resolution
1
「やめとけ」
明日の行程の打ち合わせも済んで、待ちくたびれた悟空がカクンカクンと舟を漕いでいるのを横目で見ながら立ち上がった時だった。
「もうやめとけ」
傍らに座った三蔵が、もう一度、今度はしっかりとこちらに視線を合わせて呟いた。
「はい?」
一瞬強く視線がぶつかり合う。
「四六時中辛気くさい面でいられると、迷惑なんだよ」
最近気が塞ぎがちなのは事実で。
昨夜もよく眠れなかったから、集中力は欠けているし、倦怠感が酷いのも否定できない。
それは先日の「カミサマ」と称する男との死闘の後から続いていた。
いや正確に言えば、それは、悟浄が幼い兄弟のために僕たちの前から姿を消した日から始まっていたのだけれど。
「わかってんだろ?」
「何のことでしょう?」
「穴の空いたバケツにいくら水を入れても、無駄ってことだ」
面倒なことには悉く無関心を装う三蔵が、僕たちの関係に口出しするのは初めてのことだった。
そしてこの人は、口を出すからには容赦なく真実をつきつける。
それにしても、さすが僧侶。巧いことを言うものだ。
苛立ちかけていた胸の中がすとんと暗闇に墜ちたような感覚に、僕は一瞬言葉を失った。
睨み合いで負ける気はないのだが、大人げないので微笑みに切り替える。
「優しいんですね、三蔵。でも大きなお世話です」
あの事件の後も、自分では今までと変わりなく過ごしているつもりだった。
だがこんな風に三蔵に言わせるほど気落ちして見えるのかと思うと、虚勢まじりといえなくはない微笑みに苦いものが混ざる。
わかりにくい言葉ではあるが、彼独特のやり方で気遣ってくれる三蔵の気持ちをありがたいと思った。
「ふん」
照れたような怒ったような複雑な表情でこちらを睨みつける三蔵を、あろうことか少し可愛いと思ってしまった。
時折見せるらしくないこんな表情が、いつも傍らにいるこの少年を惹きつけて止まないのかもしれない。
一見棘を含んだやりとりに、目を覚ました悟空が大きな瞳できょとんと僕たちを見比べている。
「最近野宿が続いたから、少し疲れているだけです。今夜一晩休養すれば大丈夫ですよ。こんな大きな街ですから、きっと悟浄は帰って来ないでしょうし」
面白くなさそうに眉間に皺をよせる三蔵に、にっこり笑ってみせる。
「あ、でも僕に気を使わないで遠慮なくコトをいたして下さいね。僕らの他に宿泊客はいないようですし」
「は、はっかい?」
「おいっ!」
面白いほど二人は狼狽えた。
今まで気付かれていないと思っていたのだろうか? いいですよね、あなたたちいつでもラブラブですもんね。
完全に眠気のふっ飛んだ顔の悟空と、珍しくも頬を朱に染めた最高僧を残して、僕は静かにドアを閉めた。
2
自分の部屋のドアの前で、一瞬ノブに手をかけるのを躊躇った。
あの時以来、ある恐怖を抱いてドアの前に立つようになっている自分に、嫌でも気づかされる瞬間。
゛このドアを開けても、あの人はいない゛ と。
あの朝。
悟浄が僕達を宿に残して消えたあの朝だって、そんな予感はしていたのだ。
三蔵になんと言われようとしたいようにする人だから、あのままカミサマを見過ごしておけない事はわかっていた。
わかっていて黙っていたのは僕なのだから、悟浄を責める気はない。
けれど心のどこかで、僕は自惚れていた。
行く時は、言ってくれるに違いない、と。
あの人は優しすぎるから。自分以外の者には、誰にでも優しい人だから。
誰も悟浄の特別にはなれない。
そう、僕でさえも。
ゆっくりとドアを開けると、ベッドに横たわり気だるげに煙草をふかす悟浄の姿が目に入り、僕は立ち尽くした。
「…あれ?出かけたんじゃないんですか?」
ドアを閉めながら、声の震えに気付かれないように、ことさら明るい声で話しかけた。
久々の大きな街だから、今夜は色街にでも行って帰ってこないと思っていたのに。
「やっぱ、やめたわ」
ベッドに近付く僕に、低い位置から向けられる悟浄の視線。
その艶っぽさに、僕の胸は小さく音をたて始める。
「寝たばこ厳禁ですよ。この前シーツに焦げ跡作って、追加料金とられたばかりでしょう」
咥えた煙草を取り上げて灰皿に押しつけようとしたが、思い直して自分の唇に持っていった。
深く吸いこむとダイレクトに感じてしまった悟浄の香りに眩暈がして、それを誤魔化すようにわざと顔をしかめた。
「どうしたの?珍しいじゃん」
取り上げられた煙草の行く末を面白そうに見ていた悟浄が、身を起こして目を細める。
「三蔵に苛められた?」
時々勘が鋭くて嫌になる。 それとも僕の感情は、そんなに面にでるのだろうか?
