蜜柑(38)
“やっぱり冬はこたつですよねえ。”
少し前までソファの上で小難しい顔をして算術の問題を解いていた悟空は、いつの間にか鉛筆を握りしめたまま眠っていた。
その背中にそっと毛布をかけてやっていると思ったら、突然こたつなどと口にし始めた男をじろりと見上げ、三蔵は小さくため息をついた。
相変わらず何を言い出すかわからない。
執務机の前に椅子をひっぱってきた八戒は、みかんを手にやけにきれいに微笑んだ。
“こんな広い部屋なんですから、こたつの一つや二つ、置いても大丈夫ですよ。”
“二つも置く必要があるのか?そもそもここは、執務室だ。”
という三蔵の反論を聞き流し、みかんに形のよい爪を立てながら八戒はこたつの利点をつらつらと語り続ける。
曰く、 こんな風に悟空が昼寝をしてしまったときにも、風邪をひく心配もないですし。あなたもちょっと眠くなったときに便利ですよ。よくペンを握り締めたまま、眠っているじゃないですか。足腰の冷えはよくないですし、鍋なんかするにも雰囲気がでますよね。何よりみかんといったらこたつでしょう。
“何で此処で鍋を食う必要がある?てめえらの家に置きゃいいだろう。”
“あんな狭い家のどこに置けるというんです?それにこたつなんて置いたら、あの人ごろごろしたまま出てこなくなりますよ。”
“一生寝かせとけばいいだろ。なんならいつでも永遠に寝かせてやるぞ”
S&Wの入った執務机の引き出しにそれとなく目をやる三蔵の前に、八戒はきれいに剥いたみかんを載せたガラスの皿を差し出した。
“仕事中だからいらねえ”
と言えば、
“ああ、手が放せないんですね、すみません”
と言って小さく割ったみかんを一房、三蔵の口元に差し出してくる。
“はい、どうぞ。”
“バ…っ、バカ野郎ッ!そんなもん、食えるか!後で食うから置いとけ!”
なんでこんなバカップルみたいなことを、真顔でできるのか。しかも、この俺に対して。相手が違うだろうが。
心の内で毒づく三蔵に、八戒はさも残念そうな顔でそっとみかんの皿を机の上に戻すと、
“ビタミンCを採らないと、風邪をひきますよ。”と笑った。
――ほら、江流、みかんを食べないと風邪をひきますよ――
突然、懐かしい声が甦って、三蔵は思わずペンを取り落とした。
冬になると寺の裏の物置きから嬉しそうにこたつを引っ張り出していたあの人。
優しい瞳で手招きして、隣に座らせみかんを剥いてくれた人。
なんでこいつは容易く、柔らかい記憶を掘り起こすのか。
“おい。信者から送り付けられたみかんがそこにあるから、好きなだけ持って帰れ。”
こういう時は早く帰すに限る。
“ありがとうございます。うれしいなあ。”
八戒はにこにこしながら頭を下げると、部屋の隅に積んであったみかん箱3つを軽々と持ち上げて出て行った。
三蔵は不用意に取り出してしまった記憶を持て余すように眉を寄せて、丁寧に皮も白い筋も取り除かれたみかんを眺めた。
そんなものに心を留める余裕などないのだと思いつつも、柔らかな記憶が確かに今の自分を支えているのだと気づかされる。
八戒に出会ってからというもの、ふとした時に覚える淡い感情に三蔵は困ったように小さく笑った。
それからみかんに手を伸ばしながら考える。
あいつはあの男にも、こんなふうにみかんを剥いてやるのだろうか。
愛だ恋だと気軽に口にするわりにやけに寂しい瞳をした紅い男を、そのやわらかい想いで埋めるめに。
三蔵はソファの上で丸くなっている背中に目をやって、“こたつでも置くか”とつぶやくと、少し乾き始めたみかんを口に放り込んだ。
end
(2011.12.25〜2013.5.2 拍手ss)