半夏生






蒸し暑さで開け放った執務室のドアに八戒が姿を見せたのは、ある梅雨の晴れ間の午後だった。
手にしている包を掲げて、碧の瞳がにこりと笑う。
「和菓子を買ってきました。確かいただいた新茶がありましたよね。」
慣れた手つきで茶棚を開け急須を取り出す姿を見ながら、思わずため息がこぼれる。
勝手なことするんじゃねえと言いたいところだが、喉が渇いているのも確かだった。
それにこいつの淹れる茶は、なぜか格別に美味いのだ。


八戒はなんだかんだと理由をつけて、週に二、三度はここへやってくる。
ある日は悟空に勉強を教えたり、たまった書類を整理したり、部屋の掃除をしたり、ただ駄弁っていったり。
「どうしてしょっちゅうここに来るんだ?」
「あなたが僕の様子を知りたいかと思いまして。」
「何でそんな必要がある?」
「今はあなたが僕の保護者でしょう?」
「保護者じゃねぇ。保護監察者だ。」

八戒はカランと氷の音をさせながら硝子の茶器に濃く出した茶を注ぐと、薄い皿に載せた美しい造作の生菓子と並べて、執務机に置いた。
「で?」
盆を胸に抱えてじっとこっちを見つめる視線に耐えかねて口を開くと、八戒は待ちかまえていたように身を乗り出した。

「 知ってますか?三蔵。あの人、新しいモノが苦手なんですよ。例えば新しいライター、新しい靴、新しいシャツ。どれも少し使い込んで傷や汚れがついているくらいが、愛着がわくんですって。
真新しいシャツをわざとくしゃくしゃに皺を寄せてから袖を通したり、僕がプレゼントしたライターも家の鍵なんかと一緒に無造作にポケットにねじ込むから、すぐに傷だらけで。おろしたての靴だって、喧嘩相手の腹に蹴りを入れたりナイフを蹴り上げたりするのは日常茶飯事だから、あっという間に傷がつくんです。傷をつけてからが、彼とそのものたちとの愛に溢れたお付き合いの始まりなんでしょうね。
それなのに。あの人、僕のことをそれは大切にしてくれるんですよ。
作ったご飯は残さないし、雨の夜には必ず家にいるし、今日は上がいいって言ったら、文句を言いながらもしっかりいれさせてくれて、しかもすごくイイ顔してくれるし。でも僕は…」

呆れるほどくだらないことを吐き出していた唇を噛み締めると、八戒は目を伏せた。
てめえらの乱れた性生活なんかに興味はねえよ。
「わざわざ惚気にきたのか?」
尋ねると、ひどく傷ついた顔をする。
全く面倒な奴だ。

アイツに甘やかされるたびに、こいつは不安になるんだろう。
罪人の自分には、そんな資格はない、とかなんとか。
満たされて幸せで、でも罪の意識で苦しくて。
その苦しみこそ、本心では自身が望んでいるものだと自覚しているんだろうか。
いや、もしかしたら不安の原因はそんなことじゃなく。
アイツの思いの向かう先に何があるのか、ぼんやりと感じているのかもしれない。
まるで傷つけることを恐れるように底なしの優しさを注ぎ込む、アイツの行き着く先に。

「ふん、出来すぎだな。そんな奴のどこがいいんだ。」
「余計なお世話です。あなたには分らないでしょうけどね…」
これ以上ないほど傷ついてるって顔をしながら、さらにアイツへの惚気を口にする。
安心しろ。てめえの胸の中を見てみろよ。
もうすっかり傷だらけじゃねぇか。

「で、どうしてえんだ?」
「わかりません。」
諦めたような笑いを浮かべて肩を竦める。
アイツの本心を知る勇気もないくせに、そんな顔して俺のところに来るんじゃねえ。
「なんなら、抱いてやろうか?」
さすがに白い頬はピクリと震えて表情を消した。
「傷つきてえなら手を貸してやる。」
最高僧にふさわしい本革張りのソファを顎でさすと、八戒は動揺した瞳でソファを見つめた。
強張った顔がギクシャクと俺に向き直る。
アイツはきっと、自分の足りねえところを俺に埋めさせようって魂胆なんだろう。
そうはいくか。

「冗談だ。」
「三蔵!」
滅多に見せない情けない表情に思わず吹き出した俺を、八戒は顔を赤らめ睨みつけた。
それでもなんとかしてやりたいなんてガラでもねえことを思ってしまうのは、どこかでこいつの身の上を自分に重ねているからなのか。
ただ懐かしい人を思い出させる、こいつの微笑みのせいなのか。

「帰ります!」
「今度来るときは、結婚報告でも聞かせろ。」
「金輪際来ませんから!」
足音荒く部屋を出るなり、悟空に会ったらしい。
「あ、八戒、帰るの?またな!」
「ええ、悟空。また明日。」
冷蔵庫に水羊羹がありますよと柔らかい声を残して、八戒は帰っていった。
やれやれ。
金輪際来ないんじゃねえのか?



「三蔵、すっげえ疲れた顔してるな。」
部屋に入ってきた悟空が目を丸くして首を傾げた。
「でも、何だか嬉しそう。何かいいことあった?」
「別に。」

多分俺もアイツも、同じことを願っている。
ただ八戒の、憂いのない笑顔が見たいと。

楽しげに冷蔵庫を開ける悟空を眺めながら、冷えた茶で小さな笑いを飲み込んだ。






end





(2014.7.5)





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