burn


2.






煙草が切れたと呟いて廊下に出ると、思わず大きなため息が漏れた。
我ながら言い訳のマズさに顔をしかめて舌打ちする。八戒がぬかりなくカートンで買ってきたことくらい知らぬはずはないのに、悟浄は紅い瞳を細めながらヒラヒラと右手を振っただけだった。
いつもならくだらない罵詈雑言の応酬の挙句、“つまんねぇ”とか“ムカツク”とか捨て台詞を残してあいつが夜の街にでかけて行って、明け方戻ってきたときには俺がすっかり眠っているという算段で何の支障もなくやり過ごせるはずの夜が、どうにも調子が狂ってしまう。
俺を見上げた時あいつが見せた焼け付くような視線が胸に痛かった。
周到に装っている軽薄な上面から時折透けて見えるやけに真剣な瞳の意味なんか、わからない振りをしている方が互いのためなのだ。そんなことは悟浄も承知のはず。
あの男をこの場所に繋ぎとめておくことができるのなら、傍からみたら噴飯もののこの関係も俺たちにとってはなんてコトはないはずだ。今までも。これからも。

隣りの部屋のドアはぴったりと閉まっていて、物音一つ聞こえない。
こんな時間に眠ってしまったのだろうか。悟空はともかくこの混乱の根源のあの男が、暢気に寝ているわけがない。
文句の一つも言ってやろうと足を止めたが、藪蛇になるかと考えてやめておいた。
まだ宵の口なのに既に灯りを落とし深夜のように静まり返っている狭い廊下を、足音を殺して歩いた。
角を曲がると庭に面した廊下の窓にもたれて、ぼんやりと外を眺める八戒の姿が目に入った。
差し込んだ月の光に浮かび上がるその姿はちょっとこの世のものではないように儚く見えて、動けなくなる。
「いい月ですね」
ゆっくりとこちらに視線を廻らすと、八戒は唇に挟んだ細い棒を揺らしながら淡く微笑んだ。
「なんだ、それは?」
「悟空にもらっちゃいました」
八戒は優美な仕草で口元から棒つきの飴を取り出すと、顔の横で揺らしてみせた。
「キャンディですよ」
いいでしょ?と小さく首を傾げる。
「“アレ”はどういうつもりだ」
「お気に召しませんでしたか?」
俺の不機嫌な文句に呼応するように、八戒は笑みを深めた。
「当たり前だ」
「何故ですか?あんなに素敵な人なのに…優しいし、床上手だし」
「…趣味が悪ィ」
「それはお互いさまでしょう」
八戒はふふっと笑うと窓の外に目を戻した。
青白い光に晒された頬は、まるで血が通っていないように冷たくみえる。
触れれば薄氷のように砕けてしまうんじゃないかと思わせるほどに。
「本当に、僕には勿体ない人なんですよ」
“あの人も。あなたも。”


あぁ、こいつが好きだと感じるのは、こんな時だ。
したたかに微笑んでみせながら、時折身食いするように暗闇へ向かおうとする心。
まるで俺たちを試すような悪フザケも、きっとこいつの本心だ。
こんなコトして俺と悟浄がどうかなったら、明日からどうするつもりだったのだろう。平然と微笑みながら心だけ凍らせて旅を続けるのか。それとも姿を消すつもりか。
森の奥の暗く湿った寝床でひっそりと蔦を伸ばし息づく植物のように、音もなく昏い淵へ向かおうとするその魂を引き止めて、無理にでも抱き締めたくなる。
それはまるで、自分自身を抱き締めるように。
守るべき人を失った時に向かえなかった破滅へと、何のためらいもなく歩を踏み出したこの男に、俺はどこかで嫉妬している。
真っ直ぐ天に向かって伸びることを定められた樹木が土の中ではその根を醜く絡めあわせているように、捨ててきたふりをしている闇に囚われたいと願う自身に潜む弱さを、俺はこいつと向かい合うことで確かめては撃ち殺している。
こいつはそんな俺の狡さを見抜いていて、自分の罪深さを忘れぬためとか戒罪だとかくだらない理由をつけては俺のところにやってくる。
互いを繋ぐものが自分勝手で狭量なエゴだとわかっていても、いや、わかっているからこそ。
俺は八戒を手離せない。手離さない。


「二度とあんなモン寄こすんじゃねぇぞ」
「そんなこと言って、後悔しても知りませんよ」
穏やかな声が闇に溶け込んでゆく。
「ありえねぇな」
自分で選んだものを嘆かぬくらいの強さは持っている。
「不器用な人ですね」
八戒は一瞬浮かべた痛みを耐えるような表情を隠すように、もう一度キャンディを口に入れた。
「では、明日は悟空と一緒でお願いしますね」
「ハイライトはやめとけよ」
「知っていたんですか?」
うまく隠しおおせていると思っていたのか。
八戒は本当に驚いたという顔で瞬きをした後、少し寂しそうに目を伏せた。
「…妬いてくれないんですか?」
人のこと不器用だ何だと言うくせに、どうしようもなく不器用なのはお前だろう。
壊れるためのきっかけも口実もやらねぇから。どこまでも真っ直ぐに求めればいい。手を離す必要なんかねぇさ。
どうせもう、大して欲しいモノなんかないんだろ。
誰も手に入れられないあいつの心と、自分の罪を忘れないためのこの腕と。
あとは悟空の笑顔くらい、か。
「馬鹿じゃねぇか」
「そんなこと、言われなくてもわかっていますよ」
強がりばかりの薄い肩を引き寄せると、八戒は泣き顔に似た微笑を返してよこした。
くしゃくしゃと前髪をかき回してから滑らせた頬はやはりひどく冷たくて、温めずにはいられない。
俺は邪魔なキャンディを抜き取ると、やけに甘い唇を奪って抱き締めた。


妬いてくれないかだと?一体俺はどっちに妬けばいい?




end



欲ばりな人達。

(2010.3.27)


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