wild flower







大きくなるとそれまでわからなかったことが突然わかるようになる日がくる。
俺がそれを知ったのは、旅に出て3か月目のことだった。
深い森の中で野宿になったその夜、俺は妙に目が冴えてなかなか寝つけなかった。
いつも寝袋に入り込むとあっという間に眠ってしまうのに。
仕方がないからちょっと散歩でもしてこようかと思った時、すぐそばで誰かが立ち上がり、続いてもう一人立ち上がる気配がした。
そっと目を開けると、目の前で同じように寝袋に包まって転がった悟浄が、ウインクしながら静かに笑っていた。
一言も言葉を交わすことなく闇の中に溶けるように遠ざかってゆく三蔵と八戒の気配を感じながら、俺は二人が何をしに行ったのか、わかっている自分に驚いた。
そして今までもこんなことがあったということに、やっと気がついた。
なんだか何も話す気になれなくて、俺は悟浄を睨みつけた。
俺を見返す悟浄の瞳は笑っていたけれど、いつもと違ってぽっかり空いた木の洞みたいに真っ黒に見えて胸がぎゅっとなった。
俺たちは芋虫みたいに地面に寝転がったまま、ただ静かに風が木々を揺らす音や夜鳥の声を聞いていた。
あの二人が生み出す音は、何も聞こえなかった。
空には長安で見上げた時よりも、数倍たくさんの星が瞬いていた。



それからも時折、三蔵と八戒は姿を消した。
それはへとへとでたどり着いた街の中でだったり、深い森の中での野宿の夜だったり、昼食で立ち寄った林の中だったり。
そんな時悟浄はいつも俺のそばにいて、つまんねえ冗談で笑わせてくれた。
今まで食ったものの中で一番美味かったモンの話とか、麻雀のやり方とか、イカサマの見抜き方とか。
たまに女の口説き方とか、性教育ってやつとか、いろんな話もしてくれた。
気が付くと二人はいつの間にか戻ってきていて、三蔵はいつものように不機嫌そうに煙草を吸い、八戒はやさしい笑顔で俺の名前を呼んだ。
でもよく見るとその目元は泣いたように赤く染まり、俺たちから意識をそらした時の横顔はいつもより少しぼんやりして見えた。


三蔵と八戒は、愛し合っているのかな。
ふとした時に紫の瞳に浮かぶ、俺や悟浄に向けるのとは違う優しい色とか、八戒の小言をくらって顔を顰めながら漏らす不機嫌なだけじゃない舌うちとか。
三蔵を見ていると、そうなのかもしれないと思うことがあるけれど。
でも八戒は、どうなんだろう。
もちろん三蔵に対する尊敬や憧れみたいな思いは、出会ったころからずっと変わらずに感じていると思うけど。
三蔵と姿を消した後の八戒は、いつもどこか寂しそうだ。

でも二人が何をしているのかとか何を考えているのかということよりも、俺が一番気になったのは悟浄のことだ。
多分誰よりもあの二人のことを気にしなきゃいけないはずの、悟浄のことが。




その日、降り出した雨のせいで予定外の街に立ち寄った俺たちは、早い時間に宿に入った。
荷物の整理や買い出しを終えた頃、気が付くと三蔵と八戒の姿は消えていた。
小さい部屋ばかりの宿だったから久しぶりにみんな個室で泊まれるというのに、やっぱり俺たちは小さな部屋のベッドに腰掛けながら、窓の外で静かに降り続く雨を眺めていた。
ビールの缶を呷る悟浄に、俺は聞いてみた。
「なあ」
「あ?」
「悟浄は平気なのか?」
「なにが?」
八戒が三蔵と一緒でも平気なのかって聞こうとして、何も言えなくなった。
平気なわけねえよな。
旅に出る前から、八戒と悟浄は恋人同士だった。
今だって二人は、思わずこっちがドキドキするような瞳で何か囁きあっていることがある。
二人が同室になった次の朝にはすごくきれいな笑顔で部屋から出てきた八戒が、“おはようございます、悟空”って笑いかけてくる。
カラカラに乾いていた土地がたくさんの水で潤ったみたいな、安らぎに満ちた笑顔で。

「別にぃ」
俺の言いたいことがわかったんだろうか。
悟浄は窓の外に目をやりながら面倒そうに返すと、ピーナツを投げ上げて上手い具合に口に入れた。
負けじと俺も挑戦したけど、床にポロポロと落ちてしまう。
「俺、八戒にキスしてえ」
なんだか無性に腹がたって、俺はあらぬことを口にしていた。
悟浄はぽかんとした顔で俺をみると、いきなりクククと笑い出した。
「お前には、無理だろ」
「なんで無理なんだよ?」
「ガキだから」
「ガキじゃねえ。お前より年上だぞ」
「ぬかせ。童貞は全員ガキじゃ」

