ラムネ3





1




「最近目の調子はどうだ」
三蔵が僕に尋ねました。
ゆっくりと二三度瞬きをしてみてから、僕は義眼の入った右目をそっと抑えました。
「おかげさまで、全く問題ありません。あなたの紹介してくださったお医者様は、とても腕がよいのですね」
三蔵は小さく眉を顰めると、僕の差し出したカップに手を伸ばしました。
「一応この国で最高の腕を持つ名医らしいからな。
だがまだ手術してからそう時間がたったわけじゃねぇんだ。
気をつけていて、何か不都合があったらすぐに言え」
「ありがとうございます」
自分で抉り取るなんて馬鹿なことをしたと今となっては思うのですが、
あの時の僕はその先の人生なんて考えてもいなかったので、瞳なんて必要ないと思ったのです。
こんな風に穏やかにテーブルを囲んで珈琲を飲む日がくるなんて、思いもしませんでした。

「それ、ニセモノなんだろ?本当にきれいだな。
俺ちょっとしか見てないけど、本物の目の時と全然違わないよな」
隣に座っている悟空が、僕の右目をまじまじと覗き込みました。
「神経も繋がっているから、右目だけでもちゃんと見えるんですよ。
この位の距離ならば、ほら、悟空のこともはっきりと」
そう言いながら左目を瞑って鼻先が触れ合うほどに顔を寄せたら、
なぜか真っ赤になった悟空は勢いよく身を引いて、椅子から転げ落ちそうになりました。

ニセモノだっていいんですよ。
僕にはこれで十分です。
慌てて悟空に腕をさしだしながら、胸の内で呟きました。


「所詮ニセモノはニセモノだ。本物以上に気を使って手入れしなきゃ、マガイモノはすぐにガタがくる」
「そうですね。気をつけます」

―マガイモノ―

掌のマグカップの中を覗き込みながら、胸の中でその言葉を唱えてみました。
なんだか僕自身を表すのにぴったりな気がして、小さな笑いがこみ上げます。
大量虐殺犯の上に、精巧な偽の瞳と新しい名前を被せてできた“八戒”という男。
それから目の前の金の髪に目をうつして、
悟空と、実は甘いものが好きらしい三蔵のために作ったクッキーを、
少し節のある長い指がつまみ口に入れる様子をそっと眺めました。

あぁ、この人に、まがいものは似合わない。
まっすぐに真実を見つめ続けるその瞳は、醜い現実を目にしても、決して濁ることなどないのでしょう。
この人の口から紡がれる言葉は、いつでもその厳しさで僕の胸を貫いてくれるのです。
誰にも汚すことのできない、神に選ばれた特別な人。
僕とは対極の位置にある、きれいな人。

でも僕は、後悔していませんから。


僕の視線に気がついた三蔵が、まっすぐにその紫暗を向けました。
「わかってるんだろうな、八戒。あんなことはもう許さねぇ」
「そんなコト、言わなくたっていいだろ、三蔵」
悟空がふくれた顔で三蔵をにらみます。

大丈夫ですよ、悟空。
三蔵は僕を責めているわけじゃなくて、案じてくれているんです。


「マガイモンでもいいじゃん」

それまで窓際で煙草をふかしながら僕たちの会話を聞いていた悟浄が口を開きました。
僕らの囲むテーブルに近づくと自分のカップを取り上げて、
冷めてしまったコーヒーを立ったまま一口含みます。
「こぉんなに、キレイなんだからさ」
「!」
空いている手が伸びてきて、動くことを禁じるように僕の首筋に触れました。
唇が触れそうな距離まで顔を寄せて、悟浄は深い紅で僕の右目を覗き込みます。
絹糸のような髪がサラサラと降ってきて、僕の首筋を、頬を撫でています。
僕は息もできずに、ただ、目の前に広がる紅を見つめていました。
「でも三蔵サマの言うことは聞いとけよ。お前時々、頭痛いって言ってるだろ。
あれってコレのせぇじゃねえの?」
悟浄はニッと笑って身を起こすと、固まったままの僕の髪をゆっくりと撫でました。
「今度ちゃんと見てもらっとけ」

一口飲んだだけのカップをテーブルの上に置くと、感心したように見上げる悟空にニヤリと笑い、
悟浄は背を向けてドアに向かいます。
「どこ行くんだよ!」
「でぇと♪」
振り向きもせず右手だけでヒラヒラと応えると、悟浄はパタンとドアを閉めました。


僕の髪を撫でながら、悟浄の瞳は笑っていませんでした。
ラムネを床に撒き散らした時の、あのひやりとした瞳と同じでした。
胸が煩いくらいに音をたて、鈍く頭が痛みだします。
それを悟られないように、僕は珈琲のおかわりを、と呟いて立ち上がりました。
俺も手伝うよと一緒に立ち上がった悟空になんとか微笑みで応えると、台所に向かいます。
全身にジワリとしみこむようなそら恐ろしさに小さく震える僕の背中を、紫の瞳がじっと見ていました。







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(2010.8.31)



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