“うおっ!”
家に一歩入ると、玄関から続く床に八戒が転がっていた。
外は蝉の声が雨のように降り注ぐ真夏の昼下がり。
家ん中はかなり気温が高かった。もしかして、暑さにやられたか?
“な、何してんの?”
“ああ、悟浄。おかえりなさい”
八戒は目をあけてにっこり笑った。
“具合でも悪いのか?”
“この場所が、この家の中で一番涼しいんですよ。居間の窓からあなたの部屋へ、風がよく通るんです”
八戒は右腕を挙げて、居間から開け放した俺の部屋に向かってすーっと指を差した。

“だからって、こんな所に寝なくても”
“ひんやりとして気持ちがいいんです。さっき掃除をしたばかりですからきれいですよ”
八戒はゴロゴロと右に左に転がって見せた。
“掃除?俺の部屋もか?”
“ええ”
八戒は動きを止めると、俺を見上げてニヤリと笑った。
“ベッドの下までばっちりきれいにしました”
ああ、俺の秘蔵の本とディスクが…
“かなり溜め込みましたね”
“あれはダチに借りてだなー”
“なに中学生みたいなこと言ってるんですか”
普段はクローゼットの奥に隠しているんだが油断した。
って、何で俺が自分ん家でコソコソしなきゃならねえんだ。

“どこやった?”
“ああ、かなりレアものだったので、ブック●フに売ろうと思いまして、あそこに”
八戒は居間の隅の紙袋を指差した。
何だかんだ言って、お前も詳しいじゃん。
慌てて袋ごと引っ掴んで部屋へ運ぶ俺を、八戒は笑っている。

“そういえば、夕べ飲み屋でもらったわ”
腕に抱えたままだった紙袋から、朝帰り(もう昼だけど)の貢ぎ物を一つ取り出してみせると、八戒は勢いよく飛び起きた。
“梨ですか!”
嬉しそうに袋を受けとると、早速包丁とまな板を準備しだす。
こいつ、梨がすきなんだよな。
いつもやたら坊主がこいつに果物を持たせるのは、きっとこの笑顔が見たいからなんだろうな。

“あっちいからエアコン入れるぞ”
俺は窓を閉めてリモコンを手に取った。
はいはいと言いながら、八戒は食卓で梨をむきはじめた。
鈍い音をたててエアコンが動きだす。
ガタがきてぎこちない羽根の動きを見上げながら、俺は冷蔵庫から出したペットボトルの水を飲んだ。
いくら暑さに強いと言っても、この暑さの中、エアコンなしは危険じゃねえか?
“あー、暑くて何もしたくねえ”
八戒の向かいでダラダラと椅子にもたれながらぼやいた。
八戒は涼しい顔で器用に包丁を動かしている。
“そうですか?僕は夏は好きですよ、暑い中汗を流しながら家事労働した後に飲む麦茶は最高です”
“へー”
“生きてるって感じがします”
“そんなもんかねぇ”
“悟浄はどんな時に、ああ、生きてるなぁって感じますか?煙草が美味しいと感じる時とか?”
“そりゃ、やっぱりセッ…”
“はい、もういいです”
突然口の中に梨を一切れ詰め込まれてむせこんだ。
酷くねえ?
“そんなことだと思いましたよ”
呆れた顔で八戒は梨の続きに取りかかった。
口の中のみずみずしい果実を食いながら、ひらひらと蝶々が舞うみたいに包丁を使う八戒をぼんやりと眺めた。
ホントに優雅にむくのな。

やっとききはじめたクーラーが低いうなりごえを立てている。
気だるい夏の昼下がりに、心地よく冷えた部屋で、むいてもらった梨を食う。
床に転がった八戒を見たとき、一瞬こいつを拾った時のことを思い出した。
こんな穏やかな時間が自分に訪れるなんて、あの時の俺は想像もできなかった。
ほんの気まぐれで拾ったと思っていたけど、もしかして運命、ってやつだったのかもなんて、近頃ちょっと考える。
かなりややこしい奴だけど、美人だし気がきくし、何より――

“今度試してみようかな”
“なにを?”
“生きている実感ですよ”
“掃除しろってか?”
“そっちじゃなくて、あなたのいう…”
八戒はへんな所で好奇心旺盛だ。
“一人じゃできないんだぜ”
“そうでしたね、うっかりしていました”
八戒は困ったように首を傾げた。
“つきあってやろうか?”
“は?”
“ナンパでも行く?”
ちょっとした冗談のつもりだった。
“その必要はないでしょう”
“え?”
“別に女性とでなければできないということじゃないですよね?”
“は?”
“あなたがいるじゃないですか”
“…”
思わず顔を赤らめた俺を見て、八戒は包丁を持つ手を止めた。
“…”
無言で見つめあった後、八戒は目を逸らして
“冗談ですよ”
と呟いた。その頬が徐々に赤くなっていく。
“ああ”
“当たり前じゃないですか”
“ああ、うん”
“梨、もっとどうですか?”
“食うわ”
“どうぞ”
山盛りの梨を載せた皿を差し出す手は微かに震えていた。


かなりややこしい奴だけど、美人だし気がきくし。
何より―
俺のこと、好きみたい。











end



(2017.8.5〜2017.11.30 拍手ss)




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