俺はじわじわと灰色の雲が胸の中に広がっていくような気がして胸が苦しかった。
まるで思いがけず苦いものを食べてしまった時みたいに、あの夜からずっと裏切られたような気持ちがしていることに気が付いた。
きっと八戒は悟浄のことも三蔵のことも好きで選べないのかもしれないって思おうとしたけど、なんとなくそれは違うとわかっていた。
俺は恐かった。
もしかしたら八戒は、悟浄のことも三蔵のことも嫌いなのかもしれない。


だけど。

その夜便所に起きた俺は、薄暗い廊下で見てしまった。
悟浄の部屋の前で、ドアを叩くことなく佇んでいる八戒の姿を。
ぼんやりとドアを見つめる八戒は、全身雨に濡れたままの姿で震えていた。
三蔵の部屋の前を通った時微かに煙草のにおいがしていたから、多分部屋にいるはすだ。
ここじゃなくて三蔵のところにいけばいいのに、と、少し意地の悪い思いがこみ上げた瞬間。
音もなく開いたドアから悟浄が姿を見せて、漏れた光が廊下の暗闇を白く切り取った。

ため息のような声で八戒が“ごじょう”と呟く。
静かな廊下に漂う微かな声が消えぬ間に、悟浄は八戒を引き寄せた。
震える身体をかき抱いた悟浄は、見たことないくらい優しい顔で笑って、“おかえり”と呟いた。
すごく満ち足りた顔だった。
八戒は赤い髪に頬を寄せて、目を閉じていた。
ああそうか。
この二人は、幸せなんだと。
いや、もしかしたら三蔵も含めて三人で、幸せな一つの世界を作っているんだと、俺はやっと気が付いた。
それから二人は確かめるように強く抱きしめあって、音もなく部屋の中へ消えていった。
ドアが閉まる瞬間、廊下の暗がりに突っ立ったままの俺を見た悟浄は、あの夜見せたみたいにウインクしながら声にださずに呟いた。
“ガキは入れてやんねえよ”


俺は少しずつわかりかけていた。
好きと嫌い、好ましいと疎ましい、愛おしいと憎らしい、反対の感情が混ざり合って、三人は繋がっているんだってことを。
それを“アイシテル”っていうんだってことを。







そして今。
この西の地にたどり着いた俺たちは、楽しいことも悲しいこともツライことも、たくさん経験してきた。
俺はあの時わからなかった大切なことを知っている。
人は情けないとこやみっともないとこを見せ合って許し合って、特別な繋がりができるんだってことを。
俺らがそうだったように。
あいつらに言ったら、笑い飛ばされそうだけど。


草木もまばらな荒れた野が続く土地で、俺は八戒の背中を見ていた。
暮れかかった光でオレンジ色に染まった大地を見つめて立ち尽くすその背中は、細いけれどぴんと背筋が伸びていて、その視線はまっすぐ前を向いている。
ふと見ると、足元に小さな白い花が咲いていた。
全然華やかじゃなくて、こんな荒野になんとかしがみついて咲いている素朴な花。
どこか寂しそうで、だけど力強く清らかで、まるで八戒みたいだと思った。
三蔵の厳しさと悟浄の優しさを糧に咲く花。
一輪だけで厳しい土地に根を伸ばし、強く生きていこうとしている花。


「ねえ八戒、キスしてもいい?」
八戒は振り返ると、少し目を見開いてじっと俺を見た。
“僕なんかじゃなくて、もっといい人がいますよ”って言われるかと思ったけれど、八戒はふ、と笑って小さく首を傾けた。
「悟空は何歳でしたっけ?」
「え、と…520歳、くらいかな?」
八戒は俺の頭にそっと手を載せ、やさしく髪を撫でた。
「僕よりずいぶんお兄さんですね」
でも、頭の中にはほんの数年分の記憶しかない。そのことがいつも悔しくて、早く大人になって背も高くなりたいって思っていた。
三蔵のように、悟浄のように。そしてこの人のように。
つらい記憶を抱きしめながら、それでも荒野の中にしっかりと立って強く笑っていられるようになりたいと。

「そうですねえ…じゃあ、長安に戻ったらにしましょうか」
「え?」
「長安に戻ったら、キスしましょう」
そんな先のことなんてどうなるかわからないのにって思ったけれど、俺を見つめる八戒の瞳を見て一瞬でそんな思いは吹き飛んだ。
確かな未来を信じて疑わない、強い瞳。
「じゃあ、もっと別のこともしていい?俺、悟浄にいろいろ聞いたから知ってるぜ」
冗談めかして答えたら、八戒は目を丸くしてから深いため息をついた。
「何をしているんでしょうねえ、あの人は」
少し懲らしめてやらなきゃいけませんねとつぶやくと、悪戯っぽく笑った。
「楽しみはとっておきましょう」
「うん」



足元の野の花が、夕暮れの温かい色に染まっている。
俺たちは荒野が夜に覆われるまで、暮れる夕日をみていた。




end




いやいや、八戒様はそんな可愛いもんじゃないよ、悟空、と思いつつ…(笑)。
4人はすでに愛し合っているんじゃないかと思います。
そんな4人を私も愛しています。



(2012.6.16)





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