セロハン

             



1.




「なぁなぁ…」
夕方のラッシュのこの時間、やたらたくさんの人が行き交う池袋駅地下コンコースは歩きにくい。
「いったいどこまで行くんだよ?」
予測のつかない角度から現れて足早に目の前を横切ってゆくサラリーマンやOLをかわしながら、俺は目の前の背中に呼びかけた。
「なあ、三蔵!」
いきなり右の方から近づいてきたOL風の二人連れにぶつかりそうになって慌てて立ち止まってる間に、金色の髪はどんどん先に行ってしまう。
クスクスと笑いながらいい匂いを残して通り過ぎてゆく女の人たちを待ってから、俺は小走りでデパ地下の入口の前を通り過ぎた。
中から漂ってくる魅力的な匂いとワクワクするような呼び込みの声に心惹かれながらもなんとか追いついて横に並ぶと、三蔵は舌打ちしながら携帯を取り出したところだった。
「うるせえな、少し黙ってろ。」
リダイヤルして耳にあてながら、眉間のたて皺を深くする。
「…出やがらねえ。」
舌打ちと一緒に携帯を尻ポケットにねじ込みながら、三蔵はさらに足を速めた。
地下鉄の路線を乗り継いでここにくるまでの間、三蔵はずっと煙草を吸っていない。
かなりのヘビースモーカーだからイラついているのは確かなんだけど、原因はそれだけじゃないと思う。
さっきから何度も電話をかけているのに全然繋がらなくて、そのたびに三蔵の機嫌は降下していた。



三蔵は都内の某有名私立大学に通う大学院生だ。
俺が育った希望の家の近所にある、桃源寺っていう寺に住んでいる。
希望の家っていうのは児童養護施設で、親と暮らせない事情がある幼児から高校生までの子供たちが一緒に暮らしている。
そこの園長が三蔵の父親の光明先生で、桃源寺の住職でもある。
三蔵は時々施設にやってきて、仏頂面しながら俺たちの勉強を見てくれる。
解りが悪いとスゲェ怖いけど、見かけによらず教え方が丁寧でわかりやすいとみんなに好評だ。
たまに笑うとびっくりするくらいきれいで、密かに女の子たちに人気がある。
最初の頃は小さい子供が苦手だったみたいだけど、今では眉間に皺を寄せながらも小学生の女の子たちにまとわりつかれている。
俺はあんまり勉強が好きじゃなくて成績もヒサンなもんだから、すぐに目をつけられた。
最近じゃ寺にまで呼ばれて勉強を見てもらったり、ついでに時々部屋に上がりこんで、三蔵の好きな音楽を聞かせてもらったりしている。
7歳年上の三蔵は口は悪くて愛想はないけど、俺にとっては頼りがいのある兄貴みたいな存在だ。


でも今日は俺の勉強みてくれるって約束してたのに、すっかり忘れてんな。
昨日偶然道で会った時に「もうすぐ期末試験なんだ。」って言ったら、「お前、あんな成績じゃ高校卒業できねぇぞ。勉強見てやるから、明日寺に寄れ。」なんて絶望的な言葉で脅したくせにさ。
さすがに赤点続きはヤベェって思ってたから学校帰りに素直に寺に寄ったら、三蔵はすんげぇ不機嫌な顔して出かけるとこだった。
「ナンか用か?」ってすっかり自分の言ったことを忘れてるから腹が立って、駅に向かって行く三蔵の後を勝手についてきちまった。
帰ってもどうせ一人じゃ勉強する気になんねーし。
三蔵は嫌そうな顔しながらも、ついてくるなとも言わなかったから嫌じゃなかったんだろう。不機嫌顔なのはいつものことだ。
笑うとあんなにきれいなんだから、もっと笑えばいいのに。

でも池袋なんてほとんど来たことねえから、全然わからねえ。三蔵とはぐれたら即迷子だ。
高校生の俺の行動範囲は、希望の家と学校の行き帰り、それから三蔵の家である桃源寺くらいで、学校の友達みたいにわざわざ渋谷や原宿なんかに遊びに行くことはない。
時々友達と駅前のゲーセンやカラオケで遊ぶくらだ。
なんだか寂しい青春だなってこの間三蔵に言われたけど、別にいいんだ。
赤ん坊の頃桃源寺の境内に捨てられて、それから17年間施設で育った俺には希望の家が一番居心地いいし、こうやって三蔵と一緒にいるのも面白いし。



「八戒、仕事が忙しいんじゃないの?」
三蔵は地下街の案内図の前に立ち止まって、出口の場所を確認している。
このあたりで仕事をしている八戒に会いに行こうとしているんだけど、場所がよくわからないみたいだ。
「あんな仕事がそうそう繁盛するわけねえだろ。絶対無視してやがるな、あいつ。」
あんな仕事って?
そういえば、八戒の仕事ってなんだろう?

