SAKURA CITY
ガラスケースの中でそれは冷たく光っていた。
厳重な鍵に守られた鋭い切先とそれに続くうっとりするほど滑らかな刃のラインが見つめる僕を誘うように笑っている。
ほとんど鼻をつけそうにガラスケースにへばりついて古い刀剣に見入る僕の髪を、無骨な指が引っ張った。
「いつまでガン見してんの?もう戻るぜ」
両手に買い出しの品々を抱えた悟浄が、少し不機嫌顔で立っていた。
買い出しに出た先で見かけた古道具屋の店先に引き寄せられたまま、もう半時近くたっただろうか。
「ナニ?得物でも持つことにしたの?」
またいつもの酔狂かという顔で、悟浄は並んで覗き込んだ。
「そういうわけじゃないですけど、…きれいじゃないですか」
瞼に焼き付けんばかりに見つめる僕に、悟浄は呆れたようにため息をついた。
「見た目はいいけどな、こうゆうモンは扱いづらいぜ」
よっぽど訓練でもしねぇとな、とつぶやくと、背を向けてさっさと行ってしまう。
そんなこと言われなくても知っていますよ、と返そうとしたのに。
“訓練”なんていう言葉がこの人の口から出るのを聞いたのがあまりに久しぶりで、胸の奥が熱くなってちょっと立ちすくんだ。
紅い髪をなびかせながら遠ざかってゆく後姿を目で追っていたら、目の前を強い風に煽られた白い花びらが踊りながら飛んでいった。狭い通りの街路樹は、満開の薄紅色の花で彩られている。
この街は、そこらじゅうが桜だらけだ。
「ちょっと…懐かしかっただけですよ」
呟くと、僕は振り向くことなく刀の前を後にした。
こんな旅を続けていると、温かいベッドで眠れることはこの上もない幸せだ。
運よく大きな街にたどり着いた僕らは、久しぶりにまともな宿をとり、まともな食事を楽しんだ。
寝る前のひと時を利用して明日の行程の打ち合わせを済ませると、僕は三蔵と悟空におやすみなさいと挨拶をして自分の部屋に戻った。
ドアを開けても相部屋のはずの悟浄の姿はなく、狭い部屋はがらんとしている。
食事の後いつの間にか姿を消した友人は、気晴らしにでも行ってしまったのだろう。
やけに乗り気だった昼間の買出しは、下見を兼ねていたようだ。
僕は窓によって、真っ暗な外を眺めた。
室内を映したガラス窓に、不景気な顔をした自分の姿が映っている。
線の細い整った顔は笑っていないとどことなく神経質そうで、あの頃の僕に似ているような、そうでないような。
だがそこから続く首や肩、腕や胸のあたりの骨の太さや筋肉のつき方は全く違っている。
目的を持って鍛えた者と、そうでない者の違い。
こんな過酷な旅を今日まで生き残ってこれたのは、生まれつき持ち合わせた素質や鍛錬というよりも、人間でなくなったために得た力によるものだろう。
激しい情念を潜ませた繊細な精神を飄々とした素振りと毒舌で守り通している様はちょっと気の毒な程だが、案外僕が本来もっていたものなのかもしれない、なんて思う。
窓ガラスに映った猪八戒という青年の姿を眺めながら、僕は小さくため息をついた。
ある日気が付いたら、僕はこの青年の中にいた。
雨の夜、腹の中まで曝した姿で、あの人を見上げて笑っていた。
あの人は闇の中でもやけに目を惹く鮮やかな色を纏って、不機嫌そうに僕を見下ろしていた。
何年時が流れようが変わらないお人よしと好奇心で僕を拾い上げると、絶えそうだった僕の命を繋いでくれた。
こんなふうに僕たちは、五百年という気の遠くなるような時間の中、何度か巡り合ってきた。
友人だったり敵同士だったり、親子だったり。人間でなかったこともあったっけ。
いつも気が付くと僕は誰かの中にいて、あの人を見つけている。
いや違うな。
混沌とした意識の底に眠っていた記憶が、あの人を前にした瞬間によみがえる、といったほうが正しいか。
血を分けた姉と契り、復讐のために多くの命を手にかけた重犯罪人、おまけに人間から妖怪へ変化した伝説の体現者といわれる男が、この世での僕の姿。
思わず同情したくなるような壮絶な運命を背負い込んだ男を道端で拾い上げたのが、悟浄だった。