「そうなんですよ」
僕はできるだけしおらしく俯いてみた。
「どうせ苛め返してきたんだろ?」
「失礼な。そんなことしません」
あの日から、ある不安が僕にまとわりついている。
それはそっと皮膚から染み入って、微かに四肢を痺れさせながら沈んでゆく。
心臓に達すると、絡みついて緩やかに締めつける。
真綿に包まれながらじわじわと締め付けられるような、暗い痛み。
僕は軽口を交わしながら、そっとその場所に触れてみた。
これは不安じゃなくて、゛予感゛なのかもしれない。
「慰めてくれます?」
「よろこんで」
悟浄に腕を引かれ、僕はベッドを軋ませながら乗り上げた。
僕を押し倒す悟浄の表情は、いつものように楽しそうに見える。
性欲を満したいというより、慣れた遊びを楽しもうという雰囲気。
口づけより先にさらさらと僕の頬に落ちてくる紅い髪を見上げながら、だが僕は悟浄の肩を強く掴んで押しとどめていた。
「悟浄」
「何?」
「たまには代わりましょう」
一瞬悟浄の瞳が真剣な色を見せた、気がした。
「お前、ヒドそうだからなぁ」
酷いのはあなたでしょう。こんな気持ちにさせるなんて。
「試したこと、ないじゃないですか」
「結構鬼畜で、しかも、しつこそう」
「でもそういうの、実は嫌いじゃないんでしょう」
面白そうに、悟浄の眉が上がる。
「俺が?」
「やめないでーって泣いて縋るくらい、ヨクしてみせますよ」
時折僕からもちかけるこの提案は、受け入れられた例がない。
僕自身が本気なわけではないのだ。
こんな関係になった頃は、抱かれるばかりの立場に抵抗がなかったわけではないのだが…
そんな気持ちも、いつの間にか麻痺していった。
所詮僕たちの行為に、意味などないのだから。
本来大切な意味のあるべきこの行為は、悟浄にとっては多分ゲームみたいなものだ。
一時の慰み、暇つぶし。
そうでなくてはならない。
そうでなければ、とても怖ろしくて肌を重ねることなどできない。
それでも時折、思い出したように僕はこの言葉を口にしてしまう。
行為に移る前のちょっとした言葉遊びに託けて。
僕は何を期待しているのだろうか。
だが今日に限って、悟浄の肩を掴んだ僕の手の力が強すぎた。
僕を見返す紅い瞳が真剣すぎた。
二人で見つめ合う時間が長すぎた。
「ま、いっか」
沈黙の間の割にこちらが拍子抜けするほどあっさりと、悟浄はその言葉を口にした。
驚いて惚けたように見つめる僕を見下ろしながら、悟浄はいつもの、心の奥底を覗かせない余裕の表情を浮かべている。
どうして今、どうしてこんなに容易く受け入れてしまうのか。
僕の抱える゛予感゛に、気づいているのだろうか。
悟浄のふりまく優しさに目眩がした。 これではまた、僕は勘違いしてしまう。
悟浄はゆっくりと起きあがって身を離すと、僕の腕を掴んで引き起こしながら挑発するように唇を引き上げた。
「お手並み拝見…ってか」
その言葉に、一瞬で全身に熱が巡った。
…絶対、泣かせてやる。
3
戸惑いと逡巡と奇妙な苛立ちに心を乱されながらも、僕の指はしっかりと悟浄の身体を辿っていた。
男を抱くのが初めてだって、身体は動く。
何と言ってもこの温度には馴染んでいる。
触れるだけで熱くなる欲深い自身を思い知らされて嫌になるほどに。
どこまでも余裕を崩さずに笑う悟浄の唇に、僕は軽く噛み付いた。
強面な外見とは裏腹に、悟浄は優しい。
それは、お人よしと呼べるほど。
死にかけていた妖怪を放っておけなかったのも、行くあてのない元犯罪者を同居させてくれたのも、雨に怯え過去に囚われた男をその熱で暖めてくれたのも、優しすぎるから。
僕だけが特別なわけじゃなく、きっと誰にでも同じように優しいのだ。
そんなこと、わかっている。そんなことが問題なわけじゃない。
悟浄は出会った頃から変わっていないのだ。
交わす言葉は増えて、共通の秘密も存在して、時には熱を分けあって、二人の距離は縮まったけれど。
互いの考えていることや次の行動までも、かなりの正確さで推し量ることができるようになったけれど。
それでも。
悟浄は出会った頃から変わっていない。 それは哀しいくらいに。
