ぬるい関係







「うっわ」

ドアを開けると部屋の中は白く煙っていた。
俺はドアノブを握ったまま戸口で暫し固まり、その後がっくりと肩を落とした。

「おかえりなさい」

ハイライトの香りが充満する中、ベッドに腰掛けた八戒が振り返る。
猛烈な勢いで煙草をふかしながら向けられたその笑顔は、百発百中、誰もが見惚れる完璧な笑顔だ。
だが騙されてはいけない。
これは八戒が壮絶に機嫌が悪いというサインであることを、俺は嫌というほど知っている。

またかよ…
思わず漏れた大きなため息とともに、俺はゆっくりと後ろ手にドアをしめた。






宿では二人一組で部屋を取ることが多い。
部屋割りは何故かいつも八戒に決定権がある。
たいてい三蔵と八戒が同室だ。
従って今日も俺と悟空が同室のはずだった。

俺は別にいいのだ、誰と一緒でも。
どうせ八戒と三蔵はデキあがってるし、悟空は起きてても寝てても煩いが、変に気を使わなくていい所がいい。
よくないのは、どうしてココにこいつがいるのかということだ。
ハイライト吸ってるし。
俺が密かに隠し持っていた酒がサイドテーブルに乗ってるし。
しかも中身半分以上無いし。
一応まだ夕食前なんですけど?


「あの、八戒さん?確かココ、俺の部屋じゃなかったっけ?」
嫌みにならないように聞いてみる。
いや、別に嫌みに聞こえてもかまわないはずだ。
相手がこいつじゃなかったら。

「知ってますよ。こんな時間にどこ行っていたんですか?」
八戒はフーッと煙をはきだした。
普段全く吸わないくせに妙にサマになっている。

「ちょっと下見に♪」
この街はキレイなおねーちゃん率が高いと見た。久々に大漁の予感がするのだ。
いや、そんなこと今はどうでもいい。
宿に到着してから出発までの時間は、四人が各々単独で自由に過ごせる貴重な時間だ。
そういう大切な時間に、なぜこいつはココにいるのか?
腕まで組みそうな勢いで三蔵と二人で部屋に消えてから、そう何時間もたっていないはずだ。

「ふーん」
自分から聞いたくせに、八戒は興味なさそうに短くなった煙草を灰皿に捻り混んだ。
吸い殻の山が崩れてテーブルを汚す。
普段だったら大騒ぎしてるとこだが、八戒はぼんやりと窓の外に目をやるだけだ。


「悟空はどうした?」
三蔵のところか?と聞こうとして思いとどまる。
セーフだ。
今三蔵の名をだすことは、自殺行為に等しい。

「この街でおいしいと評判の肉饅頭の店の話をしたら、大喜びで飛び出していきましたよ。会いませんでしたか?」
少し毒のある笑みを浮かべて、こっちを見上げた。
「…追い出したわけね」
「失礼な」

八戒は部屋に備え付けの安っぽいグラスに酒を波々とつぐと、一気に喉に流しこんだ。
噎せもせず平然と飲み干すと、もう一度酒に手を伸ばす。
勿体ねぇな、滅多に手に入らねぇ高級酒なんだぞ!そんなガバガバ飲むな!



「煙くねぇの?」
「え?あぁ…」
八戒は部屋の中を見回すと、充満している煙に初めて気付いたように顔をしかめた。
「すごい煙ですねぇ」
せき込みながら立ち上がり、窓に近づく。
だが両開きの窓は、窓枠が歪んでいるのかギシギシと音をたてるだけでなかなか開かない。
「この宿ヒドいですね。まあ、安いからしょうがないんですけど」
ぶつぶつ言いながら、八戒は無造作に右手を上げた。

「はっ!」

え?
い、いま緑の小さい光が見えたような…?
いつもの何十分の一の威力だか知らねえけど、今お前、気功弾撃ったろ!
ヒドいのはどっちだ?


