温泉 






数日間の野宿を経てたどり着いた山の中の小さな村は、寂れた湯治場だった。
意外な所で温泉に遭遇した一行は、“おんせん”という響きだけで野宿の疲れも吹き飛んだ。
三蔵が咳払いを一つして、「たまにはゆっくり湯に浸かり、旅の疲れを癒すのもよかろう」ともっともらしくのたまって、今夜の宿が決まった。


往事は賑やかだったらしい大浴場は、寂しいくらい空いていた。
はしゃいだ悟空は真っ先に風呂につかって泳いだり潜ったりしていたが、案の定のぼせてしまった。
三蔵が悪態をつきながらも気遣わしそうに世話をやき、二人は先に部屋に戻って行った。
とたんに静かになった風呂場には、悟浄と八戒の他には数人の客が残っているだけだ。

「まるで親子ですねぇ」
八戒が石鹸を泡立てながらくすくすと笑う。
丁寧に身体を洗う姿を横目に見ながら、悟浄は勢いよく頭から湯をかぶった。
ざぶんと飛沫をあげて湯に入ると、熱い湯が体中にしみわたる。
久しぶりに風呂に入れて気分がいい。おまけにここは露天の岩風呂や檜風呂まで備えている。
あれこれ欲張って入っていたら、悟空じゃなくてものぼせてしまいそうだ。
悟浄の場合、八戒の存在だけで既にのぼせ気味なのだが。
だがそんな悟浄の思惑など知らぬふうに、八戒はのんびりと身体を洗っている。


その時、悟浄は一人の男に気がついた。
洗い場の奥にいる男が、やけにじろじろと八戒に目をやっている。
確か昼間、この村についた時にも見掛けた男だった。いやに執拗に自分たちの方を見ていたから、覚えている。
あれは、八戒を見ていたのだろうか。
当の八戒は身体を洗い終わると自分に注がれる不躾な視線などお構いなしに、その細い身体をさらしながら洗い場を横切ってくる。
浴槽の中の悟浄の隣にやってくると、並んで湯につかった。
天井を見上げ目を細めて、“あぁ…”などと気持ちよさそうにため息をついている。
必要以上に色っぽい。
悟浄は落ち着かない気分で、バシャバシャと湯をかき回した。


「なに怒ってるんですか?」
「お前、無防備すぎ!」
「はあ?」
「あのオヤジ、さっきからヘンな目でじろじろ見やがって」
八戒は悟浄の視線を追って、洗い場に目をやった。
視力の弱い八戒には、男の姿ははっきりとは見えないかもしれない。
「そうですか?気のせいでしょう」
「ぜってぇ、気のせいじゃねーって!」
「僕の裸なんて、見たって誰も喜びませんよ」
「オレは悦ぶけど」
「それはあなたがおかしいんです」
「ツレねぇな」

八戒は少し揶揄するように、ふふっと笑った。
「よかったじゃないですか。あの人がいてくれて」
「…なんで?」
「いくらなんでも、他人のいる前で襲うわけにはいかないでしょう?」
「人を強姦魔みたいに言うな」

顔をしかめた悟浄の掌に、そっと何かが触れた。
湯の中でゆっくりと絡みつく細い指。
愛おしむように甲を撫でると、円を描くように関節に触れ、悟浄の指を優しく握りこむ。
何かを想像させる、やけになまめかしいその動きに、体温が跳ね上がる。


「あなたではなく、僕がですよ」


重なった掌に気を取られていた悟浄は、耳許で囁かれたその言葉の意味に気がつくのが遅れた。
慌てて八戒の顔を振り向いた時には、とっくにその指先は離れていて。
八戒は何事もなかったようにきれいに微笑むと、立ち上がりさっさと浴場から出て行ってしまう。
後を追いかけたくても、とても立ち上がれる状況ではない。


「…反則だろ」


すらりとした後姿を見送りながら、悟浄はぶくぶくと鼻の先まで湯の中に沈んでいった。





end



寒い季節になると風呂ネタを書きたくなる病の産物でした。

(2009.3.6〜2010.4.6 拍手ss)




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