夢の途中
目を開けると見知らぬ天井が見えた。
こんなことが前にもあったなぁなんて思いながら、まだ半分眠ったままの身体でゆっくりと寝返りをうつ。
心地よい温もりと慣れたあの人の匂いに、何となく危険な場所ではないことだけは感じられて、僕はそっと目を閉じて小さく息を吐き出した。
淡く残る夢の記憶を辿ろうとしてみるが、それはあまりにぼんやりとして頼りなくて、すぐにあきらめてしまう。
もう一度重い瞼を開けて一体ここはどこだろうと視線だけ巡らせてみると、枕元に置かれた一冊の本と眼鏡が目に入る。
それからやっと、僕は自分がほとんど何も身につけずにベッドに横たわっていることに気がついた。
そう、確か思いのほか早く街に着いて。 いつもなら先を急ぐ三蔵が、めずらしいことに今日はここで宿をとると言い出して、この部屋を取ったのが数時間前。
まだ明るいうちからあの人と二人でベッドになだれこんで、 一戦交えてから気持ちよさそうに僕を抱きしめる腕の中で、僕は本を読みながら眠ってしまったのだ。
おぼろげに覚えている、"まったく、しょーがねぇなぁ…”という笑いを含んだ声と、僕の手の中から落ちかけた本を取り上げてパタンと閉じる音。優しい指が眼鏡を外して、そっとどこかに置く音。それから、大きな掌が愛しげに僕の頬を撫でてから、髪をかきあげていった感触。
いや、それはもしかしたら、さっきまで見ていた夢の中でのことだっただろうか。
心地よい倦怠感が残る身体を起こして、身を覆っているシーツをかき集めた。
殺風景な部屋を見回しても、あの人の姿は見当たらない。 そういえば煙草が切れたとぼやいていたから、きっと買いにいっているのだろう。
"あぁ、また、見つけにいかなきゃ…"
突然そんな思いが浮かんできて、僕は目を瞠った。
見つけるって… あの人はすぐに戻ってくるはずだ。ぶらりといなくなることなんてめずらしいことじゃないのに、こんな気持ちになったことは初めてだった。
何だか落ち着かない気持ちで傍らに目をやると、あの人がいたはずのシーツの上に何か落ちているのに気がついた。
指先を伸ばして拾い上げてみると、それは数枚の薄紅色の欠片。
これは…さくらの花びら? こんな季節に?
その瞬間、小さな不安がこみあげる。
"この部屋を出て探しに行ったとして、僕はあの人のいる場所に辿りつけるのだろうか…"
「ご…」
その名前を呼ぼうとして、息がつまった。
違う。そんな名前じゃなくて。 確か―
ついさっきまで別の名を口にしていたような妙な感覚に、僕は喉元を押さえた。
何か悪い夢でも見ていたんだろうか。 急いで息をすって、もう一度口を開いた。
「悟浄…」
今度はちゃんと言葉になった。 だがそれは思いがけなく縋るような音になり、ますます胸が苦しくなる。
湧きあがる不安と焦りに、僕は気がつくと手の中のシーツを握り締めていた。
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身づくろいもそこそこに出かけた町は、不思議なほど人気がなかった。
まだ日暮れ時だというのに、街のメインと思われる通りにも、ちらほらとしか人影が見えない。 小さな煙草屋の前にも、悟浄の姿は見えなかった。
僕は掌の花びらに目を落とした。 それは本物ではなく薄い和紙でできていて、ほんのりと清楚な香りがしている。恐らく女性が身の回りのものや手紙の中にしのばせる、香のようなものだろう。
普段の悟浄からはイメージできない、趣のあるものだ。
一体なぜあんな所にあったのか、わからなかった。 そしてなぜこんなものが、無性に自分を落ちつかない気持ちにさせるのかも。
しばらくぶらぶらしているうちに、ふとこの街に入る時通り過ぎた、町外れの並木道を思い出した。
確かあれは、桜の並木だったはず。 僕は急いで駆け出した。
新緑の葉が生い茂る並木の中に悟浄は立っていた。
こちらに背を向け夕焼けに染まる空を見上げて、人の気も知らないで暢気に煙草をふかしている。
見慣れた背中を目にしただけで胸の中に広がった安堵感に、我ながら苦笑いが浮かんでしまう。
「悟浄」
その名前を口にすると、さっきまでの不安は嘘のように消えてしまった。
「見つけましたよ」
紅い男はゆっくりと振り向くと、微笑んだ。
「あ、見つかっちゃった?」
どこかすかしたような皮肉気な微笑みではなく、二人きりのときに見せてくれる、鮮やかで躊躇いのない微笑み。
「よくココがわかったな」
「あなたの居場所ならすぐにわかりますよ」
ちょっと手間取りましたけど。
見つけられるのが当然といった悟浄の微笑みが悔しくて、僕は悟浄の指先の煙草を奪い取ると自分の唇に咥えて、代わりに握り締めていた花びらを悟浄の掌へと押し付けた。
受け止めた薄紅の欠片に目を落とすと、悟浄は悪戯の成功した子供のような顔で笑った。
「この前飲み屋のねーちゃんにもらったんだけど、なかなかイイだろ?」
少し得意そうに眉を上げると、ムッとする僕の顔を見つめて目を細めた。
「シャツのボタン、掛け違えてる」
めずらいしい…といいながら僕に花びらを手渡すと、長い指が胸元のボタンを順に外してから、きっちりとかけ直してくれる。
「…急いで出てきてしまったから」
子供のような言い訳を煙と一緒に吐き出すと、妙に頬のあたりが熱くなって俯いてしまう。
こんなこと滅多にないはずなのに、なぜだかいつもこの人に、シャツのボタンを止めてもらっていたような気がする。
それも、さっきまで見ていた夢の中でのことだっただろうか。
本当に、今日はおかしな日だ。
その時。
「あ…」
夕暮れの幾分冷たさをました風吹かれて、僕の掌の上の花びらは飛んでいってしまった。
寂しくなった掌を、悟浄の指が掴まえる。
僕を見つめる紅い瞳。目の前で揺れる、夕焼けよりも紅い髪。
焼き付けるように見つめながら重ねた唇は、軽く触れただけだったけれど、伝わる想いは、いつでも深く僕を満たしてくれる。
「そろそろ戻りましょうか」
「早くしねーと、夕飯食いっぱぐれそうだしな」
宿に待つ仲間を思い、二人同時に小さく笑った。
きっと何度でも、僕はあなたのいる場所に辿りつく。
どんなに時が流れても。たとえ姿形が変わっていても。
そんな夢をみていたことを、やっと思い出した。
そして多分。
今でも、きっと。
僕らはまだ、夢の途中。
end