ガタンという音と共に窓枠が傾き窓が開いて、ついでに窓ガラスに一枚ひびが入った。
「あれ〜?強すぎましたかねえ?」
八戒はのんびりと頭を掻きながら振り返った。

ねえ?と言われても。
俺と悟空が退屈しのぎに暴れたり、それを止めようと三蔵が銃をぶっ放したりして宿のものを壊すから、修理代の請求が大変なんですよ、などといつも嫌味ったらしく文句を言っているのは八戒なのだ。

俺は言葉につまった。
ひょっとして、随分酔ってるとか?








部屋を白く煙らせていたものは、開け放った(つーか、壊された)窓からゆっくり流れでていった。
相変わらず八戒は煙草を手放さないが、そのペースはだいぶ落ち着いてきている。


「で、今日はどうしたよ?」
部屋に一つしかない椅子を引っぱってくると、俺は八戒の前に腰掛けた。
煙草に火をつけながら、いつになくぼんやりしている八戒の顔を眺める。
「しょうがないから聞いてやる。早く話せ」
ホントは嫌だけど、とは言えない。
さっき壊れた窓が、後ろでガタガタ音をたてている。

八戒は少し俯いて唇を噛んだ。
ふと、そんな顔もかわいいじゃん…とか思ってしまって、俺は内心慌てた。
これはアレだ、アレ。
一時の気の迷い。

「三蔵が」
今度は上目づかいで見つめてくる。
うわ、やめれっ!、その潤んだ瞳!
ドキドキするじゃねーかっ。

「三蔵が仕事ばかりしてて…」
「はい?」
拍子抜けして思わず膝の上に煙草を落とした。
「あっちい!」
煙草を取り上げようと一人でバタバタする俺に毒気を抜かれたように、八戒は情けない表情で小さくため息をついた。
しょうがないなぁと呟きながら、床に転げ落ちた煙草を拾い上げ、溢れた灰皿に無理やり押しつける。
いつもなら嫌味の一つも吐き出す唇は、小さく噛みしめられたままだ。
今回は重症ってわけね。



「僕が悪いってわかってるんです」
八戒は俯いて自分のつま先を見下ろしながら呟いた。
そういえばこの間立ち寄った寺院で、三蔵は何やら古めかしい巻物を受け取っていた。
何の巻物かなんて興味ないから聞いてもいないが、三仏神の命で次の街にある大きな寺院にそいつを届けなければならないらしい。
これで西へ向かうのがまた遅れる、と三蔵はご機嫌斜めだった。

「別に仕事の邪魔をするつもりはないんです。ただ僕は…」
三蔵はここ数日、宿に着くと荷を解くなり例の巻物の解読にかかりきりだったらしい。
最初は大人しくそんな三蔵を眺めてあれこれ世話を焼いていた八戒も、今日はついに我慢の限界、ぶち切れた。
もっと自分の相手をしてくれてもいいじゃないかと怒る八戒に、相当煮詰まってたんだろう、三蔵が返した言葉は、
「お前はガキか?邪魔だから外へでてろ!」

まぁ、その勇気には感心する。
で、八戒は泣きながら(絶対、嘘だね!)、部屋を飛び出して、今に至るんだそうな。




八戒と三蔵の痴話喧嘩は、いつもこのパターンだ。
構って欲しい八戒と、言葉も愛情表現も今一つ足りない三蔵。
普段はそんな不器用な所も愛おしいなどと惚気ている八戒だが、時折何かに囚われたように爆発する。
それはきっと何者にも代え難いと思っていた愛を一瞬にして奪われた冷たい記憶が、今もその心に影を落としているからだ。
普段は記憶の底に押し隠しているモノが、ふとした瞬間浮かび上がってくる。
そうなると、居ても立ってもいられなくなるらしい。
強かで怖いものなどないように見えるこの男の心に、今も残る喪失の傷痕。

「何も言わなくても傍にいるだけでいいなんて、そんな愛は嘘です。僕なら何度でも抱きしめたい。今ここに存在していることを、確かめたいんです。」
それはきっと、明日はどうなるかわからない、という不安と表裏な思いなんだろう。


実は俺は、こいつの、この貪欲に愛を求める姿勢を気に入っている。
自分に正直に愛を与え求めるその心の強さを、心底羨ましいと思う。
思わず惚れてしまうほどに…
おおっ、問題発言!



