桃
スイカ割りに焼肉花火と夏らしい大騒ぎを終えた後、悟空は悟浄の家に泊まりたいと言いだした。
寺では味わえない時間を過ごして、帰りがたくなったのだろう。
悟浄と八戒もしきりに泊まっていけと勧めた。
無理に連れ帰る気はなかったので残して帰るつもりだったが、“三蔵もぜひ”という八戒の言葉に心が動いた。
悟空が寝つくと、悟浄は出かけてしまった。
賭け事のために馴染みの店に行ったのだという。
“気にしないで下さいね。あの人、こういうのが照れ臭いんですよ”
かわいいですよね、と続けて八戒はクスクスと笑う。
そういう事を俺に言うなと思うが、こいつが胸の内を語る相手として自分が位置していると思うと悪くない気分だ。
自分も八戒の存在を、他人とは違うものと捉えている。
こんな風に他人の家で寛いで茶を飲むなんて、この場所以外では考えられない。
無論目の前にいるのがあの男だとしたらこんなことをしているはずもなく、早晩罵りあいが始まるのだが。
不思議なやつだ。
気づけば他人には許せない程の距離にいる。
台所で洗い物をしている八戒の後ろ姿を眺めながら思い出した。
あの人も、気づくと胸の内に入りこんでいるような人だった。
忙しく留守がちだったが、共に過ごす時には恥ずかしくなるほどガキだった俺を可愛がってくれた。
時に厳しく躾けられたが、それでも俺はあの人を慕っていた。
自分はやわらかな声や微笑みに弱いのだろうか。
“桃をいただきますね”
八戒は果物ナイフと桃を手に、机の向こう側に座った。
土産に持ってきた桃を手渡した時、八戒は実に嬉しそうに笑っていた。
今も微笑みながら、うぶ毛に覆われた表面をそっと撫でている。
ナイフを入れると、微かに漂っていた桃の匂いが強くなった。
あの人は桃が好きだった。
“あなたは桃のように可愛い赤ちゃんでしたよ”
桃を食べるとあの人は、決まってその言葉を口にした。
それから、川に流れてきた果実から赤子が出てきて、長じて鬼と戦うという異国の昔話も。
まるでどこかの誰かのような話だと、今になって思う。
八戒が柔らかな皮を剥く程に、透明な汁が零れていく。
その甘い汁に濡れた指から目が離せない。
甘い匂いは狭い部屋を満たし、よしなしごとを思う胸の中まで満たしていく。
煙草でも吸わなければ、何か暖かく柔らかいものに包まれて立ち止まってしまいそうだ。
“はい、どうぞ”
ガラスの皿に載せられた桃は、白熱灯の光を浴びて柔らかく光っていた。
“桃は好きか?”
“はい、とても”
やさしい記憶は、背負った使命を果たすために捨てなければならない“弱さ”だと思っていた。
この男の微笑みは、捨て続けて欠けてしまった感情を埋めてゆく。
たとえば、慕わしいとか、愛おしいとか。
そんなものほど“強さ”には必要なのかもしれないと、気づいてしまった。
“ほら”
フォークに刺した桃を差し出すと、八戒はためらいなく口を開けた。
“美味しいです”
一口かじると、ため息のように呟き微笑んだ。
end
(2015.8.25〜2016.5.7 拍手ss)