僕から見れば最低と思われた男の身代わりになってあっさりと命を棄てようとしたあの頃と。
無謀にも一人きりでカミサマに挑んだ現在と。
周りの人間や自身の命への執着のなさは、平坦ではなかった数年を共に経た今でも、変わっていない。
そのことが、僕の胸を締め付ける。
そしてそんな悟浄の姿はある女を思い起こさせて、僕を凍らせるのだ。
今まで僕は、必死になって探していたのかもしれない。
照れた時瞬きをする癖とか、笑う時首を少し左に傾ける癖。 髪をかき上げる指先の動き、僕の理性を溶かす身体の温度。
違う、違う、違う… それは何もかも違いすぎて怖くなるほどで。
だが同時にひどく安堵もしていた。
彼女は華奢な女性で、この人はチンピラ風情の大男で。 似ているところなんて一つもないはず。
でも僕は気付いてしまった。彼女と悟浄の同じところに。
きっとこの人もその時がきたら、差し出した僕の腕をすり抜けて、あっけなく逝ってしまうのだろう…
燃えてしまうんじゃないかと思うほど近くに感じる悟浄の体温と、どうしても届かない心との距離が胸の中で一つになれなくて悲鳴をあげている。
「八戒?」
呼びかけに現実に引き戻されて、声を失った。
「どうした?」
「あ…」
少し苦しそうに息をつきながら、悟浄が目を眇めて僕を見上げている。
ふと見ると悟浄の裸の胸の上に、ぱたぱたと水滴が落ちていた。
「泣いてンの?」
泣かせてやるはずだったのに。
僕が悟浄を泣かせてやるはずだったのに。
「泣いてません、よ」
僕は悟浄を見下ろしながら、水滴と共に掠れた呟きを落とした。
「そんなに酷く、苛められた?」
なんでそんなに優しい声で囁く?なんでそんなに優しく頬に触れる?
「だれが三蔵の、…せいでな…んか…」
声が震えて、きつく目を閉じた。
「じゃあ…」
゛俺のせい?゛
「俺は泣いたけど」
その言葉に、僕は目を瞠った。
「カミサマんとこ行く途中、お前の事考えて泣いたよ」
悟浄の指が、そっと僕の涙を拭う。
「こんなにも生きる事に懸命になれるのはお前と出会ったからだって思ったら、胸が痛くて涙がでた…かっこわりぃけどな」
少し照れた、子供のような笑顔を見せる。
時折見せるこの笑顔がどうしようもなく好きだと知っていて、今こんな風に笑いかけているのだとしたら、酷過ぎると思う。
できることならば、この笑顔を僕だけのものにしたいと願っているのに。
手に入らないなら、いっそ壊してしまいたいとまで思っているのに。
悟浄は肘で支えて身体を起こした。
僕の耳元に唇を寄せ、ゆっくりと囁く。
「お前だけなんだぜ。俺をこんな気持ちにさせるのは」
僕は悟浄の肩に額を押し付けて瞼を伏せた。
あぁ、また…
こうやってまた、僕はこの優しさに救われてしまうのだ。
手を放そうとすれば、いつも手繰り寄せられる。
その優しさに救われているのか、傷つけられているのか、もう、わからないけれど。
それでも構わない、と強く思った。
結局最後まで行き着くことも出来ず、いつものように慣れた仕草で抱き込まれて、僕は後ろから悟浄を受け入れた。
悟浄のもたらす快感と痛みを受け入れながら、僕はぼんやりと耳の奥に甦る三蔵の言葉を聞いていた。
『やめとけ』
あぁ、本当に。
『穴の開いたバケツにいくら水を入れても、決して満ちることはないだろ』
本当にその通りだ。
求めればいくらでも優しさをくれるくせに。
その優しさでこちらは溺れそうなほどなのに。
いくら注ぎこんでもそのまま底から流れ出て、僕の想いは決して悟浄の中に留まることはないのかもしれない。
『アイツは誰も見てねぇ。わかってんだろう』
そんなこと、分かりすぎるほど分かっている。
こんな男を好きになるなんて、ロクなことないということも。
でも。
それでも構わないんです。
゛予感゛を抱きしめながら、僕は何度でも注ぎ続けるから。
end
やはり一度は書かずには通れないカミサマネタ。
85風味って…、未遂じゃないですか!(笑)
どこまで行ったの?この二人!入れたのか?
なんか中途半端で、申し訳ないです。
気持ち的には悟浄に対して、八戒はいつも攻める気満々だと思います。
実際にベッドでの行為はさておいて。
(2008.06.25)