「そうやって、三蔵に言ったらいいじゃん」
「言えませんよ」
揃って意地っ張りでプライドが高い二人の喧嘩は、収束する前に必ず俺を巻きこむことになってしまっている。
こうやって部屋を占領されるのは、何度目だろう?

「やっぱり大人げなかったですかね」
八戒は腰掛けたベッドにパタリと横たわってため息をついた。
天井を見上げて頭の下で手を組むと、そのまま黙り込んで蜘蛛がせっせと巣を作っている天井の片隅をぼんやりと眺めている。
その瞳は、いつもより少しだけ揺れている。見えない不安に揺れている。


仕方ない。
らしくない不安げな顔もいいけど、こいつはいつもみたいに、ふてぶてしい位がちょうどいいから。

「はいはい、どいたどいた!」
乱暴に八戒の身体を壁際に転がすと、俺はベッドの空いたスペースに強引に入り込んだ。
「うわっ、ちょっと…」
壁と俺の体に挟まれた八戒は、なんとかこっちへと向き直ろうとじたばた身を捩っている。

「何ですか?悟浄はあっちで寝て下さい!」
反対の壁際の、使われていないもう一台のベッドを腹立たしげに指さした。
「あっちはサルのだし」
「今日は悟空と部屋を変わってもらいますから」
「へーっ。でもこっちが俺のベッドだもんね」
「じゃあ、僕があっちに行きますよ!」

勢いよく身を起こした八戒の背中を、俺はがっしりと掴まえた。
胸のあたりに八戒の頭がくるように引きよせると、逃げられないように腕と脚を巻き付ける。
「まぁまぁ」
八戒の頭をポンポンと叩いて、目の前の黒髪をくしゃくしゃと掻き回した。

「ち、ちょっと、悟浄」
八戒が面白いほど慌てて逃げようと藻掻くから、回した腕にますます力をこめた。
「ちょっとこうしててよ」
甘えるような声でオネガイする。
その声の調子に、八戒の動きが止まった。

「どうして?」
「寂しいから」
「…誰が?」
「俺が」
オマエもな。



思い切り首を反らして胡乱気にこっちを見る八戒に軽くウインクしてやると、八戒は顔を赤らめて視線を逸らした。
そうそう、そういう顔を三蔵にも見せてやれって。
腕の中の八戒は仕方がないとばかりにため息をつくと、ゆっくりと身体の力を抜いた。

「なんか懐かしいねぇ。こういうの」
「やめて下さい。僕の人生の汚点を」
「ヒドイ言いぐさ」

こいつが眠れない雨の夜、何度かこうやって抱きしめた。
まだ悟能の面影を残していた頃。暗い瞳で、闇ばかり見つめていた頃。
だが生きることが辛いだけだった時は過ぎて、八戒にとっていつしか雨の夜は恐怖ではなくなった。
俺がこの細い身体を抱きしめる口実もなくなった。
こいつはいつの間に、こんなに強くなったんだろう。
この腕がもう必要ではないのだとわかっていても、時には八戒に触れたときのこの感触を思い出すことがある。
ただ抱きしめるだけで見せてくれた安堵の表情と、間近で見た碧の瞳の奥底に揺れていた想いを。


「じゃあ、僕が慰めてあげますよ」
仕返しのつもりなのか、八戒は力をこめて俺の身体にしがみついてきた。
大の男二人が腕と脚を巻き付けあって横たわる姿は、端から見たらかなり怪しいだろう。
だが俺たちは大まじめに互いを抱きしめた。
ただそれだけで、不安に囚われた心が軽くなることを二人とも知っている。

「抱き枕でも買ったらどうですか?」
「俺様、夜はオンナと寝るから必要ねーの」
「そんなこと言って、いつも宿の枕抱きしめて寝てますよ」
「お前こそ、必要なんじゃねーの?」
「僕は…」



