あの人のすきなもの・秋





“お前の手が好きだ”

突然左手をつかまれて、耳元に告げられた。
気難しい最高僧は、時々思いもかけないストレートな言葉で僕を驚かせる。
とっさに言葉が出ない僕の手を掴んだまま、三蔵は顔を赤らめることもなく至極当然といったふうに歩きだした。

長安へ戻る道の途中だった。
穏やかな秋の陽射しの下、忙しなく、またはのんびりと行き交う人の中には、この人があの世にも気高く稀有な存在である三蔵法師と知る人が何人もいるだろう。
白い法衣を纏った姿はこの人によく似合うけれど、ひどく目立ってしまう。

「こんなことして、いいんですか?」
冗談に聞こえるように明るく返しながらさりげなく手を抜こうとしてみるが、痛いほど握った三蔵の指の力は僅かも緩まない。
僕は胸の内で小さくため息をついた。
近隣の街の寺院まで出かけ所用を済ませた帰り道、三蔵は右手を差し出して、手を繋げと言い出した。
この人らしくない行動に戸惑って、子供みたいですねと返したら、この手が好きだからだと口にして、あとはこの有り様だ。
こんな風に手を塞いだら不便だろう。
このままでは煙草も吸えないし、いざという時に銃を取り出しにくいはずだ。

困ったな。
いや、嬉しくないわけじゃない。
この人に求めらて嫌なはずがない。
ただ素直に甘えられないのは、僕の捨てきれない鬱屈のせいだ。
先程訪れた寺で投げつけられた言葉が耳から離れなかった。
三蔵様の立場を貶める輩云々と。
そんな言葉には慣れているはずなのに、気にしまいとしても小さな棘のように胸にひっかかっている。
修行が足りませんね、と胸の内で呟いて、色が変わるほどにしっかりと握られた左手に目を落とした。


僕の中には、忘れられない言葉がある。
―私 悟能の手、好きだな―
それはこの手が血に塗れる前のこと。
彼女から貰った柔らかな思い出の一つ。
ただ一人、この世で僕を愛してくれる女だと思っていた。
僕の目の前で自らの命を絶った女。

この手に宿る、人を治癒する力を讃える人がいるけれど、妖怪になることと引き換えに得た力だ。
自分が殺戮者であり、人間でないという証。
他人がこの力を持ち、使う分には文句ない。
だけど僕に。よりによって殺し過ぎるほど人を殺した僕に宿るなんて、なんという皮肉なんだろう。
こんな手は、本来この人に触れる資格もない。

僕はこの手が嫌いです。

胸の内の呟きが聞こえたように、三蔵は突然足を止めて手を放した。
勝手なもので、手を放されてほっとすると同時に寂しい気持ちに襲われる。
三蔵の熱を追うように視線を上げた僕は、あたり一面金色の落ち葉に覆われていることに気がついた。
驚いて見上げれば、僕らは大きな銀杏の樹の下に立っていた。
金の葉を雨のように降らせながら静かに佇む巨木を見上げて、三蔵は満足げに微笑んだ。
「帰りに寄りたいと言ってたろう」
「あ…」
そういえば、あまりにも見事な紅葉に、帰路に立ち寄りたいと言ったのは僕だった。
「すみません、忘れていました」

三蔵は懐から煙草を取り出すと、火をつけた。
ゆっくりと流れていく煙の行方を二人で眺めていると、胸の中の冷たい塊は嘘のように消えてしまう。
僕のとるに足らない言葉を覚えていてくれた。
そんな些細なことが嬉しくてたまらない。
この人がくれるささやかな優しさだけで、自分は許されているのかもしれないと思ってしまう僕は、案外単純なのかもしれない。


「手はこうやって繋ぐんですよ」
掌を合わせて指と指を絡ませた。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「ほう」
三蔵は繋いだ手をしげしげと眺めると、優しく力を込めた。
僕の左手と三蔵の右手はぴったりと重なり、その指はしっかりと絡みあって互いの熱を伝えあう。
優しいその熱に、二つの掌が溶け合って一つになってしまうようだ。
ふと、三蔵は繋いだままの僕の左手を顔の高さまで引き寄せた。
驚いて見つめれば、僕の手に三蔵の唇が触れている。しかもそこは、薬指の上で。
「なっ…なにをしてるんですかっ?」
「 決まっているだろう?証だ」
とんでもないことを口にすると、三蔵はにやりと笑う。
その瞳に、食い尽くされそうだ。

「僕は…」
言葉に詰まる僕の耳元に、やさしい囁きが落とされた。
「お前も好きになれ」
この手も、お前自身も。
小さく言い添えて、三蔵は金の雨を見上げた。



きっと好きになるでしょう。
あなたが好きなものならば。







end




今度こそ、プロポーズ?



(2015.11.29)




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