the scar
そこは、金の雨が降っていた。
森の中で昼食をとった後、一服しようとジープを離れた三蔵は、一本の銀杏の木を見つけた。
次から次へと葉を落とし続ける大木の足元は、一面黄金に色づいた落ち葉で覆われている。
まだ多くの葉を残し、木全体が金色に輝いているような銀杏の木を眺めながら、三蔵は長く息を吐き出した。
秋のにおいが満ちた空気の中に、煙草の煙がゆっくりと漂い消えてゆく。
幼い頃に、来る日も来る日も寺の境内を掃き清めた箒の柄の感触を思い出して、三蔵は小さく笑った。
「あの葉は厄介なんだ。掃いても掃いてもキリがねぇ」
呟くと、隣で寄り添うように佇んでいた男が足元に落ちている葉を拾い上げた。
「三蔵も掃き掃除なんてしていたんですね」
金の葉の付け根を持ってくるくると回しながら、八戒が穏やかに微笑む。
「寺で育ったんだから、当たり前だ。ガキの頃は何でもしたさ」
信じられるものは自分と師だけで、あの小さな世界が全てだと本気で信じていたあの頃。
何もわかっていなかった、幼い自分。
「かわいらしい子供だったんでしょうね。見てみたかったな」
甘い笑いを含んだ声に反論すべく、睨むように隣を見やる。
「かわいいわけが、ね…」
問うように小さく首を傾けた八戒の襟元から少しだけ覗いている傷が目に入って、三蔵は言葉を止めた。
三蔵の視線に気づいた八戒が、形のよい指をそっとソコにあてて微笑みを深くする。
「三蔵は今でもかわいいですよ」
月のきれいな野宿の晩、崖の上に突っ立っていた八戒を捕まえたのは二ヶ月も前のことだ。
三年の間心に仕舞い込んで取り出すつもりのなかった想いを、あの夜の八戒はあっけなくひきずりだした。
それはただの“衝動”だったのかもしれない。
だがあの時、この手で掴まなければ手遅れになると、三蔵の中の何かが強く叫んでいた。
今更こんなことになるなんて、互いに爆弾を抱えるようなもんだとわかっていたはずなのに。
「痕をください。どうかあなたの、証を」
始めて八戒を抱いた夜、思わぬ願いを聞かされて、三蔵は戸惑った。
“離れてもすぐ傍に感じていられるように…。いつでもあなたがココにいると、わかるように――”
そういって八戒は、自分の左胸に指を添えた。
「痕なら、もうあるだろうが」
いい聞かせるように腹に残る傷跡を舌でたどると、八戒は身をよじらせて三蔵の腕から逃れようとした。無駄だと知ると金の髪に指を這わせ、三蔵の名を呼びながらもどかしげにかき回す。
普段は決して見せることのない駄々をこねる子供のような姿に、三蔵の胸には愛しさがこみあげた。
「こんな痕ではダメなんです。あなたが、くれるものでなければ…」
深く繋がり三蔵の腕の中で息も絶え絶えになりながら、八戒は強請った。
「噛んで、三蔵」
潤んだ碧の奥底が、誘うように揺れていた。
「お願いです…噛んで、ください」
そんな言葉に一瞬我を忘れたのが、この悪癖の始まりだった。
それから八戒は、抱き合うたびに三蔵に強請った。
快感に煙った瞳で三蔵の首に腕を絡ませ誘う姿は、まるで男を惑わすリリスの風情。だがなぜか罪を受けることを望む咎人のようにも見えて、三蔵の胸は痛いほどに熱くなる。
噛み傷はふさがる間がなく、さらに日ごとに増えていった。
今では八戒はその痩身のあちこちに、濃厚すぎる情事の跡を纏っている。
ふとした時にその身を悟浄に見られたようで、ある日紅い瞳がもの言いたげに絡み付いてきた。
「まぁ、ほどほどにしとけよ」
ほどほどで済む相手じゃないことも、三蔵が手離すつもりがないこともわかっている口ぶりで、悟浄はにやりと笑った。
近頃八戒は、ますます強くなった。
三蔵を庇うように敵に対する姿は以前からのものだが、最近では“恐れ”という感情を忘れてしまったように敵の正面へ突っ込んでゆく。激しい闘志と鋭利な刃物のような冷酷さで、行く手を塞ぐ者を容赦なく叩きのめす。
その後ろ姿には、三蔵への愛情と信頼とほんのわずかの後悔が潜んでいるように見えた。
「今日はあなたの誕生日ですね」
相変わらず手にした金の葉をひらひらと振りながら、八戒が微笑んだ。
「順調に宿についたら、今夜はみんなで盛大に食事をしましょうね。こんな時なんで、プレゼントは用意できなかったんですけれど」
八戒は申し訳なさそうに目を伏せる。
「いい年して、誕生日もクソもねぇ。何もいらねぇから、あいつらは追い出して俺と同じ部屋にしろ」
「二人部屋が取れるといいですね」
八戒はくすくすと笑いながら金の葉をひらりと投げると、そろそろ出発しましょうと呟いて、悟浄と悟空の待つジープへと歩き出した。
その背を追いながら、三蔵は一人呟く。
“もうとっくに、もらってるさ。この胸の中に、な。”
できたばかりの愚かで愛しい傷を確かめるように、ゆっくりと自分の胸に手をあてた。
end
俺様な三蔵も好きですが、八戒に振り回されて戸惑う三蔵が好きです。
めでたくない話で申し訳ない。
三蔵さま、お誕生日おめでとうございます。
(2010.11.29)