late fall
1.
「困ったな」
八戒は小さく呟いた。
商店街の一角にあるこの店に立ち寄ったのは、かれこれ15分も前だったろうか。
冬の気配をはらんだ冷たい夕暮れの風が吹き抜ける中、店先に並ぶ陳列棚の前で立ちすくむ八戒は、ある品物にじっと視線を注いでいる。
「どうしましょうか…」
小さく眉を寄せながら呟いた八戒の声は、困惑しながらもどこか幸せそうな響きを含んでいた。
この街に着いたのは夕方に近い時間だった。
しばらく続いた野宿の間に食料をすっかり食べつくしてしまったため、今日はあれこれと買い物をしなければならない。
八戒はとりあえず宿の確保をしてから、ビールや米などの重くかさばるものを買うために荷物持ちを頼んだ悟浄と共に、急いで買出しへ出かけた。
夕飯の買い物客で賑わう商店街の入り口にたどり着いた時、八戒はふと立ち止まった。
そういえば手芸店にも寄らなければいけなかった、と思い出す。
この街に着く前に妖怪達と会ってしまい、派手に暴れたせいで、悟空の服が破れてしまったのだ。
そんなことは珍しくもないことで、破れた服や取れたボタンを繕うのは、針仕事の得意な八戒の役目だった。
確か裁縫箱の中の糸がなくなりかけていたはず。
重いものの買い物は悟浄に任せることにして、八戒は商店街の奥にある小さな手芸店に立ち寄った。
目的のものはすぐに見つかった。
急いで会計をして悟浄を探さなければ、と考えながら繕い物用の糸を手にしたとき、ふと「それ」が目に入ったのだ。
季節柄、店の一角に大量に積み上げてある、色とりどりの毛糸の山。
その横には、その毛糸で編んだものらしい、セーターやベスト、マフラーの数々。
八戒の目は、その中の一本のマフラーに惹きつけられた。
細い柔らかそうな生成りの毛糸で編んだ、縄模様のマフラー。
夕方の冷えてきた空気の中で、そのマフラーは暖かそうにマネキンの首に巻かれていた。
(あの人に似合いそうだな。)
八戒は宿にいる、金の髪の人を思い浮かべた。
いつも纏っている法衣の輝くばかりの白も似合うけれど、少し生成りがかったこの色は時折見せる三蔵の優しさに似ていて、きっと彼によく似合うと思った。
折しも三蔵の誕生日が四日後に迫っていた。
何かプレゼントを…と思っていたのだが、慌ただしい旅の途中でなかなか気に入ったものにも巡り会えず、どうしようかと考えていたところだった。
(マフラーなんて使ってくれるだろうか?でもこれから寒くなるから、法衣だけじゃ寒そうだし…。あぁでも、法衣にマフラーは似合わないかな?)
などと、先ほどから延々と考え続けている。
ビールと米を両手に抱えて八戒を探し回っている悟浄の存在は、八戒の頭の中からすっかり消えていた。
(やっぱり、これにしよう。)
意を決して手を伸ばした時だった。
「簡単ですから、作ってみたらいかがですか?」
いつの間にか年輩の女性が、にこにこしながら八戒の隣に立っている。
「えっ、僕が――ですか?」
八戒は驚いて店員らしい女性の顔を見つめた。
「最近は男性も編み物をされるんですよ」
女性は手にしていた雑誌のあるページを広げてみせた。
『ニットの貴公子』
という大きな文字と共に、にこやかに微笑む男性が編み物をしている写真が載っている。
何でも、今はやりのニットデザイナーらしい。
「でも、僕、編んだことないんです。できるんでしょうか?」
「マフラーくらいなら、一週間もあればできますよ。編み方は今からお教えしますから…」
「一週間……。四日でできますか?」
「贈り物にされるんですか?頑張れば充分間に合いますよ」
励ますように笑いかけられて、八戒は決心した。
手作りのマフラーなんて気恥ずかしいけど、もし喜んで貰えるのならば贈りたい。
誰かが編んだものよりも、自分で編んだものを身に着けてほしい…。
「教えて下さい。今すぐに!」
八戒は女性に向かって、深々と頭を下げた。
「ったく、どこ行ったんだ?」
悟浄は買い物客で賑わう町の商店街を、重い荷物を抱えてうろうろしていた。
(確か煙草を買って、本屋に寄って、その後縫い糸を買いに行くって言ってたっけか?)
見当をつけた本屋にはいなかった。煙草屋の前にも手芸店の前にも姿は見えない。
もう一軒の本屋にも見当たらなかった。
さっき表から覗いた時にはいなかったが、念のためもう一度と、今度は手芸店の中へ入ってみた。
そしてそこに八戒の姿を見つけて、悟浄は立ち尽くした。
「ナニ…やってんの?」
少し呆然として悟浄が声をかけると、八戒はハッと顔を上げた。
手に毛糸と編み棒を持っている。
「ちょうどよかった、悟浄。今、一通り教えてもらったところなんです」
嬉しそうに笑いかけてくる。
悟浄は驚いて言葉がでなかった。
(編み物?八戒が?)
黙ったままの悟浄が機嫌を損ねているのかと、八戒は慌てて言った。
「遅くなってしまってすみませんでした。もう帰りましょう」
店の女性が毛糸やら編み棒やらを包み、にこにこ笑いながら悟浄を見た。
「この方が、プレゼントしたいお相手なの?」
八戒もにこにこと微笑みを返しながら言った。
「いいえ、違います」
宿へと戻る道は、すっかり暗くなっていた。
八戒は大事そうに毛糸の入った袋を抱えている。
「何を作るつもりなんだ?」
「マフラーです。もうすぐ三蔵の誕生日ですから」
「編み物なんかできたっけ?」
「編み図をいただいたし、丁寧に教えていただいたから、多分大丈夫です。筋がいいんですって、僕」
「ふーん」
二人で住んでいた頃、手先が器用で料理でも裁縫でもそつなくこなす八戒に、冗談で編み物はしないのか?と聞いたことがあった。
八戒は少し遠い目をして、寂しく笑ったものだった。
「姉のことを思い出すので――」
確か編み物はしないと言っていたような…。
「愛の力かねぇ」
ぼそっと呟けば、少し前を歩いていた八戒が振り向いた。
「何か言いました?」
「いんや」
悟浄は煙草が吸いたいと身振で示して、抱えていた荷物の一つを八戒に手渡した。
八戒は10キロの米袋を軽々と片手で受け取りながら、にこやかに悟浄に微笑んだ。
「三蔵には内緒にして下さいね」
(2008.11.21)
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