常備薬
「集中してくださいよ」
後ろから耳元に囁かれて息をのんだ。
耳たぶに歯を立てられそのまま熱い舌先を入れられて、抗議の言葉はやけに甘い吐息になり変わる。
八戒に求められることはまるで麻薬だ。
その深い碧の奥の暗い光に吸い寄せられるように、俺は差し出された掌を拒めない。
むしろさっきだって自分から腕を伸ばしていた。
八戒は差し出せば差し出しただけ受け取って飲み込んで、もっと寄こせと貪欲に求めてくる。
遠い昔差し出した想いを跳ね除けられ粉々に砕かれて、おまけに殺されかかった記憶を埋め合わせるように、俺は際限なくこいつに差し出してしまう。
こんなことでひどく満たされてしまう自分はどうかしている、と思いながら。
「誰のこと考えてるんですか?こんな時に…余裕ですね」
余裕なんてあるわけないでしょ。もう限界ぎりぎりなんですけど。
あと少し上り詰めれば世界が真っ白になるってところで、わざとらしくためらうような動きをするのがこいつのやり方で。思わず小さく舌打ちすると髪を引っ張られ、歪んだ顔を無理やり引き寄せられた。後ろから繋がったままの不自然な体勢で肩越しに口づけられて息が上がる。
この体勢は勘弁して。お前みたいにカラダ柔らかくないのよ。どっちかっつーとアクロバティックなSEXは苦手って知ってるくせに。
深過ぎる快楽にオカシクなった頭で、憎らしいと思うと同じくらいだけ嬉しい愛しいと感じているなんて、もう末期症状。
それなのに八戒は怖いくらい真剣な顔で俺の瞳を覗き込む。
そんなに見たって、お前しか映ってねぇって。
なに焦ってんの?離すわけねぇじゃん。こんなに…大切なのに。
“最近新しいカノジョができてさぁ”なんて告げれば、いつも八戒はやたら物分りのいい顔で微笑んで、
“それはよかったですね。だったらシャツはちゃんとアイロンかけてあるのを着て行って下さいね。それから悟浄、ちゃんとしたお付き合いをしてくださいよ”
なんて世話焼きのかーちゃんみたいな言葉を返す。
でもその実きれいな瞳は暗い情念みたいな光を浮かべていて、まるで森の奥で何年も命あるものを飲み込んできた湖みたいな深く暗い色をしている。
その瞳が見たくて、俺は女を抱くのかもしれないと最近気がついた。
今その瞳は、焼き切れそうなほどの熱を宿して俺を追い詰めている。
あぁ、きれいだな。本当にきれいだ。
まっすぐにほしい物に手を伸ばせるのは、生きたいという気持ちの強さと同じなんじゃないだろうか。
繊細で複雑でそのくせ欲張りなこの男は、甘い水も苦い水もなくては生きてゆけない。
ツライ思い出も犯した罪の重さも忘れさせてやりたいのに、少しでも満たされるとすぐに自分で傷を拵えて、膿み爛れるまでかき回さずにいられない。
その深い闇を受け止めてやれるだけの力が俺にあったなら。甘やかしてやれるだけの情が三蔵にあったなら。俺たちの関係は、もっと単純で明快でいられたのだろうか。
でもそれじゃきっと、おもしろくなかっただろ?
さて、そろそろリミット。
二人が一つになれる夢を追える時間は、本当はとても短かくて。短いからこそ、大切なんだろう。
腰骨が砕けるような重さと熱にたまらずに目を瞑ると、一瞬昂然と輝く太陽が瞼に浮かんだ。
どう足掻いても届かない、きれいな光。
あぁ、そうだ。自分とはあんまりかけ離れているから、あの金の光に心が吸い寄せられるんだろうな。
だけどもう遅い。
目の前の男にこんなに囚われちまってる自分を知ってしまったから。
この麻薬なしでは、もう生きてイケない。
そしていつものように上り詰めた先に待っているのは、目も眩むような白い世界――
体中に浴びたものを温かいシャワーで流し去って、俺は浴槽に沈んでいた。
俺をいいようにして満足気な八戒は、浴槽から頭だけ出した俺の髪を楽しそうに洗っている。
きれいな指が何度も髪をすいて愛しげに巻きつけるのを眺めながら、俺はだるい身体を湯に遊ばせた。
俺がこいつの下になるのは5回に1回くらい。そんな時八戒はすごく幸せですって顔で微笑んでくれるから、最中のとても自分のものとは思えないセリフとか喘ぎ声とか涙とか、後で面倒とかツライとか、どうでもよくなる。
あぁ、でも、今日のこいつはきれいすぎるな。俺を見下ろす碧が潤んでいて、今にも溢れそう。
そろそろ頃合いなのかも、ね。
「あー、そうだ。そーいえば今度の週末、テツマンだったわ。帰れねぇけど、寂しくない?」
「子供じゃないんですから大丈夫ですよ。それにあなた、先週も朝帰りだったじゃないですか」
八戒が拗ねた顔を見せた後、俺たちは笑いあってキスをした。
さて、週末はどうやって過ごしましょう?と八戒は少し寂しそうに首を傾ける。
行ってこいよ。アイツの所へ。
行って好きなだけ溺れて、傷ついて、帰ってきな。
そしたらまた、溢れるくらいに満たしてやるから。
end
凹凸といえば…発想が下品ですみません。
(2010.11.18)