すき
「すきです」
時々無性にこわくなる。
「すきですよ」
どこまで僕はこの人を好きになるんだろう。
「だいすき」
どこまで手に入れたら、満足できるんだろう。
「ごじょう」
「どしたの?今日はやけに…っ」
多情な恋人は僕以外にも優しくしたい人が幾人もいて。
「ちょ…まて…っ」
それはそれで構わない。そんなあなただからこそ、好きだから。
「八戒…」
いつも他人の気持ちには敏くてさり気なく気を回して、悟空の退屈を紛らわし、三蔵の苛立ちの矛先となり、僕の執着の対象でいてくれる。
「だまって。…治療中ですよ」
吐息混じりの自分の言葉に笑ってしまう。
痛々しく腫れてしまった悟浄の左肩に自分の右手を翳して力を集めて治癒しながらも、僕は悟浄の腰に乗り上げてまるでさかった獣みたいに厚い胸を舐めまわしている。
少しでも気持ちよくなってほしくて。
「たまに言っておかないと、あなた忘れそうだから」
戦闘で怪我をした悟浄を治療するからと、半ば強引にこの森に立ち寄ったのは少し前。
真夏のきつい日差しを遮るひんやりとした森の中は午睡にはちょうどいい具合で、同行の二人からも文句はでなかった。
蝉の声がうるさいほどに降り注ぐ薄暗い茂みの中で、いきなり僕に乗り上げられても悟浄は厭ったり抗ったりしない。それどころかいつのまにか、僕の腰は悟浄の掌にしっかりと引き寄せられていて。
「今日は雪でも降るんじゃねぇの?」
頭上を覆う葉のすき間からのぞく、青すぎるほどの空を見上げて笑っている。
僕は目の前の絹糸ような紅に指を絡めて引き寄せながら、余裕たっぷりな言葉を吐き出す唇を、余裕なく噛み締めていたせいで痛む唇で塞いだ。
地獄で目を覚ましたつもりだった僕の目の前に広がった、この紅に繋ぎとめられて随分たつけれど。
求めればいくらでも応えてくれる、その底のない優しさに縋りつきながらも、飢えたように喰らうように求めてしまうのは。
多分あの言葉を口にした時と、悟浄が変わっていないから。
"大事なモンなんざ ねーからな…"
あの時突然気づいてしまった。
僕は悟浄が好きなんだと。
大事なものなどないと言ったこの人の、大事なモノになりたいんだということを。
この僕に、そんな資格あるわけがないのに。
あぁ、じれったい。どうすれば手に入る?
どうしたらその心の欠片でもいいから、僕にくれるのだろうか。
もしかしたらこの人の心の中は空っぽで、誰にも、何も、渡すものなんかないのかもしれない。
それならその空洞を僕が埋めたいと願うのは、ひどい思い上がりなんだろうか。
こんな汚れた身で何ができるのかと、耳元で嘲笑うような声がする。
それでも。
「もう…おかしく、なりそう…」
舌を絡ませて、舌だけじゃもちろん足りなくて。全てを絡ませあって一つになってしまいたいのに。
いくら名前を呼んで愛の言葉を口にして、濡れて濡らして溺れてみても、よく聞けば二人の間の水音にまで、辛い哀しいと軋んだ音が潜んでいて。
いくら抱き合っても、永遠に二つの身体は一つにはなれないのだと思い知らされる。
それでも。だからこそ。
心だけでもと求めてしまう。
「おっ、イイ感じ」
コトが終わって手早く服を直した悟浄は、怪我の様子をみるようにぐるぐると左肩を回したり摩ったりしている。
どうやら肩の腫れは引いたようだ。
身体の力が抜けてしまった僕は上着のホックをかける指の先まで倦怠感で溢れていて、ぼんやりとその様子を眺めている。
吐き出しても胸の中に燻り続ける熱に、内心ため息をつきながら。
「サンキュ。もう痛くねーわ」
「それはよかったですね」
ふと目を落とすと、座り込んでいる地面にいくつもの小さな穴が開いていた。
それがこの切ないほど懸命に鳴いている蝉たちが棲家を抜け出た跡なのだと気がついて、僕は頭上を覆う濃緑の葉を見上げた。
見回すとあちこちの葉にも枝にも、たくさんの抜け殻がしがみついている。
僕の視線の先に気づいた悟浄は、その中の一つを指先で壊さないようにそっと葉から引き剥がした。
掌に載せじっと見つめると、とても優しい表情を浮かべる。そんな様子を眺めながら、僕は考える。
あの殻を抜け出た蝉は、まだこの森のどこかで生きているのだろうか。
長い闇から抜け出た後の短かすぎる時間に、未練はないのだろうか。
哀しいほど潔いその生き様は目の前の人に似ていて、僕は思わず目を伏せてしまう。
この人には大事なものができたのだろうか?
僕がそれになりたいと、決して口には出せないけれど。
共に過ごした短くはない時間の中で、僕はこの人を繋ぎとめるものになれたのだろうか。
少しでも、僅かでも、悟浄をココに繋ぎ止めるものになれるのなら、僕は何だってするのに。
「こいつ、お前みてぇ」
思いがけない言葉に、僕は顔を上げた。
嬉しそうに口元を引き上げる悟浄を見つめながら、その言葉の意味を量って首を傾げる。
「僕が口うるさいからですか?それとも、短命なところとか?」
僕は自分の掌を見つめた。以前悟空にマジックで伸ばしてもらった生命線は、やはり短いままだ。
「そうじゃなくて」
悟浄はおかしそうに声をたてて笑うと、広げた僕の掌の上に抜け殻を置いた。
かさりという乾いた音と、哀しいほどの軽い感触。
「せーいっぱい生きてるってトコ」
戻した視線の先の紅い瞳は、さっきまでよりもっと優しい色をしている。
「知ってるか?お前がいるから、オレは…」
照れくさそうに視線を外した紅い男は、その先の言葉を聞かせてはくれなかったけれど。
代わりに長い指が伸びてきて、そっと頬に触れて。
「好きだぜ」
僕の涙を拭った。
end
(2009.8.5)