missing you
1.悟浄
“三蔵と温泉に行ってきます。5時になったら悟空が来るので、一緒にカレーを食べてください。
火の始末と戸締りには気をつけて。
明日帰ります。
猪八戒”
「はあっ?」
ナンだ?…コレ。
悟浄はテーブルの上にペラリと置かれていた紙切れを握り締めて立ち尽くした。
温泉?三蔵と?泊まりで? …5時って、もうすぐじゃね?
「ピンポーン」
間の抜けた声と同時にブザーのない沙家の玄関が勢いよく開いて、満面の笑みを浮かべた悟空が立っていた。
「今夜一晩、よろしくな!あ、コレ、土産!」
茫然と立ち尽くす悟浄に持ってきたビール1ケースを手渡すと、悟空は勝手知ったる様子で台所へ寄っていく。
「ちょ…待てっ、こらっ!」
二人暮らしには不似合いに大きな鍋の蓋を開けて中を覗きこむと、悟空は突っ立っている悟浄を振り向いて嬉しそうに笑った。
「やったぁ、八戒のカレーが食べれるなんて、超ラッキー♪」
勝負に熱中しすぎた果ての無断外泊の後、日も傾き始めてから帰宅した悟浄を待っていたのは、思いもよらない事態だった。
実は昨日も朝帰りだったので内心八戒の不機嫌顔は覚悟していたものの、まさか旅行にでかけるとは思ってもいなかった。しかも三蔵と。
昨日家に戻った時、八戒は留守だった。前日に悟空の家庭教師のために寺に行く日だと言っていたから、何だかんだと用事をいいつける坊主に引き止められて遅くなっているのだろうと考えて、然程気にせずに夕方には出かけてしまったのだ。
自分たちは丸二日顔を合わせていないことになる。その間に、一体何が起こったのか。
「で?」
5杯目のカレーにとりかかる悟空を前に、悟浄は土産と手渡された3本目のビールを飲み干して不機嫌に目を眇めた。
「あいつら、どこ行ってんの?」
「おんせん」
「それは知ってるっつーの。どこの温泉よ?」
「知らねぇけど、すげぇ豪華な温泉旅館らしいぞ。離れ部屋で専用の露天風呂まであるんだって」
なっにぃ〜!
空き缶を握り潰しぶるぶると拳を振るわせる悟浄にはおかまいなく、悟空は幸せそうに八戒のお手製カレーを頬張りながら首を傾げた。
「あと、紅葉がキレイな所だって言ってたかな」
紅葉という言葉に、悟浄はピクリと顔を引きつらせた。
“そろそろ見ごろだから、どこかに紅葉狩りに行きませんか”と八戒に誘われたのは先週だっただろうか。
その日はたまたま先約があって断ったのを思い出したのだ。
「なんで二人きりなんだよ?」
「だって悟浄、忙しいんだろ」
八戒が言ってたぞと言いながら、悟空は6杯目のカレーのために席を立つ。
「オマエも行けばよかったじゃねーか」
何で二人っきりで行く必要があるのか!しかも泊まりで!離れで!露天風呂で!
「オレ、懐石料理って苦手なんだよなぁ」
少しずつ出てきて、なんかイライラしてくんだよ、と情けない顔で説明する悟空の言葉を、悟浄は半分も聞いていなかった。
懐石料理― そういえばこの間、八戒がめずらしく食い入るように見ていたテレビ番組。あれは確か懐石料理の特集だったような。
“男は豪快に焼肉だぜ”なんて言ったような気がする自分を思い出して、悟浄は額に手を当てた。
勝ち誇ったような生臭坊主の顔が浮かんできて、思わず舌打ちが口をつく。
あんなヤツでも最高僧だ。自由になる金と権力は計り知れない。温泉と懐石料理で八戒の心を捉えるなんてことは、容易いことだろう。
「やっぱ男は焼肉だろ。カレーもいいけどな!」
うんうんと頷きながら6杯目のカレーを完食すると、悟空はゴチソウサマと手を合わた。
三蔵の躾の賜物か、さっさと自分の皿を片付けて洗い始めた悟空を横目に見ながら、悟浄はいらいらと煙草とビールを摂取した。目の前のカレーとサラダは一向に減らず、ビールの空き缶と吸殻だけが増えていく。
「もし今夜も俺が戻らなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「今までの経験上、悟浄が二晩続けて帰ってこないことはありませんって八戒が言ってた。それに、鍵預かったし」
悟空は皿洗いの手を止めてどこからか八戒の鍵を取り出すと、指にひっかけてくるくると回して見せた。
鍵と一緒に揺れているキーホルダーは、実は悟浄とおそろいだ。まさか合鍵なんて作ってねぇだろうなと思いながら立ち上がると、悟浄は悟空から鍵を取り上げた。
ポケットの奥深くにしまいながらビールを出そうと冷蔵庫を開けると、すかさず悟空がデザートらしき果物の盛り合わせの載った皿を取り出していく。
「やっぱオマエも温泉に行けばよかったんだよ。温泉はいいぞ〜。疲れも取れるしあったまるし。あいつら二人だけなんて勿体ないだろ」
つーか、二人きりはマズイだろ。そのシチュエーションはヤバイだろ。
未練がましく繰り返す悟浄の気持ちなどわからないのだろう。悟空は不思議そうに小さく首を傾げた。
「オレはいつも元気だから、疲れを取る必要なんかないぜ。それに…」
大きなガラスの皿を覆っていたラップを取って満足そうに微笑むと、悟空は妙に大人びた視線で悟浄を見上げた。
「邪魔したら、野暮だろ?」
(2010.1.13)
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