あの人のすきなもの・冬






ただ、空から舞い落ちる雪を見ていた。

きりなく落ちてくる欠片はあっという間に地面を覆いつくし、目に映るものすべてが白い布に覆われたようだ。
「すごい雪だなあ」
先ほどから何度同じ言葉を口にしたかわからない。
縁側に立ち永遠に降り続くかと思われるような空を見上げていると、真っ白い世界に吸い込まれてしまいそうで少し怖くなる。
彼女と見た雪も、こんな雪だった。
さらさらと音もなく降る雪の中を、手を繋いで歩いた。あれは二人で街に買い物に出かけた帰りだったろうか。
手袋を忘れた僕を笑って潔く自分の手袋を脱ぐと、こうしたら暖かいでしょ、と僕の手を握った彼女。
しっかりと絡ませあった細く温かな彼女の指に、もう触れることはできない―

「本当にすごい雪…」
ふわふわとあちらの世界に彷徨い出しそうな思考を繋ぎとめておくための呪文のように、僕はまたその言葉を口にした。
薄い浴衣に裸足という頼りない姿では風邪をひいてしまうかもしれないと思うのに、魅入られたように白い雪から目が離せない。

三蔵の供として、この寺にやってきたのは昼前だった。
長安から山を二つ超えただけなのに、このあたりの気温は低く天気も不安定だった。
雲行きが怪しいから雨になるかもしれないと案じていたら、天から落ちてきたのは雪だった。
今日のうちに戻るつもりだったが、降り出した雪の中、山を越えるのは無理だとこの寺の僧たちに言われ、仕方なく一晩厄介になることになったのだ。
突然の三蔵様の寄留に僧侶たちは大変な喜びようで、精いっぱいのもてなしをと意気込んでいた様子だった。
だが当の三蔵はいつものように素っ気なく、供された食事をほとんど無言で食すると愛想の一つも口にしないで早々に部屋に引っこんでしまった。
僕は三蔵の傍で食事をとっていたけれども、正直居心地の悪い思いは拭えなかった。
この寺に足を踏み入れてすぐ、僕に向けられる冷たい視線は嫌というほど感じていたから。
三蔵の手前露骨なことは言われなかったけれど、なんでお前なんかが三蔵様のお側にという反感は痛いほど伝わってきた。
それは当然のことだろう。僕の過去の所業は、僧侶たちの噂話としてこの寺にも伝わっているのだろうから。
そういう空気は三蔵の住まう寺で慣れているから今更何も思わない。
ただ、僕の存在が三蔵の立場を傷つけているのだとしたら、耐えられないと思う。
だけど三蔵は何も言わないし、同行しろと言われれば断れるはずがない。
僕の逡巡なんて、三蔵の意思の前では取るに足らないものだ。

だから当然のように部屋も別室だ。
別室のはず― だったのに。

「いつまでそこにいるつもりだ。」
僕の布団に入って煙草を吸いながら、三蔵が不機嫌な声を上げた。
「どうしてあなたはここにいるんですか?」
「いつまで待ってもお前がこねえからだろう。」
「あなたの寝所に、僕ごときが行けるわけないじゃないですか。」
三蔵様のお部屋に忍んでいって、見つかったらどうすればいいのだ。しかもこんな夜着姿で。
口さがない者たちに、この人がなんといわれるかわからない。
「そんなもの、関係ねえ。」
僕の胸の内などお見通しだといった顔で、三蔵は不機嫌に煙を吐き出した。
困った人だ。僕なんかをつれ歩いて、陰で何と言われているか知らないわけではないのに。
それでも率直に求めてくれる想いが嬉しくて、僕は障子を閉めるとゆっくりと布団に寄った。
三蔵は煙草を灰皿に押しつけると、僕の腕を取った。
「こんなに冷えきって、何をしていた?」
「ちょっと思い出にひたっていました。」
にっこり笑って答えると、三蔵は拗ねたように眉を寄せた。
「俺の前でいい度胸だ。」
「ありがとうございます。」
三蔵は舌打ちすると、強く僕の腕を引き寄せた。

布団に押し倒されると、器用な指が瞬く間に僕の浴衣を取り去った。
浴衣は初めてだったけれど、この無防備な着物がこういった行為に随分と都合がいいことを知った。
互いの心臓の音を重ねるようにぴったりと肌を寄せあうと、三蔵は、冷てえなと笑った。
知られてしまった弱い場所を指で舌でたどられて、僕の身体は徐々に三蔵の熱と混ざりあい、二人は同じくらいに温かくなった。
やがて湿った息遣いと欲の滲む声を抑えきれなくなる頃には、あんなに冷えていた身体も指先まで熱を帯び、触れられる掌が冷たく感じられる程だった。
仕置きだと言って帯紐で縛られた手首が少し痛んだが、それさえも快感を押し上げる。
濫りがましい姿を晒して羞恥に身もだえながらも、ありえない場所は三蔵の熱を受け入れようと喜んで形を変えた。
空っぽだった僕の身体と胸の奥に、ゆっくりと三蔵が入ってくる。


この人がいい人を見つけるまで。
その身に相応しい、誰一人眉をひそめたりしない人に巡り合うまで。
僕がここにいることを許してほしい。
将来なんて望まない、不相応な夢もみない。
だから、どうか――
ああ、誰に祈ればいいのだろう。
神は幼い頃、自分が殺してしまった。
花喃にも縋れない。
僕が愛したただ一人の近しい人。僕が殺してしまったようなものだ。

気づくと涙が流れていた。
この人が好きだ。
どうしようもなく、好きだと思う。
「解いて下さい…あなたを抱き締めたい…早く」
込み上げる胸の内を言葉にすれば、三蔵は優しく笑って手首の戒めを解いてくれた。






翌朝は晴天になった。
サクサクと雪を踏みながら、三蔵は僕の少し先を歩いている。
金の髪が雪に映えてとてもきれいだった。
その清しい後ろ姿から昨夜の余韻は微塵も感じられない。
少し心もとなくなって、僕はそっと上着の袖口に見え隠れする手首の痕を触ってみた。
大丈夫。確かに証しはある。
「この近くにいい温泉があるらしい。」
僕が追いつくのを待つように、三蔵は速度を緩めた。
「温泉、ですか?」
首を捻った僕に、三蔵はすねたような顔をみせた。
「今回はそれが目当てのようなもんだったんだが、あんな寺に足止めされるとはな。」
諦めるしかねえな、と残念そうに呟く。
そういえば執務机の上に温泉特集の雑誌が並んでいたことを思い出した。
「温泉が好きなんですね。」
「冬の楽しみといえば、温泉しかねえだろう。」
「年寄りくさいと、悟浄あたりに笑われますよ。」
三蔵は不機嫌そうに煙を吐き出すと、足を止めて僕を見た。
向けられた深い紫に、目が奪われる。
「年は関係ねえ。それに人事じゃねえぞ、お前も行くんだからな。」
「え?」
「じじぃになっても連れ歩くから―」
覚悟しとけと言って、そっぽを向いた。
その横顔が赤いようで、僕の頬まで熱くなる。
慌てて目を逸らすと、一面の雪が朝日に光って眩しくて――
僕は強く目を閉じて、“はい” と返した。




end




プロポーズ?


(2014.3.13)




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