桜桃





悟浄はキスが巧みだ。
と知ったのは、共に暮らし始めて数か月たったころだ。
明け方に酔って帰ってきた彼を出迎えたら、戸口でいきなり抱き寄せられて口づけられた。
酒臭いキスはひどく濃厚で、そんなものに免疫のない僕はされるがままに翻弄された。
巧みな舌の動きに息をつく間が計れずに、しまいには頭には霞みがかり(多分体温は2℃程上昇していた)、悟浄に腰を支えられて首にすがりつくという有様。
きついアルコールの匂いに酔ったのだと自分に言い訳しなければとても受け入れ難い事実だ。
すっかり夢中になったなんて、口が裂けてもいえやしない。
そのキスには特に意味などなく、酔っぱらいがどこぞのおねえさんと間違えているのだということはすぐに理解した。
ただ互いの粘膜が接したというだけのことで、悟浄がなにかしら湿度のある想いを僕に抱いているはずもない。
“待っててくれたの?うれしーなぁ…”
上機嫌でニコニコしながらさらに抱き寄せようとする悟浄を
“そうですか、今夜は遅かったですね。”
などとあやしながら部屋に連れて行き有無を言わせずベッドに転がすと、悟浄は意味不明な言葉を口にしながらくふふと笑っていた。
溜め息をつきながら冷たい水を持って戻れば既にいびきをかいて眠り込んでいた、というのがその日の顛末だ。

酒を過ごすとキスしたくなるのは彼の悪癖のようで、その後も何度かそんなことがあった。
翌朝気まずそうに起きてきて、
“またやっちまった?”
なんて神妙な顔をするので本人も質の悪さを自覚しているのだろう。
“構いませんよ、年頃の娘さんじゃないんですから。”
と応えたら、安心したような残念そうな、妙な表情をしていた。
気にしていないのは本当だ。
悟浄にとってキスなんて挨拶のようなものだろうし、あれだけ酔っていれば誤って同性相手にキスすることもあるかもしれない。
別に減るもんじゃないし構わないのだけれど、問題なのは何度経験しても彼に翻弄されっぱなしで僕一人が熱くなったり喘いだりしていることだ。
場数が違うとはいえ過去に恋人もいてそれなりに経験もしてきた身だというのに、まるで敵わないというのも悔しい。
いつか悟浄の酔いが覚めるほどのテクニックを身に付けてやると、僕は密かに闘志を燃やしていた。

そんなある日のこと。

白い陶器のボウルに山盛りの赤い果実を前に、僕らは向かい合っていた。
“何、アイツまた来たの?”
悟浄は嫌そうに顔をしかめながら、さくらんぼをつまみ上げた。
“あなたが寝ている間に寄って、置いていってくれたんですよ。なんでも法要に出かけた先のお寺で頂いたそうで。”
張りのある見惚れるようにきれいな赤い実が、悟浄の指先で揺れている。
“一粒幾らくらいなんでしょうね。”
すぐに値段を考える僕を悟浄が貧乏くさいと笑う。
仕方がないでしょう。不定期収入な上に計画性がまるでない人が世帯主なんですから。
我が家ではとても買う気になれない高級な食品を惜しげもなく譲ってくれる時の三蔵は、寛容で慈悲深く本当に最高僧のように見える、などとと言ったら、ハリセンものだろうか。
“ふーん…おまえ、さくらんぼ、すきなの?”
“好きですよ。赤くてかわいいじゃないですか。”
“こんなもの、食べた気しねえけど。”
悟浄は茎ごと一つ口に放り込むと、しばらくして種と器用に輪にした茎を取り出した。
“これができると、キスがうまいらしいぜ。”
ニヤリと笑うと、二個三個と続けて作ってみせる。
得意げなその顔が憎らしくて、僕も一粒口に入れた。
舌を使って茎をクロスさせて、輪の中に端を押し込む。
手順はわかっているけれど、これがなかなか難しい。
口に含んで真剣に取り組む僕を、悟浄はニヤニヤしながら眺めている。
何回か試みているうちに案外あっさり結ぶことができて驚いた。

“おお、上手いじゃん。”
“じゃあ、さっそく試してみましょう。”
“え?何を?”
“どれだけ上達したか、今から確かめましょう。”
“い、今から?”
“さあ、悟浄!”
立ち上がって、ほら、と両腕を差し出すと、悟浄はイスの上で固まってしまった。
“早く。”
反応のない悟浄を引き寄せ唇を寄せる。

角度は?深さは?強弱はこんな感じ?
少しは上達しているだろうか。
互いに息が上がるまで頑張ってから身を離すと、耳まで真っ赤に染まった悟浄が呆然と僕を見上げていた。
“あ、ごめんなさい。やっぱり下手でした?”
“ま、まあまあじゃねえか…”
つぶやいて立ち上がると、悟浄はよろよろしながら部屋を出ていった。

やっぱりまだまだ練習が足りないな。
一際赤い一粒を手に取って、僕ははたと気が付いた。
そういえば僕からキスをしたのは初めてだ。
耳まで赤く染まった悟浄の顔を思い出し、その意味するところにたどり着いて、僕は思わず唇を押さえた。
そこから一気に体中に熱が伝わりだす。

もしかして…照れていたんですか?
今更あんな顔するなんて、ずるいでしょう。

悟浄に負けないくらい赤く染まった僕を、つやつや輝く小さな果実たちが見上げていた。





end



(2013.5.8〜2013.10.17 拍手ss)




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