八戒と悟浄は、三蔵の高校時代からの友達だ。
二人一緒だったり別々だったりするけど、時々寺の玄関ですれ違ったり、光明先生の部屋に入っていく姿を見たことがあった。
三蔵は二人が来るとなんだかイヤそうにしてるけど、家に呼ぶくらいだから仲がいいんだろうな。
他に三蔵の友達って見たことないし。
二人は一緒に住んでいるんだと三蔵が言っていた。
全然タイプが違う二人が親友だなんて、ちょっと不思議な気がする。
いつもにこにこしているけどどこか寂しそうな雰囲気の八戒に対して、悟浄は初対面からいきなりサル呼ばわりで、ヘッドロックかけてくるようなヘンなやつだ。
俺たちは何回か一緒にメシを食ったりカラオケをしたことがある。
悟浄は遊び慣れてるって感じでいつでも陽気で楽しそうで、口は悪いけど面白いヤツだ。
八戒はとっても優しい笑顔で俺の友達や学校の話なんか聞いてくれるけど、自分のことはほとんど話さない。
この間三蔵に聞いたんだけど、八戒は小さい頃、希望の家に居たらしい。
俺が拾われた頃に養子として施設を出て行ったみたいだから、俺は全然覚えてないんだけど。




三蔵は地上への長い階段を息を切らせながら上り切ると、ちらっと腕の時計を見た。
「もうこんな時間か…クソ、あの野郎!」
三蔵はますます不機嫌になっている。俺はニ、三歩遅れて三蔵の後に続いた。
こういう時はちょっとした失言でどこからか取り出したハリセンでこっぴどく叩かれることが多いから、自衛しとかないとな。
俺たちは駅前の大きな交差点を斜めに横切って、怪しげなネオンや看板を横目に見ながら喰いもん屋や飲み屋が並ぶ細い通りへ入っていった。
さらに路地を一本入った所で、三蔵は突然立ち止まった。


そこは中華料理屋と古書店、中国整体の看板が並ぶ細い路地だった。
その一角に、小さな机を挟んで二人の人が座っている。
三蔵は小さく舌打ちすると、ため息をつきながら煙草を取り出した。
向かいあって座っているうち古書店を背にしている方は、こんな季節なのにフードのついた真っ黒なロングコートを羽織っている。
俯いていてよく顔が見えないけど、コートの袖口から覗くきれいな白い手が印象的だった。
もう一人は若い女の人で、手にしたバッグを胸の前で抱きしめながら、相手の言葉に熱心に頷いている。
二人の間の小机の上にはカードが何枚か拡げてあった。あれはタロットってやつかな?
どうやら黒いコートの方が占いをしているみたいだった。

辺りを見回してみたけど、看板も何もなかった。
こんな奥まった場所で随分商売っ気のない占い師だなと思いながら、俺は物珍しくてじろじろ眺めてしまった。
やがて客の女の人が立ち上がった時、俯いていた顔を上げた黒いコートの人を見て俺はびっくりした。
なんとなく華奢な印象だったから女性なんだと思いこんでいた占い師は、八戒だった。
立ち上がった女の人ににっこりとほほ笑んで、丁寧に頭を下げている。
満足した表情で女の人が俺たちの横を通り過ぎて角を曲がっていくのを見送ってから、三蔵はツカツカと八戒に近寄った。



「あれ?…三蔵さん?」
黒いフードの下から、きれいな翡翠みたいな瞳が俺たちを見上げていた。
「こんな所でどうしたんですか?」
「“どうしたんですか?”じゃねぇ!電話もメールも繋がらないから、足を運ぶしかねぇだろうが。昼からずっと電話してんのに何で出ねぇ?」
「仕事中は電話を取らないことにしているんですよ。すみませんね、何かご用ですか?」
八戒は悪びれることなく首を傾げた。
「インチキ占い師に頼るような物好きが、そんなにいるもんなのか?」
「お陰様で商売繁盛。有り難いことです。」
三蔵の不機嫌な言葉をさらりと流して、八戒はにっこりと笑った。
「親父の呼び出しだ。ちょっと急ぎらしい。今から行けるか?」
「ええ、僕もそろそろ…」

