ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE




16.向春




窓を開けると冷えた空気の中に微かな花の匂いが混ざっていた。
見回すと、隣家の敷地の隅に立つ細い木に小さな赤い花がついている。数ヵ月暮らしていたのに、そこに梅の木があるなんて気がつかなかった。思いがけない春の気配に、僕は深く息を吸いこんだ。

悟浄と思いを交わしたのは一月程前のことだ。あの後、彼はひどい熱を出して寝込んでしまった。
体力が落ちていたところにあんなことをしたのだから、無理もない。 責任を感じて懸命に看病をしたが、熱は一週間近く続いた。
熱が下がりやっと食欲が出てきた頃に、入れ替わるように今度は僕が熱を出した。どうやらたちの悪い流行り風邪だったようで、結局数日間寝込む羽目になった。
その間、悟浄は甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
テキパキと家事をこなす様子は手慣れていて、自炊や掃除をしていたというのが嘘じゃないことを証明してくれた。
“やればできるんですねえ”という僕の言葉に、“ますますいい男になったろ”と悟浄はウインクをして笑った。
その笑顔に見惚れて、僕はますます熱を上げるという始末。
今までの時間を取り戻すように、僕らはしょっちゅう手を繋ぎ口づけして触れ合った。
夢のような数日がすぎて僕がすっかり元気になったある日、悟浄は戻っていった。
帰ってこいとは言ってくれなかった。
自分からあの家を出たのだから、考えてみれば当然だ。
あれから悟浄は数回ここに立ち寄ってくれたけれど、いつも食事をして話をして帰ってしまう。
僕は戻ってもいいのだろうか。
互いの気持ちがはっきりしたのだから、迷うことなどないのだろうけど。
あの家に帰るきっかけを見つけられなかった。

時間が過ぎるほどに、悟浄に対する想いは深まっていく。
時流にのせられてバレンタインの菓子なんかを作ってしまうほどに。
僕は出来上がったばかりのチョコレートに目をやってため息をついた。


昼すぎに、突然三蔵と悟空がやってきた。
「悪いが、今日からここを譲ってくれ」
三蔵は決まり悪そうに切り出した。
「三蔵がね!」
悟空が瞳をきらきらさせながら続ける。
「この家で俺と住むって!」
「住むわけじゃねえ」
三蔵は照れくさそうにあらぬ方を向きつつ続けた。
「たまには口煩い坊主たちの顔を見ないで過ごしたいと思っただけだ」
口調はぶっきらぼうだけれど、そのやわらかな表情から悟空のためなのだとわかった。
「だからお前はお前の場所に帰れ」
「急でごめんね、八戒」
悟空は謝りながらも僕の鞄を持ってくると、少ない荷物を次々に詰めていく。
「あ、鍋や皿は置いておいて。八戒に教えてもらったみたいにやってみるから」

あれほどためらっていたのに、あっという間にこの家を出る支度が整った。
「お世話になりました。これ…チョコレートを作ったんです。よかったら食べて下さい」
「ありがとう!三蔵と食うよ」
悟空の明るい表情に、こちらの胸まで暖かくなった。
恋愛感情などないのだろうけど、二人は深い想いで繋がっている。そんな関係は願って手に入るものではない。
僕はチョコの入った鞄を下げて、数ヵ月を過ごした小さな家を出た。
こんな風に背を押してくれる友人を持った幸せを噛み締めながら。


ゆっくりと街を抜け、林の中に入っていった。
足元に積もった枯葉が乾いた音を立てる。
数ヵ月前ここを反対方向に歩いた時には、緑色の葉が繁っていた。赤や黄色に染まった木々を見ることができなかったのが残念だ。
今は枯れ枝ばかりが、寒そうに震えている。

一体どんな顔をしてあの家のドアを叩けばいいんだろう。
以前のように“ただいま”と自然にドアを開けられたらいいけれど、それが難しい。
進むほどに足は重くなった。
その時。
どこからか流れてきた煙草の匂いに足を止めた。
気がつくと“その場所”に立っていた。

「よお」
「悟浄」
「やっぱここだろ、俺たちには」
小さく肩を竦めながら、悟浄は優しく笑った。
二人が出会った場所。
この人が僕を拾わなければ…そう考えて胸が苦しくなった。
そんな世界、もう考えられない。
この人を傷つける未来が待っているとわかっていたとしても、僕は、ここで悟浄と出会いたかった。
そして許してもらえるなら―
「ただいま帰りました」
「おかえり」
じっと見つめ合ったあと、自然に抱き合って口づけた。

「よかった、間に合ったな」
悟浄はいたずらな子供みたいな顔で笑った。
「え?」
「来年も桜を見ようって約束しだろ?」
あと一か月もすれば咲き始めるだろと言いながら、悟浄は僕の手を取り歩き出した。
一年も前のささやかな約束を覚えていてくれたことが嬉しくて、僕は強く握り返した。

この人と共に笑い、泣き、喜び、悲しんで、同じ時間を過ごしていきたい。
できることなら、いつまでも。


指を絡めて懐かしい道を並んで行く。
大きな樹の下を曲がると、もうすぐ僕らの家。





(end)

                                            ◆




陽春



「何だこれは?」
甲高い歓声とけたたましい笑い声に囲まれたレジャーシートの上で、俺は思わず呟いた。
「何って、お花見ですよ」
にっこりと笑いながら八戒が缶ビールを差し出す。
確かに頭上を満開の桜がぐるりと覆っている様はなかなか見事だが。
弁当を広げた俺たちを取り囲むように、女どもと連れのガキどもが密集してシートを広げ、飲み食いをしている。
女は喋り笑い歌い、ガキははしゃいで走り回り喧嘩をし泣き喚いて騒がしいことこの上ない。
「この公園の桜が素晴らしいので、ぜひみんなでお花見をしたかったんです」
ここはいわゆる住宅街の中の児童公園という場所だった。
花見なら、もっとマシな場所があるだろう。よりによって一番俺たちに場違いな場所を選ぶとは。
「だって、悟空も悟浄も楽しそうですよ」
猿と河童はガキと一緒にマジになって遊具で遊んでいる。
「あいつらはガキだからな」
精神年齢5歳だ。
「まあまあ、機嫌を直してください。あなたの好きなものを作ってきましたから」

春になったら弁当を食わせろという言葉を覚えていたのだろうか。
広げた重箱の中身は、俺と悟空の好みのものがぎっしりつまっていた。
適当に料理をつまんでいると、八戒は機嫌をとるように蓋を空けたカップ酒を寄越して笑った。

見回せば眠くなるような穏やかな日差しの下で、なんとも平和な風景が繰り広げられている。
やわらかな風に舞った花びらが、ゆっくりと落ちてきて手の中の酒に浮かんだ。

悟浄と悟空はガキどもにせがまれながら、巨大な砂の山にトンネルを掘っている。
「楽しそうですねえ」
悟浄を見つめる八戒の横顔は春の日差しのように暖かくて、目を奪われるほどきれいだった。

なんだ。
俺が欲しかったものは、こんなところに揃っていたのか。
美味い料理と酒と満開の桜と、懐かしいようなきれいな笑顔。
この笑顔をこれからも眺めることができるなら…

「悪くねぇな」
思わず呟くと、一瞬目を瞠った八戒は、「はい」とやさしく笑った。





end






(2015.4.4)

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