どういうわけか巡り合うたびに記憶を取り戻すのは僕だけで、決してあの人は僕を思い出さないようだ。
どちらかの寿命を終えるまで傍にいたこともあったけれど、あの人が僕の名を呼ぶことは一度もなかった。
多分これからも、あの人が僕を認識することはないのだろう。
きっとそれが、大罪を犯した僕らの業。
それでもこうやって共に過ごすことができるのだから、悪くない…はずだ。
なんだか急に煙草がすいたくなって、ベッドの上に悟浄が忘れていったハイライトとマッチを引き寄せた。
一本抜き取って唇にはさみ、懐かしい感触に目を細めながら火を点し胸の奥へと深く吸い込む。
重い煙が肺を満たしてゆくのを楽しんでから、ゆっくりと長く吐き出した。
久しぶりに味わう軽い酩酊感と苦味に眉が寄る。
ぼんやりと消えてゆく煙の先を追っていたら、ドアが開いて悟浄が入ってきた。
どうやらシャワー室へ行っていたようだ。まだ水滴の落ちる髪をタオルで拭きながら、くわえ煙草の僕を見て片眉を上げる。
「あら、めずらしい」
「いただいています」
「ご感想は?」
「不味っ」
「なら吸うな、勿体ねぇ」
僕の言葉に顰めっ面を作りながら、冷蔵庫から取り出した缶ビールを手に隣に並んだ。
「それにしても参ったぜ。大きな町のくせに、まともな賭場一つねぇの」
煙を逃がすために、僕は窓を開けた。
するりと入り込んでくる冷えた夜の空気に混じって、硬い春の匂いがする。
よく見ると狭い庭の隅には、闇に溶け込むように桜の木が立っていた。
昼間の強風で飛ばされた花弁が、庭のあちこちで闇の中白く光ってみえる。
今は緩やかに吹く風にのって、雪のような花弁を降らせていた。
その中の数枚が、はらはらと部屋に入り込む。
「おや」
「風流だねぇ」
隣で悟浄が一口飲んだビールを窓辺に置いて、煙草に火をつけた。
こんな風に桜の花を眺めながら、言葉を交わしたのはもう数百年も前のことなんて。
あの時交わした言葉の一語一句も、この人の笑顔も、胸を焦がすような想いも全て覚えているのに。
最期まで捕まえさせてくれなかったその薄情さも。
「どしたの?ぼんやりしちゃって」
「別に…ちょっと昔のことを思い出してました」
「満開の桜の木の下で、ねえちゃんと青カ…」
「下ネタは止めてくださいね」
ちょっとまじめな顔で、悟浄は煙を吐き出した。
「あの刀、欲しかった?」
「あ、いえ…ただめずらしかっただけです。悟浄の言うとおり、使ってみたら邪魔になるだけですね、きっと」
遠い昔、血で滑る柄を握り締めて斬って斬って斬って。
ただ信じるものを守るために浴びた血の匂いまでも、こんなに鮮やかに覚えているけれど。
「僕はもう、刃物は持ちませんよ」
愛した女のために多くの命を奪って浴びた血を、生きている命を切り裂き壊した感触を、僕は一生忘れてはいけないのだから。
それでも、犯した大罪も異質なものに変化したこの体も、あなたに巡り合うためだったのだと伝えたら。
遠い昔の記憶を引きずり出すために、全て必要なものだったのだと思っている傲慢な僕を知ったら。
あなたは悲しむだろうか。
“憶えていてくれるなら、どんな事だって―”
そう、なんだっていいんですよ。
でも本当は、思い出してほしいと願う気持ちと同じくらい、あなたには忘れていてほしいと願っている。
恐らくは壮絶だった最期を。背負うものの重さを。この先も繰り返されるかもしれない転生の恐怖を。
そして、僕という存在を。
「今夜は出かけないんですか?」
「もう、面倒くせぇし。それに今夜は、八戒さんと一緒だし?」
「なんですか、その取って付けたような理由…」
笑いながら悟浄の首に腕をまわすと、悟浄は迷いのない確かさで僕を引き寄せた。
この人は、あなたではないのかもしれないけれど。
せめてこの姿でいる間は、触れることを許してください。
遠い昔に叶わなかった夢を、流れゆく時間の中のほんの一時だけでも。
抱き合った後で眠りに落ちる瞬間、耳元で聞こえる低い声はいつも甘く沁み込んで僕にありえない夢を見せる。
ほら、今夜も。
“オヤスミ、天蓬”
end
うそつきな二人の話。
(2011.4.12)