突然脳天気な着信音が小さく鳴り始めた。途端に八戒の表情が、花が開いたように明るくなる。
「ちょっと失礼しますね。」
いそいそと机の下の鞄から真っ赤な携帯を取り出すと、嬉しそうに耳に当てた。
「アイツからの電話は特別かよ。」
三蔵はイライラと、短くなったタバコを投げ捨てた。
“今日はオシゴトなくなったんですか?…ええ、ちょうど上がろうと思っていたんですけど、今、三蔵さんがいらっしゃって…。今から伺うことになりそうなんですよ。”
確認するように目を向けた八戒に、三蔵は嫌そうに頷いた。
“え?あなたも行ってくれるんですか?”
隣りで盛大な舌打ちが聞こえたけど、俺は八戒から目が離せなかった。
なんて幸せそうに笑うんだろう。まるで電話の向こうの相手を抱き締めるみたいな、優しい笑顔だった。

「悟浄も行くそうですよ。」
嬉しそうに通話を終えた八戒は、携帯をパタンと閉じた。
「やっぱり携帯、繋がってんじゃねえか。」
不機嫌に言い募る三蔵に、八戒は真面目な顔で口を開いた。
「あなたはお客さまじゃないですからね。それとも決心がつきましたか?見料は特別にまけておきますよ。」
決心ってなんだろう?
黙ってしまった三蔵から、八戒は俺に目を移して微笑んだ。
「悟空さんも一緒に迎えにきてくれたんですか?嬉しいなあ。」
八戒は右手を差し出して俺の手をとった。
途端に、奪い返すように三蔵が俺の腕を掴んで引き寄せる。
「なんだよ?」
「不用意にこいつに触らないほうがいい。」
「人を病気持ちみたいに言わないでくださいよ。」
八戒はにこやかに返すと、机の上のカードをまとめて足元の鞄に入れた。
それから、ちょっと待っていて下さいと言い置いて古書店の中へ机を運び込み、店主らしき老人と言葉を交わすとすぐに出てきた。
「ここのご主人にいつも見台を置かせていただいているんですよ。とってもいい方で助かります」
「いつもここで仕事しているの?」
「そうですね。週に3日くらいかな」
「ねえ、今度俺のも見てくれる?」
「いいですよ。じゃあ三蔵さんのお宅に伺った時にでも。」



「このままタクシーを捕まえるぞ。」
盛り上がる俺たちのことを振り向きもしないで、三蔵は駅へ向かって歩き出した。
「もう帰っちゃうのか?何か食おうぜ。俺、腹減へって死にそうなんだけど…」
「我慢しろ。」
「えーっ、無理だよ。俺は今が食べ盛りなんだぞ!」
「お前は一年中食べ盛りだろ。」
周りに並ぶ中華料理や定食屋の看板を恨めしく眺めながら、俺は前を行く三蔵に食い下がった。
「コンビニくらい寄ってもいいだろ?」
「そんな時間は、ねえ!」
取りつくしまのない三蔵にさらに文句を言おうと口を開いたら、並んで歩いていた八戒が目の前に掌を広げてみせた。
「あの、よかったらコレどうぞ。こんなものじゃ、お腹の足しにならないと思うけど。」
形のよい掌の上に、小さな色とりどりのセロハンの包みが載っている。
両端を捩じってある赤や黄色、緑のセロハンには見覚えがあった。
「これって、ラムネ?」
「ええ。僕、大好きなんですよ。いい年して可笑しいんですけど。」
「俺も好きだよ。もらっていいの?」
「どうぞ。たくさんありますから。」
八戒は俺に手渡して空になって右手をポケットにつっこむと、さらに一掴みを握って俺の目の前で広げてみせた。
「いただきます。」
赤いセロハンを剥いてラムネを口に放り込むと、さわやかな香りと甘味と酸味が混ざり合って舌の上で溶けてゆく。
なんだか懐かしい気持ちが湧き上がった。
「美味ぇ。」
八戒は嬉しそうに目を細めた。
「いつも、悟浄がくれるんですよ。」
悟浄って名前をとても大事そうに口にして微笑みを深くする。
よっぽどあいつのことが好きなんだなって思いながら、俺はその笑顔にちょっと見惚れた。


ふと前を見ると三蔵が立ち止まってこっちを見ていた。
怒ったような悲しいような不思議な顔をして、八戒の掌のラムネを見つめていた。






(葉村/2011.11.22)

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