蜜柑(58)
“お邪魔します。”
がらりと浴室の引き戸が開いて、白い裸身が入ってきた。
何事かとシャワーを握ったまま立ち尽くす悟浄に、八戒はいい匂いですね、とにこりと笑う。
“ど、どうしたの?”
“お寺でみかんをたくさん頂いたので、ちょっと贅沢にみかん風呂にしてみたんですけど。”
たしかに、そう大きくもない湯船には、みかんがいくつも浮いている。
“せっかくだから、一緒に入りたいなあと思いまして。”
と首を傾げる八戒は、悪戯を思いついた子どもみたいな顔をしている。
“なになに?みかん風呂でイイことしたいとか?”
“イイことって、どんなことですか?”
八戒があんまり無邪気に笑うから、悟浄は魅力的な細腰に伸ばしかけた手を持て余しながら、仕方がなく風呂につかった。
風呂の中からみかんと一緒に見上げる悟浄に嬉しそうに目を細めて、八戒は体を洗い始めた。
丁寧に作った泡を纏って鼻歌なんか歌う姿は、無防備さと色っぽさが混ざり合っていて、やたらと悟浄の心拍数と血圧を押し上げる。
これってどういう拷問ですか?
狭い湯船の中、二人で体育座りのように膝をかかえて向かい合った。
二人の間には、ぷかぷかとみかんが漂っている。
悟浄は目の前で揺れるみかんを手に取った。
すっかり温まってやわらくなっている皮を剥いて一房八戒の口に入れてから、自分の口にも放り込む。
みずみずしく甘い果汁が、風呂の熱で乾いた喉をやさしく潤した。
“ちょっと行儀が悪いけど、温かいみかんも美味しいですね。”
“最高僧に献上されるみかんだからな。”
“イイことって、これだったんですね。”
少し桜色に染まった頬で、八戒は微笑んだ。
ほい、ともう一つ差し出すと、嬉しそうに口を開ける。
その様子が親鳥から餌をもらうヒナのようで、二人で笑った。
ガキみたいに笑いあって、ただ風呂に入る。 そんなことで、こんなに満たされるなんて思わなかった。
こういうのなんていうんだっけ? まるで家族、みたいな?
ホントの所、よくわかんねえけどな。ガキの頃は、滅多に風呂なんて入れなかったし。 家族って呼べるもんも、あったんだか、なかったんだか。
“のぼせちゃいましたか?みかん風呂は、温まりますからね。”
少しぼんやりしている悟浄の口元に、きれいな指がみかんを差し出す。
その指ごと口に含んで軽く歯をたてると、八戒は真っ赤になって手を引いた。
“もう…食べ足りませんか?”
照れ隠しのように残りのみかんを悟浄の口に入れて、そそくさと立ちあがる。
と思ったら、いきなり悟浄の頬に赤く色づいた唇を寄せてキスをした。
“甘いみかんでよかったですね。”
きれいな微笑みを残して出て行く背中を、ぷかぷか浮かぶみかんと見送りながら、悟浄は噴き出した。
本当に食べたいのは、みかんじゃねえんだけど。 まぁ、いいか。
身体中に染み込んでゆくみかんよりも甘い想いを味わうように、悟浄はゆっくりと目を閉じた。
end
(2012.1.8〜2013.5.2 拍手ss)