seed






「なにしてるの?」
林の中の小道で這うように地面を探していると、頭の上から呆れたような声がした。
「このあたりに落としてしまったようで」
「落としたって、何を?」
赤い髪を夏の日差しにキラキラさせながら、悟浄はまゆをひそめた。
「どこにも無いんですよ。雨で流れちゃったのかな」
憐れむようにため息をつくと、悟浄は僕を立たせて、手にしていた包を押し付けた。
袋の中からドライアイス特有の冷気が立ち上っている。
「アイス買ってきたから、早く帰ろ」
ああ、あっちいと呟きながら、先に立ってすたすたと歩いてゆく。
僕は未練がましくあたりを見回してから、仕方なくその背中を追った。



風呂から出て鏡の前で自分の傷を眺めていると、悟浄が歯ブラシを咥えて通りかかった。
「傷、まだ痛む?」
「いいえ。雨の降る前なんかには少し痛みますけど」
僕の傷に顔を近づけて、そっと指を触れる。
「すっかりよくなったな。あの医者、ヤブじゃなかったんだ」
ふいに傷に口づけされて、息をつめる。
「ごじょうっ」
咎めるつもりの声に吐息が混ざってしまい、悔しくて赤い髪を引っ張った。
こんな些細な行為に容易く熱を帯びてしまう自分に、情けない気持ちになる。
この人に流されて深い関係になったけれど、愛した女も自分の罪も、忘れたわけじゃない。忘れられるはずがない。
それなのに、触れられるだけでこの人のことしか考えられなくなる。
この傷が痛んでいるうちはよかった。けれど半ば人間でなくなった身体は予想以上の早さで回復した。
本当はずっと痛んでいて欲しいのに。そうでないと愚かな僕は、時々傷のあることを忘れてしまう。
この傷ができた経緯まで忘れてしまったらと思うと、怖くて仕方がない。

悟浄は笑いながら立ち上がると長い腕で僕を抱えこんだ。
「じゃあ、ベッドに行く?」
甘えるように頬にキスをされ、僕は目を伏せ頷いた。


「昼間、あそこで何探してた?」
照明を落としたベッドの上で、悟浄が囁いた。やけに語尾が甘いのは、行為の余韻だろうか。
あそことは、僕がこの人に拾われたという場所だ。
「わかりません。何か、大切なものを」
落としてしまったことに気づいたのは数日前だった。それから毎日探しているけれど見つからない。
それも仕方のないことだとわかっていていた。何しろ落としたのは、この人が血塗れの僕を拾った時だ。
あれから数ヵ月たっているから残っているはずはないのだけれど、それでも探さずにはいられなかった。
多分それは、僕の中にあった大切なものだ。
裂かれた腹の傷から落ちてしまったのだろう。
ひどい出血で雨も降っていたというから、悟浄が落ちていることに気が付かなくても無理はない。

僕はふと、悟空の言葉を思い出した。
“すっげえ、かっこいいな!”
僕には罪の証にしか見えない醜い傷に、彼は金の瞳を丸くした。
“俺もそんな傷、ほしいな”
寺に拘留されている間、ふさぎがちだった僕を慰めるように、悟空は何度も真夏の花のような笑顔をくれた。
それから――
“八戒”
誰よりも早く、新しい名で僕を呼んだ金の人。
雨の夜、朦朧とした意識の中で優しく傷を撫でられたのは、夢だったのだろうか。


もう一度、と口にするかわりに、悟浄は僕の腹の傷に手を伸ばした。
ゆっくりと舌を這わせながら低く笑う。
「落としたとしてもこうやって元気にシテるんだから、無くてもいいもんなんだろ」
先から刺激を待ちわびている僕自身に長い指が絡みつき優しく嬲る。
僕は淫らな声を上げまいと、唇を噛んで刺激に耐えた。そんな抵抗が無駄なのは重々わかっているけれど。

僕はすっかり浅ましい人間に変わってしまった。
モラルも羞恥もない。
ただ楽な道に逃げず生き続けるために、三蔵や悟空、そしてこの人の、善意や憐れみに縋り利用して毎日をやり過ごしてきた。
浅はかな、以前の僕が一番軽蔑するような人間が、今の僕だ。

なんて。
本当のところは全く変わっていないのかもしれない。
以前の僕も、浅はかでモラルなんてなかった。そうでなければ、あんな大罪を犯すはずがない。
欲深く快楽に弱くて執着が強い。
こんな身なのにこうやって、この人と生み出すモノにすぐ夢中になれてしまうのが、その証だ。
「今、ヤらしいこと考えてたろ」
悟浄は笑いながら、繋がりを深くするように身体を寄せた。
「ええ、あなたのことを」
「それは光栄」
ひどく濃厚に口付けると、悟浄は僕の弱いところを責めたてた。


こうやって抱き合うたびに、まるでこの人が今すぐ消えてしまうような焦燥感に胸が締め付けられる。
彼女に感じていた優しく穏やかな愛情とは全く違う、ただ執着の塊のような強い想い。
雨の中で拾われて目を覚ました瞬間に、僕はもうこの人におちていた。
鼓膜を震わせる低い声。見上げる僕の頬に落ちる、雨のような赤い髪。きらめく石のような赤い瞳。
全てに心を奪われた。

この傷口から、確かに僕は何かを無くしてしまった。
そうでなければ目を覚ましたあの時に、この人に惹かれるはずがない。
もう誰も愛せるはずがないと思っていたのに、彼女への想いまで霞ませる強い想いがあるなんて。

極めきって意識が朦朧とすると、決まって目の前には血のように赤い世界が広がった。
酸欠のためだとわかっていても、戻れなくなるのではとそら恐ろしくなる。
「八戒」
その場所から連れ戻す声に目を開けると、同じくらい赤い瞳が僕を見て笑っていた。
身体中に満ちていく安堵の思いに、深いため息が口をつく。
片肘をついて隣に横たわる悟浄は、互いの吐きだしたもので汚れた僕の傷に指を伸ばした。

「お前は何も、落としてないよ」
ゆっくりと、まるで愛おしむように傷痕をたどってゆく。
「気づいてないかもしれないけど、お前のココに種をまいたからさ」
「え?」
何を言っているんだろう?
種って?
「お前の傷を塞ぐのに、俺も手伝ったの。その時、ちょっとな」
悟浄は至極真面目な顔で続けた。
「そろそろ、身体中に延びた頃だろ。俺が好きっていう蔦がさ」

ああ、そうか。
道理でこんなに…

「じゃあ仕方がないですね」

僕の中で愛しさが育っていく。





end





(2015.7.19)




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