室だから、気にもとめなかったけど。
でも確か三蔵の誕生日の夜は、八戒と三蔵が相部屋だったはず。
じゃあ、愛し合う者たちのための特別な日とかいう今夜のこの計らいは、あの二人のためなのか?
突然聞きなれたハりセンの音が闇に響いて、八戒はゆっくりと窓の外に目をやった。
「あーあ、懲りませんねぇ、あの人も…」
あきれたみたいに呟いて微笑む横顔は、なんだか泣いてるみたいにみえてしまう。
馬鹿だなぁ。あいつらのことなんか構わずに、欲しいものを、欲しいだけ掴んでいればいいのに。
だってきっと二人とも、八戒を笑顔にしたいだけなんだ。
だからそんな切ない瞳で、真っ暗い夜の闇を見つめる必要なんかないのに。
でも八戒はイチゴの刺さったフォークを手にしたまま、いつまでもぼんやりと窓の外の蛍火に目をやっている。
あぁどうやったらあいつらみたいに、八戒の胸の中に入り込むことができるんだろう。
いつになったら、俺は。
この人を満たしてあげられるんだろう。
「イチゴ、ちょうだい」
呼びかけると、“あぁ、ごめんなさい”と微笑みながら、八戒はフォークを差し出した。
俺は身を乗り出して、食べさせてもらうみたいにイチゴに顔を近づける。
「ねぇ八戒。俺の誕生日には、俺のために、一緒の部屋になってくれる?」
あいつらのためじゃなくて――。
八戒は驚いたように動きを止めた。
赤いイチゴの向こうに、イチゴなんかよりもっときれいな八戒の唇が見える。
“ごくう”とその唇が動くのを、俺はひどく近くで見ていた。
窓の外からは、相変わらず二つの煙が入りこんで俺たちを包み込む。
俺はフォークを差し出す白い掌ごと引き寄せると、その唇にかじりついた。
あいつらが飛び込んでくるまで、多分あと3秒。
end