メロン
“こんにちは”
開け放したドアから顔を覗かせたのは、涼しげな笑顔の男だった。
炎天下を歩いてきたんだろうに、汗をかいている様子もない。
そのくせ、“あついですねえ”と嬉しそうに呟きながら、勝手知ったるで部屋の隅の小さな冷蔵庫から麦茶を出し、二つのグラスに注いでいる。
山積みの書類に埋もれてデスクワークに励んでいる俺の机の上に一つを置くと、自分の分を一気に飲み干した。
“あぁ”
聞きようによってはやけやに色っぽい、溜息ともつかない声をあげると、八戒は俺を見てにっこり笑った。
そろそろ姿を見せると思っていたが、やっぱり来やがった。
“聞いてくださいよ、三蔵!”
聞かねえ。聞きたくねえ。
どうせエロ河童とのほのぼの生活の、愚痴と称したのろけ話だ。
“今、忙し…”
“僕としたことが、変な事を口にしてしまって”
俺の言葉なんか聞いちゃいねえ。
いつもは節度を持って接してくる八戒が、悟浄とのこととなると猪突猛進、語りだしたら止まらない。
机に両手をついて身を乗り出すと、目を潤ませながら俺の顔を覗き込んだ。
相変わらずのきれいな顔には、戸惑いと困惑が浮かんでいる。
一瞬、仏心が生じたが、“なんだ”と尋ねるととんでもない事を聞く羽目になる気がしたので、書類に目を落としてページをめくった。
“先日悟浄に、どんな時に生きていると実感しますかって尋ねたんです。そうしたら、なんて言ったと思います?”
案の定、俺の反応などお構いなしで、つらつらとしょうもないことを口にしている。
適当に相槌を打ちながら聞き流している俺に、八戒は自分が仕出かした失言を語りながら、焦ったり赤くなったり大忙しだ。
“もちろん本気じゃないんです。あの人がへんなことを言うから…”
“へんなこと?”
“ナンパしに行こうって。もちろん恋愛は自由ですから、ナンパした方とあの人がなにをしようが構わないんですけど、そんな軽いものじゃないでしょう?”
“なんだ、焼きもちか”
“は?”
“それは嫉妬だろうが”
“え?そうなんですか?”
初めて知ったという体で、呆然としている。
まだ自覚してねえのか。鈍いにも程がある。
のほほんとした笑顔で語る、男二人で風呂に入ったとかキスをしたとかいう恐ろしい話は、マジで友情のなせるわざだと思っているのか。
折につけ聞かされるこっちの身にもなってみろ。
そもそも、なんでここが、こいつの実家みたいになってるんだ?
俺は娘を嫁に出した父親か?
思わず“くだらねえ”と呟くと、八戒は萎れた青菜みたいに肩を落とした。
“ご迷惑でしたら、すみません。でも僕、頼れる場所がここしかないんです。困ったときに会いたい人も、ここにしか…”
そういって八戒はそっと目を伏せると、“僕はここで生まれ変わったようなものですから”と付け足した。
なんともくすぐったい気持ちになって、俺はきれいな横顔から目を逸らした。
そんな風に言われて悪い気はしない。
我ながら単純だ。
“そうか。なら、仕方ねえな。気がすんだら、それ持って早く帰れ”
そろそろ来るだろうと部屋の隅に用意していたものを指さした。
“わあ、マスクメロン!いいんですか?”
花が咲いたような笑顔に、思わず見惚れてしまう。
“ああ、どうせ食いきれねえ。ていうか、てめえ、最近狙ってきてるだろ”
“あははは、バレてましたか。お盆が過ぎましたし、お下がりがたくさんでるかなーなんて…思ってもいませんよ、本当に!”
八戒はありがとうございますと繰り返しながら、両手に大玉メロンを抱えて出ていった。
遠ざかる足音が踊るように軽いことに気が付いて、思わず笑いがこみ上げる。
死を願うほどに絶望し立ちすくんでいた男は、ゆっくりと前に進み始めた。
俺も悟空も悟浄も、八戒の微笑みに救われている。
だから、あれもこれもどれもそれも。
望むなら全てくれてやろう。
果実からあふれでる甘い汁のように、その微笑みは俺たちを癒すから。
end
(2017.9.1〜2017.11.30 拍手ss)