The Shadow Of Your Smile





6.



まだ胸が高鳴っている。
こんな日がくるなんて、信じられない。
叶うことなどないかもしれないと思いながらも、夢見ていたこの日。
実現するなんて、数刻前までは思いもしなかった。
しかも皮肉にも、"今日"というこの日に。




八戒はジープの運転席へ座りながら、ぼんやりと空を見上げた。
糸のような月が八戒を見下ろしている。
八戒は目を閉じて小さくため息をついた。


胸が痛んでたまらない。
それは数刻前この場所を後にした時感じていたものとは全く異なる、甘い痺れにも似た痛みだった。
過去の記憶に絡め取られ藻掻いていた心は、今では喜びに震えている。
なんて薄情なんだろう。でもきっとこの日が、自分には相応しいのかもしれない。
忘れることなどできるはずがないと思った大切な人のことさえ、少しずつ記憶の中に埋もれていってしまう自分の薄情さを、八戒は恐ろしく思う。
それでも、許されたいなんて望んではいない。
三蔵に惹かれる気持ちは、理屈ではないのだから。


一目会った時から惹かれていた。
夜の闇さえ切り裂く金の光。
傍にいるだけで伝わってくる厳しい魂の在りよう。
そんな特別な人が昇りゆく朝日の中、あの城跡で自分のために経を読んだ時、八戒は囚われた。
三蔵という人間の、強烈な激しさ。美しさ。
そして彼の生きることに対する強い信念が、否応なく八戒を"死"から遠ざけた。



だから彼の纏う光があまりに強烈すぎて、最初は気がつかなかったのだ。
自分が悟空と接するときに感じる、痛いほどの視線に。
ふと八戒と目があうと、三蔵はいつも見ていた幻を振り払うように瞳を揺らした。
そんな時の三蔵の瞳には、いつも誰かを懐かしむような表情があった。

三蔵は八戒の中に、八戒ではない誰かの姿を見ている。
誰にも靡くことのない傲岸で自信に満ちた特別な人に、こんな顔をさせられる人がいる。
それはきっと三蔵にとって、とても大切な人。
そのことに思い至った時、八戒の心は暗い悲しみと怒りに苛まれた。
自分はあの人の光に導かれて生きることを決めたのに、あの人の光はこの身を射すことはないのだ。


その時から三蔵に向ける八戒の笑顔は、どこか距離を置いたものになった。
そんなに気安く微笑まないし、気を許したりしない。
三蔵の光が八戒自身を射す日までは――。
時間がかかっても構わない。必ず振り向かせてみせる。

いくつかの年を経ても、悔しいほどに三蔵に惹かれる気持ちは変わらなかった。
そして持ち掛けられた、西への旅の話。
四六時中三蔵と共にいられるこの旅は、八戒にとって願ってもないものだ。
妖怪の凶暴化も暴走も、八戒には関係ない。
ただ、命をかけて三蔵を守ること。三蔵の心を掴まえること。
そのことこそがこの旅の目的だった。

嫌がる悟浄を巻き込んで、愚かしい小細工まで弄して。
ひどいエゴイズムだと自覚している。
あの稀有な光を自分だけのものにすることが、どれだけ分不相応なことかということも十分わかっている。
それでも構わないのだ。
この魂が地獄に墜ちても、三蔵に惹かれる気持ちは止められないのだから。






微かな葉擦れの音を耳にして、八戒は目を上げた。
もうすぐ光が現れる。
この身を刺し貫く程に強烈で、美しい光が。

自分は囚われてしまった。
三蔵という光を捕らえようとして、その光にすっかり囚われてしまっている。
自分はただ愚かな虫のように、魅了され引き寄せられて、焼き尽くされるのを待っている。
この微笑みの下には、いつでも言葉にできない醜い想いが渦を巻いていて。
その想いを抱いて、それでもきっと笑いながら、自分はいつか地獄に堕ちるのだろう。



闇の中に鮮やかに現れたその光が眩しくて、八戒は目を細めた。
今、三蔵の光はまっすぐに八戒だけを射している。
想いの丈をこめて微笑めば、瞳の中の光が滲んで溶けて、頬を滑りおちた。







end



(2009.04.19)

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