檸檬






ほとんど昼に近い時間に食卓で向かい合うのが、俺たちの日課になっている。
俺は遅い朝食で、八戒は少し早い昼食だ。
目の前には炊きたての白米に豆腐とワカメの味噌汁。いい具合に焼けた塩鮭と卵焼き。カボチャの煮物、青菜のお浸し、納豆、漬物が彩りよく載った小鉢が並んでいる。
もちろん、焼き海苔も忘れてない。まるで旅館の朝食だ。
あらかた食い終わった頃に立ち上がった八戒は、マグカップの中に何やら入れて湯を注いで戻ってきた。
“もしかして…フラれましたか、悟浄?”
湯気のたつカップを差し出しにっこり笑う。
いつもなら食後はコーヒーや緑茶だったりするんだけど、どういう訳か俺が女と別れた翌朝はこの飲み物が用意される。
レモンと蜂蜜の甘酸っぱい匂いがたちのぼるカップの中身は、いわゆるホットレモネードってやつだ。
慰めてくれてるつもりなんだろうけど、何だか祝福されてるようにも感じるのは、妙に八戒が嬉しそうだからだ。
それにしても何でいつも、こいつに俺の恋愛沙汰がバレてるんだろう。
日課の井戸端会議の賜物か。この街の女達の間にものすごい情報網でも張り巡らせてんのか。

“なんで毎回レモン?”
わざわざ自分の失恋更新記録を認めるのも癪なんで、俺はカップの底に沈んでいる鼈甲色をまとったレモンの輪切りをスプーンでつつきながら尋ね返した。
“レモンは初恋の味だそうですよ。それに風邪予防にもなりますし。”
“あっそ。”
八戒は毎朝こいつを飲んでるらしい。
“姉が毎朝飲んでいたんですよね。ビタミンCは美白効果が高いのよ、なんて言ってね。”
“お前が美白してどうすんの?”
“いいじゃないですか。”
ねえちゃんは、こいつのためにきれいになりたいとか、そんな可愛いい目的があったのかもしれない。

“たくさんありますから、どんどん飲んで下さいね。”
八戒は嬉しそうに庭に目をやった。
視線の先には、黄色い実をつけたレモンの樹。
いつの間に持ち込んだのか、気付いた時には庭の日当たりのいい場所に植えてあった。
最高僧サマからもらったんだそうだ。
レモンは初恋の味だなんて、あの坊主は知ってるのかねえ。
じきに台所に黄色い実を輪切りにして蜂蜜に漬けた瓶が並ぶようになった。
“どんだけ俺を失恋させたいの?”
“いえいえ、そんなことはありませんよ。僕はいつでもあなたの恋の成就を願っています。”
やけにきれいな笑顔でそんなこと言われると、なんだか複雑な気分だ。
“悟浄、本気じゃないんでしょ?”
最近のフラれ文句は決まっている。
付き合い始めて2、3か月経つ頃には、どの女も決まってそのセリフを口にして去っていく。
言われなくてもわかってるさ。
本気を出したい相手は別にいるんだと。

こうやって毎日出される味噌汁の濃さも具の大きさも、米の炊き具合も煮物の味付けも卵の焼き加減も、気付けば全部俺の好みになっている。
荒れ放題だった部屋の中は整えられ、いつも山になってた洗濯物はきれいに洗われ畳まれて、いつの間にかこの家がやたら居心地よくなっている。
いつでもこいつがココにいて、俺のために飯を作って笑っているんだ。
これってかなり、すごいことじゃねえ?

俺は目の前に置かれたマグカップを手に取った。
“お前がすき”って言ったら、こいつはどんな顔をするんだろう。
にっこり笑ってもう一杯レモネードを差し出されたらどーしよ。
ああ、それでも。

“俺、お前がすきだわ”

思わず飛び出た俺の言葉に、 八戒は大きく目を瞠りたっぷり5秒間固まった。
それから見る見る赤くなると慌てて立ち上がり、俺のカップを奪い取って一気に飲み干してから、盛大にむせた。








end



(2014.5.15〜2014.8.31 拍手ss)




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