八戒が何か言いかけた時だった。
いきなり勢いよくドアが開いて、お約束の銃声が響き渡る。
こめかみに青筋をたて眉間に深い溝を刻んだ三蔵が、部屋の入り口で銃を手に仁王立ちしていた。
銃弾は八戒の仕打ちに辛うじて無事に残っていた窓ガラスに、天井の蜘蛛の巣に負けないくらいきれいなヒビ割れを残して外へ飛び去った。
同時に俺も、果てしなく部屋から飛び出したい気分に襲われる。

「もうお仕事終わったんですか?」
足音荒くベッドに近づく三蔵に、八戒は動じることなく微笑んだ。
早く腕と脚を解いてくれ!
「八戒から離れろ」
どう見てもコアラのようにしがみついてるのは八戒だというのに、三蔵は鬼のような形相で銃口をピタリと俺に合わせやがった。
いや、俺何もしてないから!チューだってしたことないから!


「眠くてたまらないんですよぉ」
八戒は暢気に小さく欠伸をしている。
「枕がないと眠れないんですよねぇ」
本当に眠ってしまうのでは、と思うほど、口調も瞼も重くなっている。
俺は身体にまわされた八戒の腕や脚がぐったりと重くなるのを感じて、焦った。
さすがに酔いがまわってきたのか。
頼むからこんなトコで寝るんじゃねえ!

「枕なら、もっといいものがあるだろう」
だが三蔵の言葉に、閉じかかっていた八戒の瞳はぱっちりと開いた。
「膝枕でも腕枕でも抱き枕でもしてやるから…こっちへこい」
耳を疑うような甘い声で囁くと、三蔵は八戒の髪を撫でた。
八戒の頬がみるみる染まっていく。
潤んだ瞳で三蔵を見上げて、見ているこっちが恥ずかしくなるような艶っぽい笑顔を浮かべた。
必殺の笑顔で見つめられて、今度は三蔵がドギマギと顔を赤らめている。


勘弁してくれ。
至近距離で繰り広げられる野郎同士の愛の世界に、俺は限界寸前だ。


「独り占めできるんでしたら、そっちの枕の方がいいに決まってますよ」
八戒は俺を突き飛ばすように身を起こすと、ベッドから飛び下りて三蔵の胸に飛び込んだ。
三蔵はがっしりと八戒を受け止める。
「差し枕って知ってます?」
「ああ」
とかなんとか言いながら、いちゃいちゃしている。
やっと解放されて身を起こした俺のことはてんで無視して、二人は嬉しそうに腕を組むと、いそいそと部屋を出ていった。







俺はバカップルの背中を呆然と見送った。
急に静かになった部屋の中に、壊れた窓枠が風に揺れる音だけが虚しく響いている。
その哀れな音色に、俺は力ない笑いを浮かべため息をついた。


と、その瞬間。
再びいきなりドアが開いた。


八戒が颯爽とした足取りで、まっすぐこっちに向かってくる。
驚く俺の前で身を屈めると、素早く額にキスをした。
それは恋人に対してされるような甘いものではなく、まるで家族になされるような、ごく自然な感触のキス。


「ありがとうございました」
そう言って鮮やかに微笑む姿には、さっきまでの迷いも不安もない。
ニヤリと口もとを引き上げて応えてやると、八戒は踊るようにくるりと背を向けた。
「僕たち夕飯は入りませんから。では明朝会いましょう」
ドアノブに手をかけながら振り返ってきれいに笑うと、パタンとドアを閉めて出ていった。





「あーあ」


ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをしながら窓に近づいた。
哀れな姿の窓枠が、壊れた蝶番に辛うじてしがみついている。
そのひび割れた窓ガラスに切れ切れに映る俺の顔は、笑っていた。


不器用な二人が巻き起こす騒動は、はた迷惑ではあるけれど、退屈しのぎにはちょうどいい。
俺ならもっと上手くやるのに…なんて、思わないでもないけれど。

この場所は捨て難いのだ。
アイツの中での俺の場所。

さっき八戒が残していった額の熱に触れてみる。

指先に感じるぬるい熱。
今はこれくらいが、ちょうどいい。








end



38な場合の悟浄って、こんな感じかな?
その気になれば、いつでも参戦、みたいな。

ちなみに「差し枕」というのは、男女が共寝をすることです。


(2008.10.13)





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