赤い鳥
学校の敷地の北隅に建つ小屋は、以前は体育倉庫として使われていたという。
10年程前に莫大な寄付により新しい体育館が建ってからは、忘れられたように放置されている。
以前から何かと絡んでくる数人にこの場所に無理矢理連れてこられたのは、昼休みが終わり校庭に人気がなくなった頃だった。
彼らは入学以来、ことあるごとに因縁をつけてきた。最初は同級生だけだったが、じきに上級生も加わった。
何が気にくわないのかわからない。
生意気だ、と言われるのには慣れていたし自覚もしていた。
揉め事を起こせば光明先生に迷惑がかかると思い、腹立たしかったができるだけ騒ぎにならないように我慢をしていた。
孤児で里親にも疎まれるような僕に、将来を見据えてしっかり勉強するようにと、この学校に入学することを薦めてくれた先生の期待を裏切りたくなかった。
暴力は嫌いだが、これくらいの人数なら何とかなるだろう。
口先だけで絡んでくるしか脳がない奴等だと僕は油断していた。
両脇を囲まれながら小屋の中に足を踏み入れると、埃が舞い上がった。
高い天井の一角に明り取りの窓があり、明るい真昼の日差しが斜めに落ちている。
対照的に暗がりになっている部屋の隅には、古い体育用具が無造作に積まれていた。
「待ってたぜ」
突然影の中から声がした。
高く積んだ跳び箱の上に、この場のリーダーらしき男が座っていた。
確か高等部の二年生。素行の悪さで度々噂になるが、大物政治家の息子という肩書きに守られているらしい。
その足元に、制服をだらしなく着崩した取り巻きらしい二人がニヤニヤ笑っている。
ああ、まずいな。
頭の悪い同級生だけならせいぜい暴力を見せつけるだけだろうが、わざわざ隣の敷地からやってきたセンパイと呼ばれるゲスどもは、それだけでは済まないだろう。
弱者をいたぶり欲望の捌け口にすることに慣れた奴等だと一目でわかる。
「卑怯者」
呟くと、両脇から腕を押さえている二人が動揺したように互いを見た。
自分たちが思っていた以上に大事になりそうだと、今頃気づいたようだった。
「うるせえ」
精一杯の虚勢をはって僕を突き飛ばすと、慌ただしく小屋を出ていく。
背中で大きな音をたてて、扉が閉まった。
三人は無言だった。
不気味な程慣れた動きで僕を取り囲む。
目の前の一人めがけて頭突きをして外へ逃げようとしたが、別の一人に羽交い締めされもう一人に腹を殴られた。
この年頃の三歳差は大きい。 人数以前に体格的にだいぶ不利だった。
破れた体育マットの上に突き飛ばされると、眼鏡が落ちて途端に視界があやふやになった。
いくつもの汚い手がネクタイをむしりとりワイシャツを引き裂いていく。一人が焦ってベルトに手間取っている様子に思わず歪んだ笑いが込み上げると、思いきり頬を張られて唇を切った。
殴られるのは馬鹿馬鹿しいと思ったが、されるがままなのはしゃくなので滅茶苦茶に手足を動かし暴れてみた。
荒い息づかいや訳のわからない声が耳に入ったが、不思議な程恐怖はなかった、
ただただ馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
たかが高校生のくせに。自分の力では何もできないくせに。
社会の規範や道徳なんか関係ないこんな奴等が、大人になって汚い世界を作るんだろう。
せめて普通の公立中学に行かせてくれていたらと、少し光明先生を恨めしく思った時だった。
突然ガラスが割れる音がして、天井から破片が降ってきた。
次いで窓を乗り越えて飛び降りてきた大きな影。
薄闇のせいでグレー一色に見えていた景色の中、それは赤い羽を広げて舞い降りた大きな鳥のように見えた。
やけに鮮やかな赤だけが、痛いほどに目に焼きつく。
男たちは慌てて立ち上がった。
落ちている眼鏡を拾い上げてみると、羽に見えたのは赤い髪だとわかった。
ああ、あれはたしか、同じ学年の―
「そんなことして、何がたのしーの?」
「何だてめえ、邪魔すんな!」
「合意?じゃねえよな。じゃ、俺と遊んでよ」
彼の動きは素早かった。
まるで舞うように繰り出される腕も足も、的確に急所に打ち込まれていく。
人数の差を感じさせない様子から、彼が喧嘩に慣れていることは一目瞭然だった。
ほどなくして静かになった部屋で、彼は僕を見下ろした。
「大丈夫か?」
ぶっきらぼうにかけられた言葉と照れたように目をそらす様子から、見かけほど怖い人じゃないとわかった。
よく見たら、瞳も赤い色をしている。
「ありがとうございます、沙悟浄さん」
僕の言葉に驚いたように目を瞠り、それから、笑ってみてくれという。
変な人だ。
紅い長髪にピアス、頬には傷があり、だらしなく裾をだしたシャツの下のズボンのポケットから、煙草が覗いている。
床に転がる奴等より、一見悪そうに見えるけれど。
とてもきれいな瞳をしていた。
差し出された手は温かだった。
その日僕は、初めて友達ができた。
end
(2016.11.19)